26.アトミック・ハート
「春月さんですか? 私は見てないです」
「そっか……ごめん俺、春月を探してるんだ、それじゃ」
浴衣姿の冬波は子猫のように可愛いいし、出来ればもう少し、いや暫く眺めていたかったが、俺は今自分は主人公の悪友であるという矜持の上に立っている。
俺は再び光流が消えた方に向かおうとする、しかしそこに、俺が見掛けた光流が、こっちを向いて戻って来た。
「あっ……」
違う。前から見たそいつは光流とは似ても似つかない、ヤンキーっぽい顔の男だった。何でお前そんなヤンキーっぽい顔なのに髪型それなんだよ……男はヤンキーっぽい浴衣の女の子を連れていた。
「花火終わる前に行かないと席取れなくなるぜ」「アンタ賢いじゃん」
カップルはそんな話をしながら、立ちすくむ俺の横を通り抜けて行く。良かった。あれは光流じゃなかった……いや、良かったも何も俺は今自分の邪推から勝手に盛り上がって勝手にオチをつけただけなんだけど。光流は家に居るって言ってるじゃないか。あいつがそんな事で俺にウソをつくものか。
「夏平さん? どうしたんですか? 顔色が悪いですけど」
―― ドドーン! バラバラバラ……
意味もなく立ちすくむアホの俺に、冬波がそう声を掛けてくれる。この子、もう俺の事嫌いになったと思ったのに。本当にいい子だな……和花ちゃん。
「いや、うん。冬波はどうしたの? お母さん達とはぐれたの?」
俺は何の気なしにそう聞いた。和花ちゃんは腕組みをしてそっぽを向く。
「やっぱり夏平さんも私の事小学生だと思ってるでしょ。私は一人で来たんです」
しまった。俺は前に何で和花ちゃんに嫌われたのか忘れてた。
「俺、今日は部活の大会で出掛けてて、今年の花火大会は来れないと思ってたんだ。だけど思ったより早く帰って来れたから、少しでも花火が見たいと思ってさ。それで今さっき春月に似た奴を見掛けたから追い掛けてたんだけど……結局別人だったよ、はは」
俺は今自分がしていた事を、正直に和花ちゃんに告げた。和花ちゃんはうなずき、うっすらと微笑む。
「そうなんですね。春月さんを見掛けたから」
「いやあの、見掛けたと思ったから」
俺がそう答えると、和花ちゃんは向こうを向いた。どうしたんだろう? そう思う間もなく……彼女はこちらを向き、満面に笑みを浮かべた。
「じゃあ、今は私と一緒に花火を見ていただけませんか?」
―― ドォーン!! パラパラパラ……
うおおお!? 何なにどうした!? ここっ、これ、俺だけに向けた笑みなの!? 学園屈指の美少女が! 冬波和花が、俺だけの為にこんな素敵な笑みを浮かべているというのか! そして何だって、一緒に花火を見ようって!? 二人きりで!? そんな事をしたら、ま、まるで、カップルみたいじゃないか!!
「えっ……あ、ああ、俺で良ければ、うん」
マジかぁあ!? この花火大会はそんな特別な思い出になるのか!? まあ、あと5分もないみたいだけど……
―― ドドーン! シュルルルル……パパーッ!
「うおっ、すげーな、しだれ柳!」
俺は天空一杯に広がった花火を見上げてから、横に居る和花ちゃんをチラ見する……くぅぅぅーっ! 可愛いーっ! 浴衣めっちゃ似合う、キラキラした大きな瞳で夜空を見上げてる、マジか、今年の俺、こんな可愛い子と一緒に花火見てるってよォ! こ……この子が……恋人だったら……
「……ひっ!?」
そんな事を考えてしまったその瞬間。和花ちゃんは俺の方をちらりと横目で見て、怯えた猫のように逆毛を立てて小さく飛び退る! ああっ!? しまった、俺はまた、エッチなサル、いや卑猥なサルの顔になっていたのか!?
