40.強敵と書いてともと読む
コースでは男子1500m自由形の競技が始まる。これは予選なしの一発勝負だ、時間の都合で一斉スタートせず、コースが空いたら次の選手が入って泳ぎ、タイムだけで競う孤独な競技である。
この時間が皆にとっての昼休みになる。スタンドの観客の一部が、いや大半が外に出て行く……親睦大会という事もあり、青友学園の学食の利用を楽しみにして来ている人も多いのだ。
「早く行って席を確保しねえと」
「いや、教室も解放してくれてるらしいぜ」
先ほどまであんなに熱の篭ったパフォーマンスをかましていた富嶽の応援団までも、カフェテリア形式の青友の学食へと連れだって行く……富嶽の選手も泳いでるけど、応援しなくていいの?
午後は午前に行われた各競技の決勝が行われる。だから予選で落ちてたらたらふく飯を食ってもいい訳だが、俺は弁当は持って来なかった。昼はエネルギーバーとドリンクだけだ。
顧問は俺が壁を超えたって言うけど……俺、いままで毎日ドカ飯食った体でタイム計ってただけなんじゃないか? 筋肉痛もずっと続いてたしな。ここ数日は顧問の指示通りほとんど筋肉を使っていないので、今は体全体がすっきりしている。
俺はふと、周りを見る。
青友水泳部では、個人競技の決勝に残った選手のほとんどは昼を軽食で済ませるようだ。
他校は親善水泳大会でそこまで詰めて来ない。普通に学食を食いに行った奴、持って来た弁当を食ってる奴が結構居るように見える。
スタンド席に集まり家族で弁当を広げてる家もある。小学校の運動会を思い出すなあ。俺の父さん母さんにも見に来て欲しかった。記念日じゃ仕方ないけどさ。
ん? 天草も一人で残っているようだ。握り飯とからし蓮根を交互に貪り食っている。いや、そんなに食って大丈夫かよ? それでパフォーマンス発揮出来んの? マジ化け物だなこいつ……俺は何となく、天草に近づく。
「……なつだいら」
天草が俺の視線に気づき、顔を上げた。
「ぬしゃめしばくいぎゃいかんとか。ぺっぴんといっしょやなかとか」
相変わらず何を言っているのか解らないが、俺は想像をつけて答える。
「言っただろ、共学だからってなめんな、俺は女にモテねえ。俺に出来る事は、女にモテる友達の後についていく事くらいだ」
俺は天草の声が聞こえる程度には近い壁際に座り、エネルギーバーの包みを開ける。
「俺の幼馴染にそんな奴が居てさ。俺は何とかそいつの親友になろうとしてるんだが、そいつはすぐ俺の顔も名前も忘れちまう。だから俺は一生懸命そいつにウザ絡みをするのさ、そいつに忘れられないように」
天草は少しの間俺の顔を見ていたが、やがて何を言ってるのか解らんという風に首を振り、自分の飯の方に視線を向けた。
こちらばかり揺さぶられるのも悔しいので、俺はエネルギーバーをかじりながら奴に揺さぶりを掛けてみる。
「お前、本当はモテるんだろ? 背は高いしイケメンだし、なんたってインターハイ王者だからな」
エネルギーバーは一瞬で無くなってしまった。ちょっと少な過ぎたかな。
「……おいは島のぶんこうそだちばい。しょうがくもちゅうがくもとしのちかいおんなばおらんだった。おいには海とおよぎしかなか」
奴は次の握り飯を掴みながら続ける。
「せいゆうんことはほんでしった。ほんにのってるせいゆうんせんしゅは、きらきらしたべっぴんにかこまれて、ピースばしとった。おいは島ばでておよぎばつづくるなら、ぜったいせいゆうがよかていいはった。せいゆうがだめなら島にのこってりょうしになると。父ちゃん母ちゃんな、おいんためにしごとばやめてついてきてくれた……それなんにおいは……グスッ……しけんにおちた……」
天草はそう言って涙で声を詰まらせて俯く……待て待て待て! なんか俺、事前の心理戦に圧勝した狡猾な選手みたいになっちゃうじゃん!
