35.人生最悪フォトグラフ
廊下に出た先輩はそこにあった掃除機を取り、階段を上がって行く。俺は勿論、もちろん慌てて追い掛ける!
「せ、先輩にそんな事させられないっス、もうご飯もご馳走になりましたから!」
「親御さん出掛けてんだろ? いーよいーよアタシがやってやっから。アンタの部屋どれ?」
俺の部屋の扉には小さいころに貼ったヒーローや新幹線のシールが大量に残っている。
「ああそこか。ベッドの下も押し入れの隅も、ちゃーんと掃除してやっからな」
「待って! やめて下さい先輩!」
先輩の体に触れる訳にも行かない俺は、必死で先輩を追い越して前に立ち塞がろうとする、だけど先輩はきっちり俺をブロックして前に行かせてくれない、待て! 待ってくれぇえ!!
そして奮闘空しく、先輩は俺の部屋の扉を開け、中に入ってしまう。
「この臭い。アンタのTシャツと同じ臭いがするわぁ……ナツが飼ってるカビの臭いだな」
「嗅がないで! 臭かったら外に出て下さい!」
「いい臭いだから居るわ。何だよ、ベッドの下何もねーじゃん」
「ないです! 探すのやめて下さい!」
「押し入れはどうよ? おっ、これは何かな? ファッション通販誌だなあ?」
「お、俺だって服くらい買うし、時間ないから通販で買う事だって」
「ネットじゃなくて雑誌で?」
先輩は、金髪のお姉さんが下着姿で微笑んでいるページを開いて俺に見せるッ……! くっ、殺せッ……これ以上生きて辱めを受けるくらいなら、私は潔く死を選ぶッ……!
「勝てよ、夏平」
先輩は俺の胸に雑誌を突き返す。俺はとにかくそれを受け取る……しかしその瞬間、俺はつい先輩の顔を見てしまった。先輩は……酷く真剣な顔で、俺の目を睨みつけていた。そしてそのまま俺の胸に張り付いた雑誌を強く押して来る。俺は思わず仰け反り、壁際に追い詰められる。あれ? もしかして俺の身長、先輩より少し高くなってる?
「明日は絶対に勝て」
「か、勘弁して下さい……俺はもちろん全身全霊を尽くします、だけど相手はインターハイ王者っスよ……」
「違うだろ。お前は自分は主役じゃないから勝てないと思ってる」
俺を壁に押し付けたまま、先輩はさらに俺の顔にその顔を近づけて来る……き、綺麗だ……不謹慎だけど、怒ってる先輩の顔、すごく綺麗だ。だけどこの展開は、秋星が描いた万市先輩と松平くんのシーンを思い出してしまう。
「主役になれよ。夏平」
鼓動が高まる……俺は……
「……無理っスよ……自分は主役の顔じゃないっス」
俺は先輩から目を逸らし、そう言った。
「俺だって本当は主役が良かったっス。だけど俺は主役の顔じゃないんス、特別な才能もないし……夏の間、俺なりに頑張ったんスけど、二週間前からピクリとも伸びなくなったんス。タイムも、実感も。ここが俺の、サル顔のモブに生まれた男の限界っス」
やってしまった。完全に本音が出てしまった。
先輩、こういう奴一番嫌いだろうな。根は無茶苦茶真面目で熱い人だから。
どんな感情もない顔で、先輩は俺を睨み続けていた。俺はただ、目を背けていた。
やがて先輩が……口を開いた。
「アンタ今、付き合ってる女居るの?」
「な、何の話スか、俺には彼女なんて居ないっス、居た事ないっス」
「じゃあキスしたことないのか」
「な……ないっス」
「それならアタシが貰っていいか、その唇。サル顔のモブのファーストキスなんてどうでもいいんだろ?」
全身から冷や汗が吹き出す。な……何を言ってるの……千市先輩?
俺の聞き違いだよな? だけど俺は聞き違いをしない男だ。
「いや、そんな、あの」
「いいのか悪いのかどっちだ」
「だ、だめっスそんな、そんなの貰える訳がないっス」
「嫌なのか、アタシにキスされんのは」
「そっ、そういう意味じゃないっス!」
「じゃあいいんだな? アンタさ、キスすんだから目くらい閉じろ」
嘘だろ!? 嘘だ……そんな、絶対ウソだ、俺のファーストキスを千市先輩が!? 先輩の顔が迫って来る、あ、あ……本気だ……先輩の目、本気だ……魂を抜かれる美貌だ……マジで先輩が俺にキスを!?
