第1話 高校生科学者、異世界に立つ
眩い光が視界を覆い尽くす。
意識が、一瞬だけ途切れたような感覚がした。
「——召喚は成功しました!」
耳をつんざくような声が響く。
光がゆっくりと収束し、九条迅の視界がクリアになった。
そこは、彼の知る世界とは明らかに違う場所だった。
広大な大理石の床、天井に吊るされた豪華なシャンデリア、壁一面に刻まれた荘厳な紋章。金色の装飾が施された柱がいくつも並び、その間に甲冑をまとった騎士たちが整列していた。
そして、その中心——王座の前に、彼を取り囲むように数十人の人間が集まっていた。
「おお……ついに、勇者殿が!」
ざわめきが広がる。驚きと歓喜が入り混じったような声が、次々と飛び交った。
「……ん?」
九条迅は一瞬、目をこすった。
ついさっきまで、自分は日本にいたはずだった。科学オリンピックの帰り道、飛行機に乗る直前だった記憶がある。荷物を確認して、ゲートを通過し——そして次の瞬間、ここにいた。
(……え? なんで急に中世ヨーロッパ風の宮殿にいるんだ?)
頭が混乱する。だが、こういう時こそ冷静に情報を整理するべきだ。
「……さて、これはどういうことだ?」
迅はゆっくりと息を吸い、周囲をじっくりと観察した。
甲冑を着た騎士たちは、腰に剣を携え、こちらを注視している。
ローブをまとった魔法士らしき人々が、驚きと期待が入り混じった表情を浮かべている。
そして、目の前——玉座に鎮座する男がいた。
長く白い髭を蓄え、立派な王冠を戴いた老人。
気品と威厳を兼ね備えた姿は、どう見ても“王”としか思えない。
「うむ!」
その男は低く重々しい声で言った。
「そなたこそ、我が王国の救いとなるべき勇者である!」
その一言に、迅は直感した。
これは「異世界召喚」だ、と。
まるでライトノベルのような展開。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、目の前の光景は紛れもなく現実だった。
言葉が通じるのは、召喚の際に自動翻訳の魔法がかけられているのか、はたまた、意図的に『言語系統が同じ別の世界』に召喚されたのか。
迅は深く息を吐き、腕を組んだ。
「ここは『アルセイア王国』じゃ。そなたは我らが召喚術によって、この世界へ呼び寄せたのじゃ」
(召喚術、ねぇ……)
科学者の性である。
迅はこの時点で、すでにこの「召喚」という現象について、仮説を組み立て始めていた。
(ワームホール的な空間転移? それとも何らかの量子トンネル効果による物質転送? いや、それならエネルギー消費が桁違いのはず……)
現時点で判断材料が少なすぎる。
だが、少なくとも“何らかの方法で、自分は異世界に飛ばされた”という事実だけは変えようがなかった。
「それで、なんで俺が?」
迅は率直に尋ねた。
王は自信満々に答える。
「おぬしは、強き魂を持つ者……勇者として選ばれたのじゃ!」
(根拠ゼロかよ。もうちょっと科学的に説明してくれよ……)
迅は肩をすくめた。
「おいおい、いきなり勇者とか言われてもなぁ。俺、剣も魔法も使えねぇぞ?」
「えっ……?」
空気が凍りついた。
王と側近たちが顔を見合わせる。
「い、いやいや、そなたは神託により召喚された勇者なのだ! 魔王軍との戦いに力を貸してほしい!」
魔王軍——その単語を聞いた途端、迅は思考を切り替えた。
(つまり、こいつらは“異世界人を強制的に呼び出して、戦わせる”っていう非人道的な行為をやってるってわけか。)
言い方を変えれば、これは一方的な拉致に近い。
目的はどうあれ、本人の意思を無視して異世界に召喚し、戦わせる。
迅はふっと笑い、目を細めた。
「おいおい、どういうつもりだよ?いきなり召喚するって事は、俺の意思は完全に無視って事か?」
「いや、その……そう言われるとそうなのじゃが……」
「と、とにかく、そなたは偉大なる力を持っているはず……!」
王の必死の説得に、迅はニヤリと笑った。
「まぁ、力があるのは否定しないけどな。」
王たちが身を乗り出す。
「俺が得意なのは、剣でも魔法でもなく——科学だ。」
「……?」
宮殿中が静寂に包まれる。
迅はため息をつきながら、改めて周囲を観察した。
(この宮殿の構造、光の入り方……人工照明じゃなくて、窓の配置を工夫して光を取り入れてる? 兵士たちの武器も、鉄製だけど均一な加工がされてない。つまり、冶金技術もそこまで進んでない。)
(科学技術レベルは……中世よかちょい進んでるくらいか。)
「なるほどな。」
迅は口角を上げた。
状況は大体掴めた。
この世界において、自分の知識は間違いなく“異質”であり——それはつまり、“使える”ということだ。
「おい、ここの魔法ってどんな感じで使うんだ?」
「……え?」
唐突な問いに、王は一瞬言葉を失う。
