第64話 静かなる怒り——決闘の幕開け
「ほらな。剣持ったら、こういうベタな展開になるだろ?」
王宮の武器庫。その一角にて、静かな対峙が生まれた。
九条迅は片手にレイピアを持ちながら、目の前の男——王国最強の剣士“剣聖”カリム・ヴェルトールを見上げる。
カリムは悠然とした態度で、まるで舞台の主役が登場したかのように自然な貫禄を放っていた。
彼の金髪は柔らかい燭台の光に照らされ、整った顔立ちは自信に満ちた笑みを浮かべている。
そして、彼はゆっくりと歩み寄ると、言った。
「ほう……異世界の勇者よ、ようやく剣を取る気になったか。」
迅は、めんどくさそうに肩をすくめた。
「いや、“取る気になった”っていうより”取らされた”ってのが正しいな。丸腰で戦ってると、このじいさんがうるさくてさ。」
「わしのせいにするな!」
ロドリゲスがすかさず杖で迅の背中を小突く。だが迅は無造作に手をひらひらと振り、適当に受け流す。
しかし、カリムはそんなやりとりには興味がないというように、目線をリディアへと向けた。
「リディア……久しぶりだね。」
「えぇ、そうね……カリム。」
リディアは一瞬、目を細めた。
「君が異世界の勇者などと共に行動していると聞いて、正直驚いたよ。」
「あなたには関係のないことよ。」
彼女の声は素っ気ない。しかし、カリムは気にした様子もなく、優雅に微笑んだ。
「いや、あるとも。」
リディアがほんのわずかに眉をひそめる。
そして、カリムはまるで当然のことのように言った。
「君のことを、放っておけないのさ。」
その瞬間——
リディアの背筋がゾゾッと震えた。
(……うわぁ。)
迅は心の中で頭を抱えた。
なんだこの"面倒くさい男の登場"感は。
カリムはどこまでも堂々と、芝居がかった口調で続ける。
「リディア、君はこの国の魔法士として、王国に仕える身だ。なのに、異世界の勇者と共に行動し、科学魔法なる未知のものに傾倒しているとは……。」
リディアは鋭い視線で睨みつけた。
「それがどうしたの?」
「君は誇り高きアークライト家の一員として、もっと有意義な道を選ぶべきだ。」
「だから、わたしの選んだ道が“間違っている”とでも言いたいの?」
「……いや。」
カリムは微笑む。
「だからこそ、君を異世界の勇者から“解放”しようと思ってね。」
「はぁ!?」
リディアの表情が呆れと怒りに染まる。
迅も流石に驚いた。
「お前、何言ってんの?」
カリムは迅を一瞥すると、静かに宣言する。
「異世界の勇者よ。君が彼女を引き止める理由はないはずだ。」
「そもそも俺、リディアを引き止めたことなんかねぇんだけど?」
「つまり、彼女は貴殿の側にいることを自ら望んでいる、と?」
「まぁ、そうなるな。」
リディアも腕を組みながら頷く。
「わたしは、わたしの意思で迅といるわ。」
カリムは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……ならば、なおさら君が間違っていることを証明しなければならないな。」
「……めんどくせぇな、お前。」
迅は盛大にため息をついた。
カリムは鋭い視線でリディアを見据えると、言った。
「リディア、君はこの王国の中で、唯一“私と比肩しうる才能”を持っている。」
その言葉に、リディアの表情が固まる。
「……え?」
「剣技において私に匹敵する者がいないように、魔法においても、君ほどの才を持つ者はいない。」
カリムは静かに語る。その声には、一切の迷いがない。
「君は唯一、私の"理解者"となり得る存在だ。」
カリムの言葉に、場の空気が張り詰める。
「……だからこそ、私は君が“くだらない夢”に時間を費やしているのを見るのが耐えられない。」
リディアの目が鋭く光る。
「……くだらない、ですって?」
「魔力の本質を突き止める? 科学と魔法の融合?……そんなことに意味はない。」
