38.400mリレー前編
青友水泳祭は粛々と進む。とにかく参加者の多い大会なので、参加できる種目は一人三つまでに制限されている。
俺は個人では200mメドレーと100mバタフライ以外は出ない。天草もどうやら200mメドレーと100m背泳ぎ以外出ないらしい。つまり、奴は400mリレーに出て来る。
―― おいは、ぬしらんおよぎんすべてばひていしちゃる
それはきっと、そういう事だよな。富嶽に天草以外の選手がどれだけ居るか解らないが、こっちもインターハイ落選組しか居ない。
天草は平泳ぎで出るのか? 個人の平泳ぎ種目には出ないとは言っていたらしいし、実際奴は背泳ぎで出て来たが、一方個人メドレーは出ているので平泳ぎをする気が全くない訳ではない。
平泳ぎのインターハイ参加基準タイムは1分4秒台後半。こっちはそれに届かなかった集団だ。インターハイ王者は1分1秒台とかで泳ぐ。
そして、俺の平泳ぎ100mのベストタイムは1分8秒台である。遠い昔に出したタイムなどではない、さんざん練習して体を鍛えまくって、ほんの二週間前に必死で削り出したタイムだ。
7秒差って、距離にすると10m以上なんだよな……5m以上リードしてバトンを受け取っても、ターンまでに追い抜かれて戻って来た時には5m以上リードされているという事だ。
嫌だ……そんな奴と当たりたくない……そんな奴と対戦させられたら、自分の全てが否定されてしまう。
「元気。元気ねえぞ」
うわっ! コースを見つめて俯いていた俺は斜め後ろから声を掛けられて小さく飛び上がる! 振り向いた俺が見たのは、真顔の光流だった。
「光流!? な、何だ、見に来てくれたのか!?」
「宿題も終わったし、ヒマだから。それでどうなんだ、もう出番終わったのか?」
光流はいつもと変わらず、少し眠そうな様子でぼんやりと辺りを見回している。畜生なんだか癒されるぜ、こいつはいつだって、いつも通りだ。
「あのさ、折り入って頼みがあるんだけど」
「断る」
「話ぐらい聞いてくれたっていいだろ! なあ光流、俺と替わってくれ、俺の代わりに400mメドレーリレーに出てくれ」
「何で? お前今日の為にずっと頑張って来たんだろ」
「お前ならきっとあの化け物にだって勝てる、頼む替わってくれ、俺はあいつと戦うのが怖いんだ!」
当然、無碍に断られる。俺はそう思っていたのだが。光流はズボンのポケットから折り畳んだ紙を取り出して広げてみせる……入部志願書? 光流の名前も書いてある!?
「な……何だよ、それ」
「これを水泳部の顧問に提出したら、俺も出れるようになるんだろ? 大会」
光流は真顔で、俺の目を見ていた。
「いいよ、代わってやるよ」
「はは、は……驚いた、面倒くさがりのお前が、わざわざそんな物まで用意して来てくれるとは思わなかったわ」
「何だ? いらないのか」
俺は恰好を崩して笑う。光流は真顔のまま紙を畳んでポケットにしまいなおす。
「最後に恥をかく所までやってこそ努力だよな。ありがとよ光流、今までで一番元気出たわ」
やっぱり、こいつは主人公だな。普段はつれなくしていても、本当にいい所でいい事を言ってくれるぜ。お前の悪友をやっていて本当に良かった。俺は光流の肩に手を置く……
「待て夏平、奴が見てる!」
光流は小声でそう言って、自分の体越しに背後のスタンドの最前列を指差す。
光流に言われるまで気づかなかったが、そこには酷く怪しい奴が居た。大きなキャスケット帽子を被りサングラスを掛けマスクをして、真夏にスカジャンを着込みバズーカー砲みたいな超望遠レンズを備えた三脚付きカメラをこちらに向け、ファインダーを覗き鬼シャッターを切っている不審者、たぶん秋星希夢が……
