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37.THE FIRST HEAT

「200m個人メドレー予選最終組、スタート台へ」


 俺は5コース、天草は4コースだ。

 スタンドの歓声が高まる……などという事はない。青友水泳祭は頑張って来た奴らとその友人、親御さんの為の大会であり、主役は選手一人一人なのだ、有力選手が泳ぐからといって注目したりはしない。この雰囲気を守る為、青友のインターハイ組は出ないのだが。


「ウォォォォ! 天草が出るぞォォォ!!」「天草行けーやっちまえ!」


 しかし。スタンドの一角に陣取る、詰襟の制服を着込み数ミリまで刈り込んだ頭に揃いの鉢巻を巻いた富嶽実業応援部から、野太い声が上がる……!


「青友に負けんなァァア!」「富嶽の意地を見せろ天草ァァ!!」


 富嶽の応援団は真に迫った雄叫びを上げ、パフォーマンスを始める……その様子は誰かにやらされてるとか、付き合いでやっているという物ではない。皆心の底から天草の勝利を願っているらしい。

 あいつらも天草の境遇に同情してるのかな……ヒールだな、俺達。俺がつい、そんな事をふと考えてしまった瞬間。


「夏平ァ! 気合い入れてけー!」

「夏平ーッ! いいとこ見せてやれー!」


 スタンドで二人の男がそう叫んだ……あれは早川と根府川だ、夏休み前にはよくつるんでいたし、肝試しの時も一緒だった奴らだ。あいつら、貴重な夏休み最終日にわざわざ応援に来てくれたのか。

 そうだ。俺だって一人じゃない、俺に勝って欲しいって思ってる奴も居るし、天草の復讐に付き合う筋合いはない。


―― ピィィィーッ!


 長いホイッスルの合図で、俺も天草も、個人メドレー予選最終組の他の猛者共も、スタート台に立った。


「用意」



―― ピッ!


 俺は合図と共にスタート台から水路に飛び込む、個人メドレーの最初の競技はバタフライだ、この夏俺が一番頑張った泳法だ……だけどストローク一つごとに、奴の、隣で泳いでる天草の体は俺より前に行く……畜生! 先輩や仲間に言われていた事は解るんだけど、やっぱり先に行かれるのは腹に据えかねる。だめだ、抑えろ夏平、先輩の言葉を思い出せ!


―― 勝てよ、ナツ


 俺の脳裏に千市先輩の真剣な視線が蘇る……違う、今俺が思い出したいのは六年生の……誰だっけ……あ……もう脳に酸素が行ってない……

 壁が迫って来た。


「天草ァァー!」「ナツー!!」


 ターンの瞬間、少しだけ歓声が耳に入って来た。天草はもう体一つ分前に居る……居ない? あいつどこ?

 次は背泳ぎだ、ボーッとしていてはいけない。背泳ぎ自体はあまり得意ではないがバサロ泳法はさんざん練習して身に着けた。15mロープギリギリまで、タイムを稼がないといけない……


「ナツ行けー!」「こっからじゃ天草ァ!!」


 バサロを終え浮上すると再びスタンドの声が耳に入って来る……天草はどこだ? 全く見えない……


「夏平さぁぁん!」


 あっ……今誰か女の子が、女の子が俺の名前を呼んだ? マジ? 初めてだこんなの、水泳やってて初めてだ! これもこの大会を盛り上げてくれている天草のおかげかな……つーか今の声冬波じゃないか? いやそんな、あの物静かな冬波がまさか……


―― 御願いします夏平さん。乳首を吸わせて下さい


 あのさ俺、今それ思い出す必要ある……? おっとやべえ、もうターンだ!


「突き放せ天草ァァ!」


 ターンの瞬間、またスタンドの声が聞こえた。天草は……僅かだが俺より後ろに居た。どういう事だ? いやそんなの解っている、奴は力をセーブしていたのだ!