カリムの声は淡々としていた。しかし、その一言一言が、リディアの胸に鋭く突き刺さる。
「君が本当に成すべきことは、王国のために優秀な戦士を支え、魔法士として“役割”を果たすことだ。」
リディアの拳が震えた。
「どうして……そんな風に言い切れるの?」
「君が無駄にしているのは、ただの時間ではない。君の才能そのものだ。」
「わたしの研究を、“無駄”だなんて……!」
「それが現実だからだ。」
カリムは静かに首を振る。
リディアは唇を噛みしめ、視線を落とした。
「……わたしは……“ただ使える”だけじゃなくて、“知りたい”のよ……!」
「魔法の仕組み、魔力の根源、それが分かれば……もっと世界を変えられるかもしれないのに!」
カリムは微かに目を細めた。
「夢だよ、リディア。」
「……。」
その時——
バチンッ——
静寂を破るかのように、小さな電流の音が響いた。
武器庫の冷たい空気の中、九条迅はレイピアを持ち上げ、刃先をわずかに傾けた。
その表情は変わらない。
しかし——
「あぁ、そっちか。」
ゆっくりと漏らしたその一言には、微かな怒気が滲んでいた。
リディアの夢を否定された瞬間——迅は確かに、心の奥底で何かが弾けるのを感じた。
カリム・ヴェルトール。
王国最強の剣士、“剣聖”の称号を持つ男。
その実力を疑う余地はない。
だが、彼は決定的に理解していない。
「……俺はな。」
迅はゆっくりと口を開く。
「基本的に、めんどくさいことは嫌いなんだよ。」
カリムは微かに眉をひそめる。
「それが?」
「決闘とか、勝負とか、興味ねぇ。
それ自体に意味が無いとは言わねぇが、
少なくとも俺にとっては価値の薄い物だ。」
迅は肩をすくめた。
「俺はこの世界で最強の剣士になりたいわけじゃねぇし、剣技を極めたいとも思わねぇ。ましてや、“剣聖”の称号になんかこれっぽっちも興味がねぇ。」
「では、なぜ剣を取った?」
カリムが静かに問いかける。
迅はふっと笑った。
「決まってんだろ。」
「——“戦う必要があるから”だよ。」
その言葉に、カリムは一瞬だけ沈黙する。
「戦う必要があるから……?」
「あぁ。」
迅はレイピアを軽く振り、剣先で空気を切る。
その動きは無駄なく、まるで長年の相棒のようにレイピアと馴染んでいた。
「俺は戦士じゃねぇ。でも、この世界に呼ばれた以上は、戦うしかねぇんだよ。」
「……。」
カリムは僅かに目を細めた。
「お前はリディアのことを、“理解者”だと言ったな。」
カリムの表情に変化はない。
しかし、次の瞬間——
「“お前の理解者”になれって、誰が決めたんだよ?」
迅の低い声が、武器庫の静寂を切り裂いた。
「リディアは、“お前のため”に生きてるわけじゃねぇんだよ。」
「……!」
リディアが小さく息を呑む。
カリムの表情が、わずかに陰った。
「……そういうつもりで言ったのではない。」
「でも結果的に、お前はそう言ったも同然だ。」
迅は静かに言い放つ。
「俺はリディアの“保護者”でも“後見人”でもねぇ。だけどな、仲間の夢をバカにするヤツを、そのまま見過ごせるほど器用でもねぇんだよ。」
「……。」
カリムは黙っていた。
それは、彼の中で何かを整理しようとする時間だったのかもしれない。
だが、次の瞬間——
「面白い。」
カリムの口元が、ふっと笑みを浮かべる。
「ならば、異世界の勇者よ……」
カリムはゆっくりと腰の剣を抜いた。
銀色の刃が、武器庫の燭台の光を反射し、鋭く煌めく。
「決闘で、お前の言葉が本物かどうか、確かめさせてもらおう。」
迅はレイピアを構え、肩をすくめた。
「……しゃーねぇな。」
「いいぜ。」
「“剣聖”の称号を持つ男が、異世界の勇者に挑むってんなら——」
彼の瞳が鋭く光る。
「こっちも、“科学の剣技”ってヤツを見せてやるよ。」
そして——
王宮の武器庫で交わされた“剣聖”と“勇者”の視線は、火花を散らすようにぶつかり合った。
決闘の幕が、いま上がる。




