第66話 科学勇者 vs. 剣聖①――静かなる序章
王宮の訓練場の観戦用席は、すでに人で埋め尽くされていた。
王国の貴族、軍の将官、"賢律院"の高官たち。 さらには、王宮に仕える魔法士たちまでもが、勇者と剣聖の決闘を一目見ようと集まっている。
観客席には、異端排斥派の貴族たちが並び、どこか勝ち誇ったような表情を浮かべていた。
「剣聖に挑むとは……いくら異世界の勇者とはいえ、身の程を知らぬにもほどがあるな。」
「剣士ではなく、魔法士だという話だろう? ならば、勝負になるはずもない。」
「勇者を英雄として祭り上げる愚行を、ここで正す好機ではないか。」
彼らはこの決闘を、「勇者を失墜させるための見世物」 くらいにしか考えていない。
しかし、彼らのそんな期待をよそに、王国の軍人たちは違った視線を送っていた。
「あの勇者……たった一人で”黒の賢者”アーク・ゲオルグを退けたというが……」
「剣聖様相手にどこまでやれるのか……正直、予想がつかん。」
勇者・九条迅は、既に戦場で”実績”を作り上げている。
“黒の賢者”という強敵を退けたという事実は、王国軍にとって無視できないものだった。
その彼が、王国最強の剣士・剣聖カリム・ヴェルトール に挑む。
その戦いの行方は、誰にも分からなかった。
◇◆◇
「……勇者殿。」
観客席の貴族たちのざわめきをよそに、ロドリゲスが迅に近づき、低く囁いた。
「“魔力収束粒子砲“は、使わぬようにな。」
「当たり前だろ!」
迅は即座にロドリゲスの忠告を否定した。
「俺は剣聖と決闘するだけで、殺し合いをするわけじゃねぇんだぞ!」
「……ならばよい。」
ロドリゲスは深く頷く。
それでも、その目には不安の色が滲んでいた。
九条迅が異世界に召喚されてからの行動を見てきた彼は、迅が「やると決めたら妥協しない」ことをよく知っている。
迅が本気を出せば、どこまで強力な技を繰り出すのか、ロドリゲスでさえ完全には把握できていなかった。
しかし、迅はロドリゲスの心配を察したのか、笑って肩をすくめる。
「……安心しろよ、じいさん。俺は戦いを研究するのは好きだが、戦争をするのは嫌いなんだ。」
その言葉に、ロドリゲスはふっと息をつく。
「ふむ……まったく、お主は危うい男じゃ。」
「褒めてんのか、けなしてんのかどっちだよ。」
ロドリゲスがすべての力を出し切るように言わないのは、迅が戦場ではなく決闘の場に立っているからだ。
これは戦争ではなく、“誇り”をかけた戦い。
迅自身も、それを理解していた。
「……ふん。」
剣聖・カリム・ヴェルトールは、ゆっくりと剣を抜いた。
華美な装飾のない、実戦仕様の長剣。 しかし、その刃には”剣聖”の名に相応しい鋭さが宿っている。
「異世界の勇者よ。」
カリムは迅を見据えながら、静かに言った。
「剣士としての実力、見せてもらおう。」
迅は軽くレイピアを振りながら、肩をすくめる。
「まぁ、試してみればわかるんじゃねぇの?」
その言葉に、カリムの口元がわずかに笑みを浮かべる。
「ならば、始めよう。」
◇◆◇
決闘の合図が鳴り響いた瞬間——空気が張り詰める。
剣聖・カリム・ヴェルトールは、無駄なく流れるような動きで長剣を構え、迅の出方を探る。
一方の迅は、レイピアを軽く回しながら肩の力を抜いていた。
「……。」
カリムの瞳が、迅の一挙一動を鋭く観察する。
剣士同士の決闘において、最初の”間合いの探り合い”がすべてを決める。
カリムはすでに”剣聖”の域に達している。剣士としての勘も研ぎ澄まされている。
しかし——
(……妙だな。)
目の前の勇者は、決闘の場に立つ剣士特有の緊張感が薄い。
まるで、“戦場に出たばかりの新兵”のような、危なげな印象を与える。
「やはり、異世界の勇者といえど、剣士ではないのか?」
そんな疑念が、カリムの脳裏をよぎる。
——ヒュンッ!
次の瞬間、迅が素早く動いた。
カリムの視線がわずかに鋭さを増す。
(剣を抜くのではなく、動きながら様子を見る……?)
普通の剣士であれば、まずは初撃を仕掛け、相手の反応を確かめるものだ。
だが、迅はそれをしなかった。
相手の攻撃を待つのでもなく、牽制の一撃を打つでもなく、“フットワークの軽さ”だけでカリムの周りを動きながら、何かを測るように立ち回る。
(……フム。)
カリムは静かに微笑む。
どうやら、相手は”決して戦いに素人というわけではない”らしい。
「迅……。」
観客席から見守るリディアは、手を胸元でぎゅっと握りしめた。
(思ったより動けてる……けど、カリム相手に大丈夫なの……?)
“剣聖”の実力は、リディアもよく知っている。
カリムは貴族として生まれ、幼少期から徹底した剣の鍛錬を積んできた。
彼が見せる”流水の如き剣技”は、並の剣士が決して超えられない壁だ。
その彼を前に、迅は——
「……いや、大丈夫ね。」
不安とともに、リディアの中には”確信”もあった。
彼は、どこか楽しそうに”戦いを分析している”ように見えた。
(ジンは研究者よ……戦いすら、実験の一環として見ている。だから——)
“彼は、簡単には負けない”
そう思った瞬間——
カリムが動いた。
「——来るか。」
迅の脳裏に、一瞬で”相手の意図”が走る。
カリムは、一切の予備動作なく、まるで水が流れるように足を滑らせ、間合いを詰めてきた。
(速い——!)
次の瞬間——
キィンッ!!
乾いた金属音が鳴り響く。
迅が間一髪でレイピアを振り、カリムの剣を弾いたのだ。
「ほう……」
カリムの口元に、ほんのわずかに興味の色が浮かぶ。
彼の攻撃を、“剣で受け止めた”のではなく、“反射的に弾いた”。
この違いは大きい。
剣を受け止めるには、腕力と技術が必要だが、剣を弾くには”速度と反応力”が必要になる。
つまり——
(こいつ……)
(普通の剣士とは、“違う”。)
初撃を交えたその瞬間、カリムは迅に対する評価を改めていた。
「——面白いな、異世界の勇者よ。」
カリムの目が、好奇の色を帯びる。
迅は軽く息をつき、笑って肩をすくめた。
「そっちもな。」
「では、もう少し本気を出してみるか。」
カリムは剣を構え直し、その目に“真剣な光”を宿す。