もう何も考えられない。俺は、ぎゅっと目を閉じた……!
―― パシャッ
パシャッ?
頭の悪い童貞男が現実に気づくまで、二秒くらいかかった。
「ああーっ!?」
俺が目を開けると、先輩は部屋の真ん中で腹を抱えて痙攣していた。
「ヒヒ……ふひひ、はひ、はひひひひ……!」
「ちょ……何撮ったんスか先輩!?」
先輩は腹筋崩壊に苦しみながら、俺にスマホの画面を見せた。ぎゃああああああ!? そこには顔をくしゃくしゃにして頬を真っ赤に染め鼻の穴おっぴろげて唇を尖らせる、人生最悪の表情で撮影された夏平元気のドアップ顔が……!
「撮った、撮れた、ナツの、ナツのキス顔! すげええ何これ画面じゅうからパワーが溢れ出てやがる! 何このパワースポット、ひいっ、ひいいっ」
「けっ、消して下さいそんなの!」
「何でっ!? 消せる訳ないじゃんこんなの満願成就のお守りじゃんマジでヤバい! ヤバいよ!」
俺は必死に先輩のスマホに手を伸ばす! だが先輩の動きは早くスマホに手は届かない!
「きゃはは、やめろ、やーめーろナツ」
「あんまりッス、そんな、酷いっス、消して下さい!」
「消せねーよ、こんな良い物、部活の皆にライムでおすそ分けしないと、」
「ああああああああ!」
ベッドの上に逃げる先輩に、俺は……!
俺は寸でのところで踏み止まった。俺は危うく、ベッドの端に座り込んだ先輩に飛び掛かる所だった。
俺は先輩に飛び掛かる代わりに、部屋の真ん中で土下座をしていた。
「お願いします、いくらなんでもそれは勘弁して下さい、そこまでしたらもうイジメっス、俺新学期から学校行けなくなるっス」
静寂が広がる。俺は自分の部屋の床に額をこすりつけたまま、耳だけに意識を手中していた。とりあえず、何かを送信するような音は聞こえなかった。
「まあ、考えとくわ」
先輩は、そう言った。俺が恐る恐る顔を上げると、先輩はもう部屋を出ようとしていた。俺はとにかく先輩の後を追う。
「あの、ほんとお願いします、今の写真は消して下さい」
「だから、考えとくって」
一階に降りた先輩はキッチンにあったショッピングバッグを取る。鍋や包丁、まな板などは料理をしながら片付けていたらしく、既に洗って拭かれていた。
「みんなに送るとかマジやめて下さい、俺にだって心はあるんです」
「解ったから、はい、はい」
先輩はそこでようやくエプロンを取りショッピングバッグに入れながら、玄関の方へ向かう。
「待って下さい、お願いします、写真を消して下さい」
「じゃあなー。明日頑張れよ」
俺は最後まで両手を合わせて拝んだが、先輩が首を縦に振る事はなかった。
―― バタン。
先輩は出て行き、扉は閉まった。ああああ……ああ……酷い……あんな写真を撮られるなんて……なんかもう、明日の事なんかどうでも良くなっちまった……
―― ドンドンドンドン
俺が玄関でガッツリ項垂れていると、誰かが激しく扉を叩く。
「ナツー! ごめん忘れ物した、ここ開けてくれー!」
「何スか、もう……」
先輩が戻って来たのか。俺はどうにか立ち上がり、玄関扉を開ける。
次の瞬間、俺は後頭部を鷲掴みにされていた。視界は何かに覆われていて、俺の唇は、柔らかい物で塞がれている……
これは……
千市先輩の唇!?
何かが俺の頭から離れて後ずさる。そこには笑顔で手を振る千市先輩が居た……
「へへ、いただき。今度こそじゃあな、勝てよ、明日」
扉は再び閉まった。
魔女に魂を吸い取られた俺は、そのまま玄関に崩れ落ち二時間くらい気絶していた。




