第63話 科学勇者、武器を取る
「……くっそ、まだ地味に痛ぇ……。」
王宮の研究室の片隅で、迅は握った拳をゆっくり開いたり閉じたりしながら、小さく呟いた。
右手の指先がじんじんと疼く。指の関節を軽く回してみると、わずかに痛みが走った。
「何をボヤいてるの?」
リディアが魔導書をめくりながら問いかける。迅は肩をすくめながら答えた。
「あー……この前のアーク戦で、防御球を殴りまくったダメージが、まだ残ってんだよ。」
「……は?」
リディアは呆気に取られたように目を瞬かせた後、じわじわと顔をしかめた。
「ちょっと待って。あなた今、なんて言ったの?」
「だから、防御球——アークの防御魔法を、素手で殴りまくってたせいで手が痛ぇって話だよ。」
「……素手で殴った?」
リディアはもう一度確認するように問いかけた。その声には呆れと驚きが入り混じっている。
「お前、あの場にいたじゃん。見てなかったのか?」
「……ええ、見てたわよ。確かにあなたはアークの防御球を強引に殴ってた。でもてっきり、魔力でコーティングして打撃力を上げてるんだと思ってたのに……。」
「いや、途中まではそうしてたけど、終盤は普通に素手で殴ってたな。」
「……。」
リディアはしばし無言になった。
「……ちょっと待って、あなた魔法を駆使して戦うタイプの勇者じゃなかったの?」
「そうだけど?」
「じゃあ、どうしてそんな脳筋ファイターみたいな戦い方をしてるのよ!」
「いやいや、違うんだって!これは戦術的な判断の結果だからな!」
「どこが!?普通に考えて、魔法で砲撃するなり、もっと効率的な方法があったでしょ!? なぜ”殴る”という選択肢が生まれるのよ!」
リディアは目を見開いて詰め寄る。迅は軽く頬を掻いた。
「いやさ……アークの防御球って、見た目よりも内部の構造が単純だったんだよ。外殻の魔力制御が甘くて、衝撃を連続で加えれば徐々に歪みが生じるのが分かったんだ。」
「だからって……。」
「で、実際にどのくらいで歪むか試したかったんだよ。最初は魔力弾で様子見してたけど、それよりも自分の手で確かめた方が直感的に分かりやすいと思って。」
「……分からない。」
「え?」
「あなたのその理論は分かる。理論は分かるけど、実行に移す思考回路が分からない。」
リディアはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「普通の魔法士なら、“手で直接殴る”なんていう発想がそもそも生まれないわよ。」
「そうか?」
「そうよ!」
リディアが食い気味に叫ぶと、横から別の低い声が割って入った。
「全くじゃ!!」
「おお、じいさん。」
研究室の扉が勢いよく開き、ロドリゲス・ヴァルディオスが杖を突きながら入ってきた。
「お主、いい加減に何か武器を持たんか!」
「いや、いらねぇだろ?」
「いるわ!!」
ロドリゲスは杖を床に突き立てて、まるで雷を落とすように叱責した。
「お主、勇者という立場でありながら、戦場を丸腰で駆け回っておるではないか! そもそも、勇者が武器を持たぬなど前代未聞!」
「でも、俺の戦い方って基本的に魔法メインだし……。」
「そういう問題ではないわい!!」
ロドリゲスはじりじりと迅に詰め寄る。
「武器があれば、わざわざ素手で敵を殴る必要もなくなる! 敵の防御壁を殴るなどという暴挙も回避できる!」
「それはまぁ、そうだけど……。」
「戦場において、己の身を守る術を持たぬ者は、ただの愚か者じゃ!!」
「……。」
ロドリゲスの真剣な眼差しに、さすがの迅も口をつぐんだ。
リディアも腕を組みながら、冷静な口調で言う。
「迅、確かにあなたは魔法で戦えるかもしれないけど、それが常に万全の状態で使えるとは限らないわ。」
