第60話 英雄の名を背負う時
城下町の活気に満ちた通りを歩きながら、迅の視線は次々と移り変わる。
見るものすべてが新鮮だった。
「おおっ、この屋台の照明、魔法陣式か!」
まず目を引いたのは、屋台の天幕に吊るされた魔導ランプ。
ぼんやりとした青白い光を放つそれは、燃料を使わず魔力で発光する仕組みらしい。
近づいて観察すると、ランプの表面には微細な魔法陣が刻まれていた。
(なるほど、魔力を一定の波長で振動させて光を放出してるのか? まるでLEDみたいだな……)
「……迅、ちょっと落ち着きなさい。」
隣でリディアが苦笑しながら呟くが、迅は聞いていなかった。
「あれもすげぇな! この建築構造……梁の魔力強度が、重力を分散させるようになってる……!?」
今度は町の建物に目を奪われる。
石造りの家屋が多いが、そのすべてに魔法的な補強技術が使われているようだ。
建物の柱や壁の一部に魔力が込められており、通常の石よりも頑丈な構造になっている。
(単なる物理的な建築技術だけじゃない。魔力を利用した耐震設計や、崩壊防止の仕組みまで考えられてる……!)
迅はまるで学者が研究対象を観察するような目つきで、次々と城下町の魔法文明を分析し始める。
——そして、ついに極めつけの発見をする。
「おい、この水路、魔法陣の自動浄化システムが組み込まれてるのか!?」
石畳の道の脇を流れる水路。
そこに流れる水は、驚くほど透き通っている。
不思議に思った迅は屈み込み、水路の側面をよく見る。
「やっぱり……!」
水路の内壁に、微細な魔法陣が刻まれていた。
それは魔法による水質浄化システム。
水の流れに応じて魔法陣が微弱な浄化波を放ち、不純物を除去しているらしい。
どこにもゴミが浮かんでいないことからも、その効果の高さが分かる。
「くっそ……すげぇ……! なんて効率的なシステムなんだ……!」
迅は目を輝かせ、感動を噛み締めるように拳を握りしめた。
「こっちの世界って、こんなにも魔法文明が発達してるのかよ……!科学文明のレベルはそう高くないと思って、侮ってたぜ……!」
彼の反応に、リディアは呆れながらも微笑んだ。
「ふふっ、迅ったら、まるで子供みたいね。」
「うるせぇ! これは興奮するだろ!?」
「まぁ、案内する私としては嬉しいけど……」
リディアはくすくすと笑いながら続けた。
「でも、迅のこんなに楽しそうな顔、久しぶりに見た気がするわ。」
その言葉に、迅は一瞬だけ動きを止めた。
「……そうか?」
「ええ。いつも研究や訓練ばかりでしょ? こうやって、何かを楽しんでる顔を見ると……なんだか安心するの。」
「…………。」
リディアの優しげな声に、迅は少し気恥ずかしくなり、
「ま、まあ……」とごまかすように視線をそらした。
「……よし、次はどこ行く?」
「あら、まだまだ歩き回る気なのね?」
「当たり前だろ。この世界の魔法文明をもっと見て回らねぇと、気が済まねぇ!」
「まったく……仕方ないわね。」
リディアは軽く肩をすくめると、迅を引き連れて再び歩き出した。
こうして、二人の異世界魔法文明探訪は、まだまだ続くのだった——。
◇◆◇
城下町の賑わいに満ちた通りを進むと、風に乗って芳ばしい香りが漂ってきた。
「……ん?」
迅は足を止め、鼻をひくひくと動かす。
「この香ばしい匂い……肉だな?」
「ふふっ、やっぱり気づいた?」
リディアは微笑みながら指をさす。
「ここよ。」
彼女が指し示した先には、活気ある屋台が並んでいた。
その中のひとつで、分厚い肉の串焼きが鉄板の上でじゅうじゅうと焼かれている。
炎の揺らめきが肉の表面を照らし、滴る脂が弾けては香ばしい煙を立ち上らせていた。
「おいおい……なんだよ、めちゃくちゃ美味そうじゃねぇか!」
迅の目がキラキラと輝く。
「へぇ、迅って食べ物にこんな反応するのね。」
「そりゃあな! 俺は食にはうるさいぞ!」
「意外……てっきり、研究に夢中になりすぎて食事なんか適当に済ませるタイプかと思ってたわ。」
「バカ言え。飯を適当に済ませるのは愚者のやることだ!」
迅は真剣な顔で拳を握りしめた。
「良い食事は良い思考を生む。飯がうまいってことは、それだけ文化が発展してる証拠だ。つまり、この世界の食文化も魔法文明と同じくらい興味深いってことだ!」
「……そこまで考えてるとは思わなかったわ。」
リディアは呆れながらも微笑む。
「まぁいいわ。せっかくだし、食べてみましょう?」
「もちろんだ!」
二人は屋台の前へ向かうと、店主が気さくな笑みを浮かべながら出迎えた。
「おぉ、お嬢さんに勇者様! いらっしゃい!」
「おっちゃん、ここの肉串、すげぇ良い匂いしてるな!」
「はっはっは、分かるかい? これは“魔炎牛”の肉を使ってるんだよ!」
「魔炎牛……?」