俺は少し奴に近づき、小声で言う。
「だけどお前はインターハイで勝ったんだ、日本一になったんだろ、故郷の人達だってめちゃくちゃ喜んでるんじゃないのか、親御さんだってお前を誇りに思ってる、そうだろ? 午後は個人競技の決勝だ、お前は凄い奴だ、でも俺だって簡単に負けるつもりはないからな……お前、海は好きか?」
天草は顔を上げてこちらを見る。
「……海はすいとる」
「俺も辛い事があるとよく海に行くんだけどよ、俺、小さい頃海で溺れて死に掛けた事があって、10歳くらいまで、怖くて水に顔をつけられなかったんだぜ」
天草は二度、真顔で瞬きをしてから、鼻息を漏らしてそっぽを向く。
「そらーなかろう……ふ、ふ」
「あー冗談だと思ってるな、マジだって! 俺は泳ぎが苦手だから水泳部に入ったんだ、つまりだ、俺はそれだけ努力してここまで来てるんだよ。ただのサル顔のチビじゃないんだぜ。だからお前も自信とかプライドとか、全部出して戦えよな」
俺は奴にそう言って、元の位置に離れる。やれやれ、敵に塩を送っちまった。天草はきょとんとして俺を見ていたが。
「ぬしもそぎゃんはいからなビスケットひとつじゃたりんぞね。こればくえ」
「え、いいよ、お前のだろ」
「いいから」
奴はそう言って、握り飯一つとからし蓮根一切れをくれた。確かにちょっとエネルギーバー一本は少な過ぎた気もするし、ありがたくいただくとしよう。
男子自由形1500mが終わった。ただちにタイムが集計され、表彰が行われる……優勝は青友の、水泳部に在籍しているが本業はトライアスロンでいつも黙々と遠泳の練習をしている、一匹狼の新橋先輩だった。夏休みは個人で全国各地の大会を転々としてるので、プールには滅多に来ない。
「夏平お前いつの間にそんな速くなったんだ?」
「今年も派手に焼けましたね、先輩……」
そして昼休みが終わり、自由形50m女子、男子と、決勝が行われて行く。
決勝はきちんと選手入場があり、放送ブースからのコールがある。俺が初めて青友水泳祭の、水泳の大会の決勝のスタート台に立てたのは去年だ。
1コース、夏平くん。放送係にそうスピーカー越しに呼ばれた時は、涙が込み上げて来て、慌ててゴーグルをつけ直したっけ。
『男子100mバタフライに出場する選手は、入場口に整列して下さい』
おっと、俺の出番だ。
去年100m平泳ぎで出た時は予選8位、決勝も8位だった。だけど今年は予選1位、堂々の優勝候補だ、泣く訳にはいかない。
「行けー夏平ァ!」「ナツー!!」
「富嶽! 富嶽!」「富嶽の根性見せろォォ!」
バタフライでリレーに出て来た富嶽の選手は6コースに居た。俺は4コースだ……チラ見をした俺に気づいたそいつは、5コースの選手を挟んで真っ直ぐ俺に向き直る。
「リレーの仇だ、お前にだけは負けねーからなァァ!」
―― ウォォォォォオオ!!
派手なアピールに、富嶽の応援団が盛り上がる……勘弁してくれ。
「用意」
スターターの短いホイッスルと共に、俺は跳ぶ……!
『一位、夏平選手、青友学園。二位、豊川選手……』
あっという間の100mが終わった。6コースの奴が俺とほぼ同時にターンした時は少しだけ焦ったが、俺はペースを崩さなかった。その富嶽の選手は勝敗度外視で前半ぶっ飛ばしたせいで、結局着外に終わった。何でそこまで……
俺はスタンド下の控え席に戻ろうとしたが。
「君、こっちだよ」
係をしていた他校の先生に肩を掴まれ、表彰台の方に連れて行かれた。ああそうだ、個人競技の表彰式はすぐやるんだった。
俺は表彰台の真ん中に立った。そういやここに立つのは初めてだな。
「一着おめでとう」
「あざ……ありがとうございます」
俺はプレゼンターの校長先生からメダルを受け取る。俺、金メダル貰うの初めてだな。柔道でも教室の大会の銅メダル止まりだったし。
客席からまばらな拍手が飛ぶ。二着の奴は親に写真を撮ってもらっている。
俺も撮ってもらいたかったな。ていうか誰か撮ってくれよ、光流はスタンドの上の方でぼんやり見てるし、早川達は仲間内で何か喋ってる。頼むよ。スマホぐらい向けてくれよ。




