第12話 ヒロインが水浴びし始めると碌な事にならない
「うわぁ……思ってたより本格的な森じゃねぇか……」
王宮の裏手に広がる"アルクスの森"
木々が鬱蒼と生い茂り、緑の葉が陽光を受けて煌めく美しい場所だ。高い天蓋を作る大樹の間からこぼれる木漏れ日が、地面にまだら模様を描いている。鳥のさえずりと、小川のせせらぎが心地よいBGMのように響く。
城壁の内側とは思えないほどの広大な自然が広がっているのを見て、迅は思わず目を丸くした。
「王宮の中にこんな森があるとか、なんか贅沢だな……」
横を見ると、リディアが腕を組みながら、澄ました顔で説明を始める。
「王国の魔法士たちが瞑想や研究のために利用する場所よ。ここには《自然の魔力》が満ちているから、魔力を回復するのに適しているの。」
「へぇ……」
迅は地面にしゃがみ込み、草や土に手を当てながら興味深そうに観察する。
「たしかに、なんか“気持ちいい”感じはするな。魔力が満ちてる……ってのはまだピンとこねぇけど。」
ロドリゲスが顎を撫でながら、ニコニコと頷いた。
「ほっほっほ。勇者殿も徐々に魔法士らしくなってきたのう。ここにいると、自然と魔力の回復が速くなることを感じるじゃろ?」
迅は目を閉じ、じっと自分の体の内側に意識を向ける。
——確かに、さっきまでの魔力消費による疲れが、ゆっくりと回復しているような気がする。
「ほーん……なるほどな。これは確かに“何か”が働いてるっぽいな。」
リディアが得意げに微笑む。
「でしょう? これが"自然の魔力"よ。ここにいるだけで、魔力の巡りが良くなって回復が早まるの。」
「へぇ……」
迅は再び地面をじっと見つめる。
(でも、それだけじゃ説明がつかねぇ気がする……)
魔力が回復しやすいのは事実だが、それが“自然の魔力”のおかげだというのは、まだ確証が持てない。
(単に“魔力を持つ生命が多いから”って理由じゃねぇのか? そもそも、この世界の魔力って何をエネルギー源にしてるんだ?)
迅の頭の中には、いくつもの疑問が渦巻いていた。
リディアは、そんな彼の考えを察したように小さく肩をすくめる。
「納得できないなら、自分で色々試してみるといいわ。あなた、そういうの好きでしょう?」
「……まぁな。」
迅はニヤリと笑いながら立ち上がり、森の奥へと歩を進めた。
歩き始めてどれ程の時間が経っただろうか。森を進んでいくと、やがて小川が流れる開けた場所に出た。
「へぇ……ここ、結構いい場所じゃねぇか。」
迅が周囲を見渡すと、ロドリゲスが「ここは魔法士たちが瞑想に使う静かな場所じゃ」と説明する。
「はぁ……休憩も無しに歩き過ぎよ。貴方、意外と体力あるのね。」
肩で息をしながらリディアが迅に問いかける。
「あー…まあ、それなりに運動はしてたからな。脳のパフォーマンスを上げる為には、適度な運動は必須だぜ?」
「うう……私も何か体動かした方がいいかしら」
リディアはふと服の袖を気にして、軽くため息をついた。
「……ちょっと待って。さっき枝に引っかけたせいで、泥がついてるわ。それもかなり」
迅は気にせず「別にいいじゃん」と言おうとしたが——
リディアが、すっと崖下の泉を指さした。
「あそこに水場があるから、ちょっと服を洗ってくるわ。」
「えっ、今?」
迅は間の抜けた返事を返す。
「こういうのはすぐに落とさないと跡が残るのよ。この服、お気に入りなの。」
「……お、おう。そうか」
「それに、かなり汗もかいちゃったし。ちょっと行ってくるわね。」
そう言うと、リディアは一人スタスタと泉へと向かっていく。
迅は妙にそわそわしながら、リディアが泉に向かうのを見送る。
(待てよ……今って、リディアが水浴びする流れじゃねぇか……!?)
考えた瞬間、脳裏に不吉な未来がよぎる。こういうシチュエーションは、元いた世界の物語では見飽きたと言っていいほど見ている。大抵の場合、この後待ち受ける展開は………
(やべぇ。ラノベとかだと、こういう時に限って、絶対何かしらのトラブルが起こるんだよな……)
しかし、その時——
「……あっ。」
迅の視界の端で、小さな生き物がチョロチョロと動いた。
よく見ると、それは一匹のリスだった。
しかし、そのリスが口にくわえていたものを見た瞬間、迅の心臓が跳ね上がった。
「おい待てゲッ歯類!!! それは俺の研究ノートだ!!」
迅が机に置いていた、大事な『科学×魔法の研究ノート』を、リスがくわえて逃げようとしているではないか。
迅は全速力でリスを追いかけた。
「いやホントやべぇって!! それ、めちゃくちゃ大事なやつなんだよ!!」
リスは素早く枝の上を駆け抜けるが、迅も負けじと飛びつく。
そして——
ズルッ——
足を滑らせ、見事に崖から転げ落ちる。
「おわぁぁぁあああ!?!?!?」
風を切る音と共に、迅は無防備な姿勢で泉へ一直線に落下した。
ザッパァァァァン!!!
静かな森に響く、大きな水音。
そして、それを聞いたリディアの視線が、ゆっくりと泉の方へ向く——。
彼女の表情は、穏やかな森の空気とは裏腹に、とてつもなく恐ろしいものへと変化していくのだった——。
「…………………………え?」