迅が眉をひそめると、リディアが補足した。
「魔炎牛は、魔力を帯びた特別な飼育法で育てられた牛の一種よ。肉質は柔らかく、魔力の影響でほんのり甘みがあるの。」
「ほぉ……なるほど、成長過程で魔力を取り込んでるから、味にも影響してるのか。」
「そういうこと! さぁさぁ、焼き立てをどうぞ!」
店主が豪快に一本の串を手渡してくる。
迅はそれを受け取り、じっと眺めた。
焼き色のついた肉の表面には、魔炎牛特有の淡い赤い光が滲んでいる。
まるで火を灯したような神秘的な輝きがあり、それが食欲をそそる。
「……いただきます!」
迅はガブリと齧りついた。
途端、口の中に広がるジューシーな肉汁。
噛めば噛むほど、ほんのりとした甘みと旨味が溢れ、魔力によるわずかな温かみが舌の上に残る。
「う、うめぇ……!!」
驚愕と感動が入り混じった表情を浮かべ、迅はもう一口、また一口と貪るように食べ進める。
「ふふっ、迅ったら夢中ね。」
「リディア、お前も食え! これやべぇぞ!」
「あら、それじゃあ……」
リディアも一本手に取り、上品にひと口。
「……んっ……確かに、美味しいわね。」
「だろ!? こりゃあ食文化の探求もやる価値あるな……!」
迅は真剣な顔で腕を組む。
「ちょっと待てよ……この味の仕組み、ちゃんと分析したら新しい魔法理論にも応用できるんじゃないか?」
「……食べながらそんなこと考えないの。」
リディアはため息をつきつつも、どこか楽しそうだった。
こうして、二人は城下町の食文化を楽しみながら、まだまだ食べ歩きを続けていくのだった——。
◇◆◇
「……なんか、やたら見られてる気がするんだけど。」
城下町の通りを歩きながら、迅は小声でリディアに言った。
「気づいた? それ、当然よ。」
リディアは苦笑する。
「……何が当然なんだ?」
迅が首を傾げると——
「お、おい! あれ、もしかして……」
「勇者様!? 本当に!?」
「間違いない! あの黒髪に白の戦闘服……!」
一人の少年の叫びを皮切りに、瞬く間に周囲がざわめき始めた。
「……おいおい。」
迅は戸惑う。
やがて、人々が次々と彼の周りに集まり——
「勇者様! 本当に勇者様なのですね!」
「魔王軍の幹部を退けた、あの九条迅様が……!」
「ありがとうございます……勇者様! 私たちに希望を与えてくださって……!」
歓声と拍手が、一気に城下町へと広がっていく。
「……えーっと?」
迅は思わずリディアを見るが、彼女はため息をつきながら答えた。
「王族があなたの戦いを“英雄譚”として宣伝してるのよ。」
「……宣伝?」
「あなたがアーク・ゲオルグと戦って退けたこと、それを王国が国中に広めてるの。『勇者・九条迅は魔王軍の高位幹部を単独で撃退した英雄である』ってね。」
「……いやいや、待てよ。」
迅は困惑する。
「俺、一人で戦ったわけじゃねぇだろ。リディアもロドリゲスもいたし、みんなで戦ったんじゃねぇか?」
「知ってるわ。でもね、“勇者が一騎打ちで勝利した”方が、民衆にとって分かりやすいのよ。」
リディアは肩をすくめる。
「だから王族は、あなたを『英雄』として担ぎ上げてるの。」
「……はぁ。」
迅はため息をつく。
「なるほどな……まぁ、戦いに勝ったのは事実だけどよ。」
すると、一人の老人 が進み出てきた。
「勇者様……どうか、お言葉を……!」
彼は帽子を脱ぎ、震える声で言った。
「私たちは、ずっと不安でした……。ですが、勇者様が戦ってくださったと聞き、どれほど救われたか……!」
「……っ。」
その言葉に、迅は言葉を失った。
周囲の人々の目には、純粋な感謝が宿っていた。
(……こいつら、本気で俺を”希望”だと思ってるのか。)
戦った。
勝った。
ただそれだけのことのはずだった。
だが、その結果が——
人々にとっての「希望」になっている。
「……ま、礼を言われるのは悪くねぇな。」
迅は苦笑しながら、ポンと胸を叩いた。
「でもな……俺だけの力じゃねぇ。支えてくれた仲間がいたからこそだ。」
「勇者様……!」
再び、人々の歓声が湧き起こる。
「勇者様、万歳!!」
「勇者様、これからもよろしくお願いします!」
「おいおい、マジかよ……」
迅は苦笑しながらリディアを見る。
「なあ、これ……どう収拾つけるんだ?」
「……ふふっ」
リディアは笑って、彼の手をそっと取った。
「ついてきて。」
「へ?」
そのまま、人混みをかき分け、リディアは迅を連れて駆け出す。
「おい!? どこ行くんだよ!?」
「このままだと、いつまでも城下町を歩けなくなるわよ!」
「マジかよ!? 英雄ってのも大変だな……!」
二人は笑いながら、賑やかな城下町を駆け抜けていく。
——それが、「勇者 九条迅」の名が、王都全体に知れ渡った瞬間だった。