「……。」
「魔力切れになった時、何もできなくなるのは危険よ。戦場ではどんな状況が起こるか分からない。だからこそ、武器を持っていた方がいいと思うの。」
「ふむ。」
ロドリゲスも同意するように頷いた。
「お主がどれほど魔法を駆使できようとも、魔力を封じられる可能性は常にある。もしも敵が何らかの方法でお主の魔力を無力化した時、どうするつもりじゃ?」
「……。」
迅は黙り込む。
確かに、自分の戦い方は魔法に依存している。
現状はそれで問題ないが、何らかの要因で魔力が封じられた場合、対応手段が限られるのは事実だ。
「……ふむ。」
迅は顎に手を当てながら考え込んだ。
「確かに、魔力が使えなくなった場合のことは考えてなかったな。」
「それが戦場の恐ろしさというものじゃ。」
ロドリゲスは深く頷く。
「ゆえに、武器は持っていて損はない。戦場では何が起こるか分からぬ。魔力を封じられた時の保険として、武器の習熟も必要じゃ。」
「……なるほど。」
迅は腕を組み、じっくりと考え込んだ後——
「……まぁ、確かに”保険”としてなら、武器を持つのもアリか。」
「……やっと理解したか。」
リディアが安堵のため息をつく。
「でもさ……。」
迅はフッ…と笑った。
「俺に向いてる武器なんて、あるのか?」
◇◆◇
王宮地下、武器庫。
石造りの空間に整然と並ぶ武具の数々。
壁際の棚には大小さまざまな剣が飾られ、槍や戦斧、弓矢まで幅広く揃っている。
煌びやかな装飾が施された宝剣もあれば、戦場で磨かれた無骨な実戦向きの剣もある。
その中で、迅は両手を白衣のポケットに突っ込んだまま、ゆっくりと歩き回っていた。
「おぉ、見よ! これが王国の誇る武器の数々じゃ!」
ロドリゲスが腕を組み、誇らしげに言う。
「この中から、好きなものを選ぶがよい!」
「うーん……。」
迅は棚に並んだ剣を眺めながら、何とも言えない顔をしている。
「何か気に入るものはある?」
リディアが興味深げに尋ねる。
「……いや、どれも重そうだなって思ってさ。」
「はぁ!?」
ロドリゲスが目を剥いた。
「お主、それでも勇者か!? 大剣も長槍も、どれも一級品の逸品ぞ! なのに“重そう”とな!?」
「いやいや、冷静に考えてくれよじいさん。俺はただでさえ魔法に時間を割きたいのに、そんなゴツい武器を振り回す余裕なんかねぇっての。重い武器なんか持ったら、動きが鈍るだろ?」
「そ、それはまぁ……一理あるが……。」
「そもそも、武器を使うなら自分に合った物を選ぶのが普通よ。」
リディアが苦笑しながら、迅の言葉に頷いた。
「まぁ、そういうこったな。」
迅は興味なさげに戦斧や大剣をスルーしながら、奥の棚へと歩いていく。
そして——彼の視線が、ある一本の剣で止まった。
棚の中央に掛けられていたそれは、他の剣と比べて細身で、刃渡りも長すぎない。
手に取ってみると、片手で軽々と扱えるほどの重量感だった。
「……これだな。」
迅はすっと剣を掲げ、軽く振ってみる。
「レイピア?」
リディアが首をかしげる。
「剣なら、もう少し威力のあるものを選んでもいいんじゃない?」
「いや、俺に合うのはこれだよ。」
迅はレイピアを持ったまま、嬉しそうに笑う。
「どういうことじゃ?」
ロドリゲスが腕を組みながら尋ねる。
「……俺、中学から高校にかけてフェンシングをやってたんだよ。」
「……!」
リディアとロドリゲスの目が見開かれる。
「ちょ、ちょっと待って。」
リディアが驚いた様子で食い下がる。
「フェンシングって……剣術のことよね?」
「まぁな。突き技主体の剣術競技だけどな。」
「……何故今まで黙っていた!?」
ロドリゲスが鬼の形相で詰め寄る。
「いや、だって……。」