 予選はあくまで予選でしかない。もちろん日本記録でも出せば記録として語り継いで貰えるかもしれないが、そうでなければどんなに速く泳いでも意味がない、必要なのは決勝に出られるタイムだけなのだ。既に一流選手である天草は、ちゃんとそういう泳ぎをしていたのだろう。


 次は平泳ぎ。これは本来は俺の得意泳法だ。

 海外選手と比べたら小柄な日本の選手が、二大会連続で金メダルを獲ったのはこの泳法である。俺も決して背が高い男ではないので、この種目に賭ける気持ちは少なくなかったのだが……


 次元が、違った。


 あれがインターハイトップのスピードか。俺より少し遅れてターンしたはずの天草はすぐに俺より前に出て、そのまま俺を突き放して行った。

 平泳ぎでは他の泳者の姿が、見たくなくても見えてしまう。一掻きごとに、天草は俺を置き去りにして行く。


 俺に出来る事は、真面目に泳ぐ事だけだった。



 自由形を終え、俺は二位でゴールした。一位とはかなりの差のある二位だった。


「天草ァァー!」「天草! 天草!」「いいぞ天草、お前が最高だァァあ!」


 スタンドの富嶽実業応援団が盛り上がる……畜生……青友の応援席は静かだ。みんな夏休み最後の日に、わざわざ見に来てくれたのによ。


「夏平、良かったぞ、ベストの泳ぎだ、奴の尻に火をつけてやったな」


 水から上がった俺に、六年の先輩が囁く。

 そんな風に言って貰えるのは嬉しいけど、先輩はこの後も競技のある俺を気遣ってそう言っているのだと思う。


 解っちゃいたけどさ。

 インターハイ王者と俺。その実力差は歴然だった。


「……ナツ!」


 顧問も、俺の元にやって来た。


「見ろ、奴の平泳ぎ50mのタイムだ」


 顧問はそう言ってストップウォッチの画面を見せる。そこにはえげつない数字が表示されていた。これが田舎の水泳祭のタイムかよ……


「お前がバタフライと背泳で焦らせたからだ、何せそこまではお前がリードしてたからな、奴には完全に想定外だったんだろう。夏平! お前の練習量は絶対に奴に負けてない! 俺は競技者の端くれに過ぎないが、お前ほど努力し厳しく自分を追い込んで来た奴を他に知らん! お前には努力という余人にはない大きな才能がある、今日の勝敗に関わらず、その事だけは決して忘れるな」



 競技会は続く。俺はバタフライ100mにもエントリーしていたのでそれに出る。天草は出ていない。


 さて、富嶽実業のプールは屋外の短水路だけなので、水泳の実習は夏しか出来ないはずなのだが。


「富嶽は天草だけと思うなよ! 青友! 俺はお前らに勝つぞ畜生!」


 富嶽の水着を着たモブ顔の男が、予選のコースロープ越しにそう言って来た。俺はその男に親近感を覚えながらも、負けられないという思いを新たにする。


「用意!」


 しかし終わってみるとそいつの順位は同組8位、ビリだった。お前、啖呵切るならせめてちゃんと練習してから来いよ。

 俺はこの競技を予選1位で終えた。六年の先輩が近づいて来て囁く。


「お前を少しでも消耗させたくて、わざと突っ掛かって来たんだ」


 マジかよ。田舎の学校の水泳祭でそこまでするのか。



 天草は背泳100mに出て来た。俺はエントリーしていない。

 メドレーを泳いだ感じでは、天草はあまり背泳が得意ではないように思ったのだが……するとどうだ。天草は全くバサロを使っていなかった。スタート直後から普通の背泳をしている。

 潜水泳法を使わない天草は序盤で他の選手の先行を許したが、後半できっちりとり返して結局のところ予選1位でゴールした。

 メドレーの時も使ってなかったのかな……単に苦手なのか、余裕なのか。

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