俺は慌てて光流から手を離す。
「やっぱり俺は急病で倒れる、俺の代わりにチームリレーに出てくれ、頼むよ」
すがる目を向ける俺に、光流はつれなく背を向ける。
「お前が俺を信じてると言うのなら、俺の言葉も信じろよ。勝てるよ元気」
大量の選手による各個人競技の予選が終わる頃には、時刻は午前11時半を過ぎていた。これから短い休憩を挟み四校対抗の女子400mメドレーリレーが、そして六校対抗の男子400mメドレーリレーが行われる。
この競技は例年は青友の独壇場になる。水泳が盛んな学校は他にもあるが、インターハイ組に準じる泳力のある選手を四人並べられるのは青友だけだ。正直、俺がここに入れるとは思わなかった。
実際女子のリレーは第一泳者から大差をつけ、青友が圧勝した。
「アンタ達のばーん」
「おめっとさんス」
大して仲の良くない青友水泳部の男女リレーチームは、軽い挨拶をしてすれ違う。リレーには予選などない、本選一発勝負だ。
各選手の持分は100m、一人目は背泳ぎ、それから平泳ぎ、次はバタフライ、最後は自由形だ。片道50mの長水路なのでスタート位置は全員一緒で、選手はその順番に並ぶ……
「……ぬしがあいてか」
マジか……天草は得意の平泳ぎの第二泳者ではなく、自由形の第四泳者で出て来た……!
†
「ナツ。お前はどの競技で出たい? 平泳ぎで天草と勝負するか?」
「かッ、勘弁して下さい、俺平泳ぎそんな得意じゃないスから!」
「そうか? まあ平泳ぎなら熱田が居る。よし、自由形で出るか」
「自由形なら大垣先輩の方が……あの、バタフライじゃだめなんですか」
「何となくだが、天草はお前をマークしてる気がする。お前個人でバタフライ出ただろ? 奴はお前に合わせてバタフライで来るかもしれない」
「じ、自由形で出させて下さい!」
†
そんな顧問との密談が完全に裏目に出た。
「おいはぬしとたたかおごたった。よかった」
天草は最初だけ俺の方を見たが、あとは前を向いたままそう言った。
「あの……なんでお前、俺なんか意識してんだよ、俺はインターハイにも行けなかった補欠選手で、だからここに居るんだ、お前が意識すべきは既に世界と戦ってるような同世代の一流選手だけだろ」
「おいには、やおいかんことはわからん」
すまん……俺にはお前の方言がよく解らない……
「ばってんおいは海でぬしばみた。ぬしはすごかべっぴんとやきそばばくいよった。べっぴんがくいよったかきごおりばのみほしとった。おいはそればたいぎゃうらやましかおもうた」
海、べっぴん、やきそば……ああ……あれをどこかで見てたのか、こいつ。だけどあれは俺の人生の中の奇跡のハイライトなんだわ、あんな事二度とねえよ。
「あの人青友の水泳部だぞ。インターハイにも出た選手で怖い先輩なんだ、べっぴんさんなんてもんじゃねーよ」
「ぬしはかきごおりばのみほしたあとで、むちゃくちゃおよぎよった。おいはそのひ……れんしゅうばつろうとにげだしとった。海ばみてめそめそなきよった」
天草はそう言って、少し俯いた。
そうか。こんな化け物みたいな奴でも、練習は辛いのか。
「おいにはしんじれんだった。あぎゃんべっぴんばほうりだしておよぎつづくるぬしが。はまのみはりのもんがはなしよった。あっがせいゆうんせんしゅやと」
ほんとごめん、わからん。
「そいでおいはたちなおった、ぬしがうらやましゅうてたちなおった。おいがインターハイでかてたんなぬしんおかげや。やけん、おいはぬしばかならずやっつくる。おいはそのためにつらかれんしゅうばたえてきた」




