30.てるてるまちる先生
「申し訳ありませぇぇん! 申し訳ありませぇぇん!」
猫耳帽子の宅配便のお姉さんは泣きながら、道に散らばった薄い本を集めていた。俺はそれを手伝うつもりで拾い上げ、ページを開いた。これって、少女漫画?
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松平元気は男子校である晴悠高校に通う一年生の水泳部員だった。元気は高校で小6まで一緒だった幼馴染の光里と再会する。光里は昔から運動神経抜群で二人は小学生時代には一緒にサッカーをする仲だった。しかし光里はどの部活にも入らなかった。
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「あの……この二人ってもしかして……」
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光里の様子に影がある事に気づいた元気は、幼馴染にかつての活発な姿を取り戻してもらいたいと思い、熱心に光里を水泳部に誘う。根負けした光里は一度だけプールを見学しに行く事を約束する。
しかし光里は密かに見学に訪れた部室裏で、学園一の美貌を持つ二年生の万市先輩(男子)が、元気に妖しく迫るのを目撃してしまう。
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「この先輩もまさか……」
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数日後、光里は水泳部に入部願いを出す。無邪気に喜ぶ元気。しかし光里の心の中にはどす黒い感情が渦巻いていた。
光里は水泳部でもすぐに実力を発揮し、部員たちも有望な新人の加入を喜んだ。元気は毎日光里と一緒に過ごし、まるで小学生に戻ったみたいだと笑った。
しかし入部から一か月経とうかというある日、光里は部活中に喘息のような発作を起こしてしまう。元気の知らない中学の三年間の間に、光里の体は不治の病に侵されていたのだ。
光里を家まで送った元気は光里をベッドに座らせ、シャツを脱がせて体を拭いてやる。そしてどうして体の事を言ってくれなかったんだと怒りながらも、光里に泣いて詫びる。
光里はそこで万市先輩の話を切り出す。元気と先輩はどういう仲なのかと。元気は驚き、万市先輩は誰にでもああなんだと説明するが、光里は堰を切ったように秘められた想いを打ち明ける。病気の自分はかつてのように元気と一緒に居る事は出来ずその事で元気を苦しめたくない、だけど万市先輩のような人に元気を取られたくない一心で水泳部に入ってしまった、俺の心に火をつけたのはお前だ、そう言って光里は元気をベッドに押し倒し
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「きゃあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
次の瞬間俺は秋星からラリアットを喰らい、本を手放し仰向けに宙を舞う……彼女の細腕にこんなパワーが秘められていたとは知らなかった。俺は夜空の星を見上げながら、大の字になって倒れる。
ダンボールから出て来たのは全てこの本だった。大量に印刷された薄い本。秋星はまだ嗚咽しながら本を拾い集めていた……光流は秋星に横顔を向けたまま、無表情で口を開いた。
「俺、薄々感づいてたんだよね。この女の、正体」
他の二人の女の人は猫宅配便のお姉さんを慰めながら一緒に本を拾っていたが、光流が話し出すとその手を止める。
「俺が夏平と話してると、よく変な所から覗いてたよなお前。こないだなんか毎日忙しい忙しいって言ってるくせに、俺達が梅屋に居る間ずっとサングラスとマスクをして向かいの建物の影から覗いてたろ」
光流は背中を向ける秋星にゆっくりと近づき……その右腕を乱暴に掴んで引っ張る! 俺は慌てて起き上がる。
「よ、よせ光流、乱暴は」
しかし光流は膝をつき、秋星の横顔を覗き込みながら唇を歪めて笑って言う。
「見ろよ夏平こいつの指。こんな立派なペンダコ見た事ねえぜ、素人の手じゃねえよなぁ、こんなのはよォ!?」
秋星はまるで捕まった女騎士のように下唇を噛みしめ、悔しそうに光流から顔を背ける。
俺は急いで光流に近づき、その手を離させようとする。
「よせよ光流」
「今までにどれだけ描いた? 何百枚か? 何千枚か!? この手で、盛り合う野郎同士の姿を描き散らしてて来たんだろ!?」
「やめろよ! お前らしくもない……」
俺は少し力を入れ、光流の手を秋星から離させる。光流はこちらを向いた。
「お前だぞ、夏平?」
「……え?」
「この女がメインで描いてるのはお前なんだよ。男にされてる先輩も見たろ? お前部活で先輩に壁ドンされた事なかったか?」
「い、いや、そんな事は……」
いや、心当たりはあった。脱水機のバスケットを洗っていた時だ……
「この女、その光景も見ていたんだ、どこかにコソコソ隠れて……俺が風邪引いた時の事も描きやがった」
そこで例の女子二人が笑い合う。
「いやーあの時は大変でしたー、夏コミ用の原稿はもう出来てたのに、先生、どぉーっしても! 描き直したいって言い出して」
「ゲンキとヒカリは先生の原点のカップリングだから、あんな栄養いただいたら描かない訳に行きませんわ」
猫のお姉さんは座り込んで号泣している。
「はぅあああどうしましょう、私のせいでこんな事に、こんな事に」
秋星が、立ち上がった。
「ごめんなさい二人とも。特に元気くんは驚いたよねきっと」
そして背中を向け、薄い本の束を抱きしめたまま、ポツリ、ポツリと口を開く。
「これは私が産んだ、私の大切な子供達なの。二人の目にはどう見えても、私の子供達なの。私はこの子達を、この子達の事を待っててくれてる同志達に届けなくてはならない。悪いけど今は急ぐから。とっても急ぐから」
次の瞬間、秋星は残像が見える程の凄まじい速さで薄い本を拾い集めダンボールの中に戻すと、号泣してるお姉さんの手から受取証をもぎ取り0.03秒でサインをしてお姉さんの手に握らせ、ダンボールとスーツケースを抱えてバス通りの方へ音速で飛んで行く。
「待って先生!」「待ってぇえ!」
年上だけどどちらもアシスタントらしい女の人が慌ててそれを追い掛ける。秋星はバス通りに飛び出して体を張ってタクシーを止め、後ろに回ってトランクに荷物を詰め込み、助手席に飛び乗る。
そして遅れて追いついたアシスタント二人が後部座席に飛び込むと、タクシーは銀行強盗みたいな勢いで走り出して行った。
秋星からは後でライムが来た。
秋星にとっての夏は、東京でのイベントの為にあるという。先日大急ぎで東京に行ったのも、あの本の原稿を印刷所の最終締め切りに間に合わせる為だった。
それでも入稿が遅かった為特別料金が必要になり、秋星は苦肉の策として200部だけ超特急仕上げを頼んだのだが、その配送先をうっかり自宅、いや春月家にしてしまった。
イベントは明日からだが予定は前日入りで組んでおり宿泊先も確保済、あのダンボールはどうしても今日受け取り自分達で運ばなくてはならなかった。
正直俺には秋星が何の話を書いて来たのかサッパリ解らなかった。
だけど……そんな事より俺、俺は……
俺、明日からどうなるんだろう?
俺はずっと光流を主人公だと、希夢ちゃんをメインヒロインだと思っていた。そして何かとあの二人をくっつけようとして来たのだが……最早あの二人に、そんな目があると思う??
そしたら俺の立場もどうなるの? 俺はただ主人公の悪友になって、日常の景色の中に美少女が居る、明るいコバンザメ生活を送りたかっただけなのに。
こんな事があっても光流は光流だと思うんだけど、俺にとっての秋星は「親の事情で光流の家に同棲している学園一の美少女」ではなくなってしまった。
俺はそんな事を考えながら、健康公園で懸垂を繰り返す。やはり筋肉……筋肉だけは、俺を裏切らない。