迅は少し気まずそうに頬をかいた。
「異世界転移勇者が“剣も使えます”とか言ったら、絶対に騎士団にぶち込まれるじゃん?」
「……。」
「そんでどうせ、王国随一の剣士…"剣聖"みたいなヤツが現れて“フン、貴様が異世界の勇者か。私が実力を試してやろう”とか言い出して、いきなり腕試しされる流れになるんだろ?」
「……。」
「で、“ば、バカな……勇者なのに剣もまともに扱えないのか!?”とか言われて、勝手に失望されるイベントが発生して、最終的に王宮から放逐されるってのが定番だろ?」
「……。」
迅は"異世界転移系ライトノベル"への造詣も深かった。が、当然リディアとロドリゲスには何の事か分からない。
"またこの勇者がおかしな事を言い出している"とだけ認識し、黙って聞き入る事に専念しているのだ。
「それが嫌だったから、とっさに『剣は使えません』って言っといた。」
「……。」
「結果、今こうして魔法研究に集中できてる。嘘ついて大正解。グッジョブ、あの日の俺。」
ロドリゲスとリディアは、心底呆れ果てた表情で迅を見つめる。
「……なんて言うか、本当に、あなたらしいわね。」
リディアが呆れながらも微笑んだ。
「まったく……。」
ロドリゲスはため息をつき、頭を抱えた。
「いやいや、そもそもだ!」
ロドリゲスが勢いよく指を差す。
「お主、本当にフェンシングをやっておったのか? どの程度の腕なのじゃ?」
「それなりに真面目にやってたよ。全国大会にも出たことあるぜ。」
「なっ……!?」
リディアの目がさらに見開かれる。
「あなた、そんなに本格的に!?」
「まぁな。小さい頃読んだ本で、俺の好きな物理学者がフェンシングを嗜んでいたってエピソードがあってさ。」
「それでやり始めたの?」
「ああ。それに、クリティカルシンキングを鍛えるには、対人競技の方が向いてるしな。理詰めで戦うスポーツは、俺に合ってたんだよ。」
「なるほど……。」
「それと、運動は脳のコンディションを整えるのに最適だしな。」
迅はレイピアを構えながら、軽くステップを踏む。
「だから、息抜きとしても、思考の訓練としても、フェンシングは俺にピッタリだったんだよ。」
「…………。」
「ま、だからって学生の部活レベルのフェンシングが魔王軍相手に通じる訳無いからな。実質、使えないも同じだろ。俺の剣の腕なんてよ。」
迅は頭の後ろで手を組み、事も無さげに話す。
リディアはじっと迅を見つめる。
彼の動きは、まるで本当に競技として身につけた者のそれだった。
魔法を使わずとも、迅の戦闘スタイルが他の剣士たちとはまったく異質である理由が、今やっと分かった気がした。
(……だから、アーク・ゲオルグとの戦いの時も、あんなに動きが良かったのね。)
剣を振るうことだけが目的ではなく、それをどう使うかを考える。
剣術の基礎の中に、思考の鍛錬がある——それこそが、迅の戦い方の根幹なのだ。
「お主……本当に変わった勇者じゃな……。」
ロドリゲスが苦笑しながら、呆れたように言った。
「褒め言葉として受け取っとくわ。」
迅はにっと笑い、レイピアをくるりと回す。
その瞬間——
カツ、カツ、カツ……
武器庫の奥から、靴音が響いた。
「ふん、異世界の勇者がようやく武器を手に取ったか。」
鼻につくような声が響く。
リディアが表情を強張らせた。
「……!」
そして、暗がりから現れたのは——
「誰?」
迅が首を傾げると、ロドリゲスが低い声で呟いた。
「王国最強の剣士、そして“剣聖”の称号を持つ男……カリム・ヴェルトールじゃ。」
「出た! ほら、やっぱり出たじゃねぇか、“剣聖”!」
迅は露骨に嫌そうな顔をし、リディアがため息をつく。
こうして、科学勇者と剣聖の出会いは、最悪の形で幕を開けるのだった。




