7.仮病はひどい
夏休みの最初の一週間が始まる。
学校の全員一律の夏期講習は七月一杯続く。その間は一学期の延長戦のようなものである。八月以降は個人の補習や特別コースが始まる。
朝は光流んちに行って元気にあいさつして、希夢ちゃんとも一緒に学校に行く。
「水曜日、天気も良くてすげー暑いらしいぜ、楽しみだな光流!」
「俺まだ行くとは言ってないから」
「もうキャベツと焼きそばも買ってるんだぞ、好きだろ光流、焼きそば」
「日除けと飲み物だけで十分だろ、どんだけ遊びたいんだよお前」
「光流ってそんな焼きそば好きなの? 知らなかった、さすが親友って感じだね」
「焼きそば嫌いな奴居るかよ」
「いけね、俺始業前に生物のノート写させてもらうんだった、お先に!」
そして必要以上に二人の邪魔になる前に、説明的な台詞を残して走り去る。
夏期講習は真面目に受ける。補習なんか喰らったら予定が台無しだからな。火曜の小テストで赤点を取ったヤツは水曜も登校なのだ……先生も大変だな、マジで。
光流や希夢ちゃんは大丈夫だよな? 二人とも学力は学年上位グループのはず。
しかしその火曜日。事件は起こった。
「元気、電話よ! 同じクラスの秋星さんから」
ちょうど部活を終えて帰った来たタイミングで母さんにそう言われた時は、内心めちゃくちゃテンションが上がった。学園一の美少女から電話だって!?
本当はライムで繋がってたらいいんだけど、希夢ちゃんは男子にライム教えないって噂だからね。俺は家電の受話器を廊下の隅に持って行く。
「オレオレ、元気。希夢ちゃんは元気?」
『あは、あの、夏平くんは元気だけど、光流が元気じゃなくなっちゃって……』
ここまで来て。ここまで来て面倒くせえからって、仮病を使ってまで海へ行く約束をキャンセルするのか!? 希夢ちゃんに電話させてまで!
いや、そんな訳はない。光流は無愛想な主人公だが、決して鬼畜な主人公ではないはずだ。俺が知っている光流はそこまて酷い奴じゃねえ。
「ごめん母さん、ちょっと出掛けて来る!」
「ロードワークでしょ? 9時には食べられるようにしておくわよ、晩御飯」
俺は慌ただしく準備をして、家を飛び出して行く。
電話を切った5分後には、俺は春月家のインターホンのボタンを押していた。鍵はすぐに開き、Tシャツとショートパンツ姿の希夢ちゃんが出て来る。
「良かった元気君、今日はおじさんもおばさんも居ないの、私どうしていいか解らなくて」
光流は自分の部屋で寝込んでいるのだが、希夢ちゃんには入るなと言っているらしい。
希夢ちゃんも同居しているとはいえ、血の繋がってない異性の部屋だ、相手が拒んでいるのに無理に押し入るのは気まずいのだろう。
希夢ちゃんが下宿をする前は、俺もこの家に何度か上がった事がある。俺は迷わず二階に駆け上がり、光流の部屋の扉をノックする。
「光流、俺だ、夏平だ、入るぞ」
鍵のかかってない扉を開け、俺は勝手に部屋に入る。
「ゲホッ、ブッ……笑かすなよ」
「何が面白いんだよ……あ、ガラにもなく夏平だって言ったのが? だってお前、元気じゃないんだろ」
光流は寒そうにタオルケットにくるまって、ベッドに横たわり背を向けている……部屋のエアコンは消えてるし、夜とは言えまだ暑いのに。
「熱があるんだろ。計ったのか? 希夢ちゃん、体温計を……」
扉の所からこちらを覗き込んでいた希夢ちゃんが、素早く体温計を差し出す。俺はそれを受け取って光流に近づく。
「寄るな、伝染るぞ……ゲホッ」
「いいから熱計れよ、汗も酷い……なのに寒気もひどいのか?」
ベッドのシーツもびしょ濡れだ、これでは気持ちが悪いに違いない。
「希夢ちゃん、バスタオルを何枚か持って来て、光流、QS-1のゼリー持って来たから飲めよ」
「……飲みたくねえ」
「それだと脱水症状を起こすんだよ、飲まないと無理矢理飲ますぞ」
「マジかよ……」
俺は光流がゼリー状の経口補水液を飲めるよう、上半身を支えて起こしてやる……ふと見ると、希夢ちゃんはまだ戸口でこちらを見ていた。
「えっと、ごめん希夢ちゃん、バスタオルを三、四枚持って来てくれないかな、光流の汗を拭いて、それからベッドに敷いてやりたいから、なるべく大きなのを」
「えっ……ああっ、今持って来るね!」
俺の声、小さかったかな。だけど今度は聞こえたのか、希夢ちゃんはすぐに階下に降りて行った。
「海、行きたかったんだろ、希夢と。行って来いよ。なんなら他の誰かも誘って」
どうにかQS-1ゼリーを飲み込んだ光流は、虚ろな目でそう言う。
「馬鹿、お前が……」
―― バタバタバタバタ!!
俺が口を開こうとしたその時、希夢ちゃんは凄い勢いでバスタオルを抱えて戻って来た。
「こっ、これで足りる!? タオル!」
「あ、ありがとう」
俺は投げ出すように置かれたバスタオルを拾い集めて光流の所に戻り、濡れたシーツを剥がしてタオルを敷いてやる。
「お前が来なきゃ意味ねえよ……着替えた方がいいな、肌着はどこだ?」
「クロゼットの……下の棚に」
「……ああ、あった。これでいいか」
「ゴホ、ゴホ……」
「着替える前に汗拭いてやるよ、上脱いで」
「ゴホ……待て元気」
さて……俺に身体を拭かれるのが嫌なのかと思いきや。光流は戸口の方を指差す。
「そこ閉めて」
俺は再び戸口に向かう。希夢ちゃんはすがるような目で俺を見上げている……ごめんよ、光流にもまだ希夢ちゃんに対する遠慮があるのだろう。俺は黙って、扉を閉める。