周囲の貴族や魔法士たちもざわついた。
驚くのも無理はない。
勇者として召喚された者が、魔王軍との戦いより先に魔法の仕組みに関心を示すなど、前代未聞だったのだろう。
だが、迅にとっては至極当然のことだった。
目の前に、「未知の法則」がある。
そして、それを「解明できる可能性」がある。
科学者として、そんなものを前にして興奮しないはずがない。
「いや、せっかく異世界に来たんだ。魔法のメカニズムくらい知っておきたいだろ?」
迅は軽く肩をすくめて言った。
王は戸惑いながらも、隣にいた老賢者に目配せする。
「……ロドリゲスよ、勇者殿に魔法をお見せせよ」
「……はっ!」
前に進み出たのは、白髪の長髪を背中に流し、威厳を漂わせる老人だった。
ローブの裾を翻し、杖を握るその姿には、長年の鍛錬を重ねてきた者だけが持つ風格がある。
その名は——ロドリゲス・ヴァルディオス。
迅の目にも、彼がこの王国において相当の地位にあることは明らかだった。
「では……ご覧に入れましょう」
ロドリゲスは静かに呪文を紡ぐ。
「"炎の矢"!」
瞬間、杖の先に炎が灯った。
それはふわりと宙に浮かび、まるで意志を持つかのようにゆらめく。
橙色の光が大広間の装飾を照らし、壁に炎の影が踊った。
「おおお……!」
宮殿に響く感嘆の声。
貴族たちの顔には尊敬の色が浮かび、騎士たちは静かにその力を見守る。
しかし——
「……ふーん」
迅だけは違った。
彼は炎の揺らぎをじっと観察し、ゆっくりと前に歩を進める。
その目は、まるで顕微鏡を覗き込む科学者のように真剣だった。
(炎の大きさは一定、浮遊している……ってことは、周囲の空気に影響を与えてる?)
迅は手をかざし、じっくりと温度を確かめる。
(思ったより熱くない……これは単なる酸化反応ではなさそうだな)
彼の頭の中では、膨大な数の仮説が生まれては消えていく。
理論を検証し、可能性を絞り込み、さらなる情報を求める。
(くそっ、もっと詳しく調べてぇ……!)
鼓動が速くなる。
新たな研究対象を前にした科学者の本能が、歓喜と興奮で震えていた。
これが魔法。
エネルギーを操る技術。
それが目の前に、確かに存在している——!
「すげぇ……」
思わず言葉がこぼれた。
その一言に、貴族や魔法士たちが驚いたように顔を上げる。
冷静沈着だった青年の表情に、はじめて純粋な興味と好奇心が浮かんでいたからだ。
「もっと詳しく見せてくれ!」
その熱を帯びた声に、ロドリゲスは一瞬たじろいだ。
「な、なにをそんなに興奮しておるのだ……?」
だが、迅はそれを気にも留めず、さらに矢継ぎ早に問いかけた。
「エネルギー源は? 酸化反応? プラズマ? 何が燃えている? 炎の維持に必要な熱量は? 燃焼の持続時間は? 空間中の成分比率は?」
その勢いに、ロドリゲスは完全に押される。
迅の目は、まるで新しい未知の分野を発見した研究者そのものだった。
宮殿の誰もが、この青年の異様なまでの執着に戦慄すら覚える。
しかし、そんな迅の問いに、ロドリゲスは一言で答えた。
「魔法じゃ」
「……あ?」
「魔法だから燃えておるのじゃ」
「いや、だからその魔法がどういう仕組みで——」
「魔法だからじゃ」
「……」
迅は無言で頭を抱えた。
(ダメだ……こいつら、魔法を科学的に考えたことが一度もない……!)
これは文化の違いだ。
この世界では、魔法は“あるもの”として受け入れられ、それを疑問視するという発想すらない。
まるで、地球で「重力とはなぜ存在するのか?」と日常的に考える人間がほとんどいないのと同じように。
しかし、それすらも楽しくなってきた。
(つまり、俺はこの世界で“最初の科学魔法研究者”ってわけか!?)
迅は口元を歪め、ニヤリと笑う。
「詠唱の言葉を変えたらどうなる?」
「言葉を変える? それはありえぬ! 魔法は神より授かった神聖なもの。詠唱は絶対じゃ」
(いやいや、呪文ってつまりは制御コードみたいなもんだろ? なら、変えられる可能性はあるはず……)
確信した。
魔法には法則がある。
ならば、それを解析し、最適化することも可能なはず。
——つまり、魔法を科学で解明し、進化させることができる。
「よし、決めた」
迅は目を伏せ、くくっと笑い声を漏らした。
次の瞬間、鋭い目を王とロドリゲスに向け、宣言する。
「俺が、この世界の魔法を“進化”させてやるよ」
「……!!」
宮殿中に、衝撃が走る。
魔法を、進化させる?
この世界に存在する根源の力を、変えるというのか?
ロドリゲスも貴族たちも、何か信じられないものを見るように迅を見つめた。
だが、迅には確信があった。
魔法と科学が融合すれば、今まで誰も考えなかった“新たな力”を生み出せる——!
こうして、九条迅の異世界魔法科学革命が幕を開けた。