「ああっ、ごめんその、また変な顔してた俺!?」
俺は慌ててそう取り繕う。和花ちゃんは小さく首を振る。
「大丈夫です、その、ちょっと驚いただけで」
「大丈夫じゃないじゃん……はは……はあ。ほんとごめんね。俺、女の子と二人で花火見るのなんて初めてでさ。去年もその前も部活の野郎共と見に来て」
俺は自分の顔を両手で挟んでほぐす。エッチなサルの顔にならないように……トホホ。やっぱり俺はサル顔のモブ男だな。
「……そうですか。私は夏平さんが羨ましいです」
和花ちゃんは、寂しそうにそう言った。俺は自分の顔から手を離し和花ちゃんを見る。彼女は……俺に構わずスマホをいじっているように見えた……まあいいや。俺は再び夜空を見上げる。
しかし。
「夏平さん。これ」
和花ちゃんに呼ばれて振り向くと、彼女は自分のスマホの画面を俺に見せていた。そこに映っていたのは……俺が光流と希夢ちゃんを海水浴に誘い、成功したと思っていた時の、エッチなサル顔……
「ちょっと!!」
俺は思わず冬波のスマホに手を伸ばすが、冬波はそれを引っ込めてしまった。
「勘弁してよ、なんでそんな写真保存してるの……わざわざ拡大までして……」
がっくりと肩を落とした俺に、冬波は真っすぐ向き合い、顔を近づけて来た。
「何で保存してると思います?」
―― ダンッ……! ドォォォン!!
花火大会のフィナーレの先陣を切る三尺玉が、空一杯に広がる……
冬波は俺の耳に口元を近づけて、囁いた。
「私、この写真を見ながら一人えっちするんです。ほとんど毎晩」
―― シュルルルー! ドドドーン! ドンパラパラ!
「とっても捗るから」
冬波は俺の耳元から口を離し、向こうを向いて、続ける。
「私の妄想の中の夏平さんは、ずっとこの顔です。私、夏平さんに押し倒されてめちゃくちゃにされちゃうんです」
―― シュルルルー、ドンドンドンドン! ドドーン! パーン!
「勿論、妄想は妄想でしかないけど。ごめんなさい夏平さん。軽蔑しましたか? 私みたいな、見た目小学生のガリ勉女がそんな事考えてるなんて異常でしょう? だけど私だって別に好きでこんな姿してるんじゃないんです」
―― ドーン、ドーン、ドーン…… パパパパーン!
「見た目小学生のガリ勉優等生は花火大会だって親と来るに決まってる。その通りですよ。私には去年も一昨年もその前も、同性の友人すら居ませんでした。だけど私だって、性欲もあれば嫉妬もするんです」
俺は主人公ではないので、冬波の言葉は一字一句残らず聞こえてしまった。
「もうよせよ冬波。限界なんだろ、勉強」
俺は冬波の横顔を、横目でちらりと見る。平坦な口調で話してはいたが、冬波は顔を真っ赤にして唇を噛み小さな涙を浮かべ、下を向いてぷるぷる震えていた。
「全国模試で何位以内とか、そこまでしなくたって志望する学校には行けるんだろ? 今の冬波なら。奨学金制度だってそこまで求めてないだろ」
俺はそれだけ言って、冬波から目をそらす。ああほら……また花火が上がったから、見ないと……だけどもうそろそろ花火も終わりだ……
―― ドーン! パラパラパラ……
冬波はまた、口を開く。
「夏平さんは鬼茜会をご存知ですか」
「ああ、あの……T大OBによるT大専門の受験塾」
俺もその名前だけは聞いた事があった。それは生徒の6割を超一流校の指定枠が占め、他の学校から入るには超難関の入塾試験を突破しないといけないという超一流受験塾だ……教室は東京と大阪にしかない。
「冬波はそこに通ってるのか。青友から通ってるの、冬波だけなの?」
「空前絶後ですよ、先輩も後輩も居ません、私一人です。正直、鬼茜会の連中にとって青友は、誰も知らない田舎の学校です」
青友は偏差値的には県内上位校レベルである。この田舎県のトップグループにすら居ない。
冬波はこちらを向き顔を上げた。その眼鏡越しに、悔し涙が光る……
「そんな鬼茜会で、私がどんな目で見られて、どんな後ろ指を差されているか解りますか? 田舎の無名校から新幹線で来てる、身の程知らずのチビ女。あんなメスガキが鬼茜の授業について来れる訳がない、どうせすぐに居なくなる……!」
花火が上がらない。もう終わったのか?
「解りますか、夏平さん……! そんな私が文字通りのジャイアントキリングをかます、桜影や子女学の猛者共に負けず劣らずの成績を上げる事の意味が、私だって何度やめようと思ったか、無理な勉強はやめて普通の女子高生になろうと、それで地元の国立医科大を目指そうと、だけどその度に……ほら見た事かと嘲笑う、奴等の顔が瞼に浮かぶんです……!」
冬波は拳を握り、奥歯を噛み締めるようにそう絞りだす。その小さな体から溢れる怒りのオーラが、俺の心臓を満たして行く。
「やっぱ俺も冬波の戦いを応援する! やっちまえ冬波!」
―― ヒュルルルルー! ドドーン! ドンヒュルル、ドドンパンパンヒュルルルドドーンドンパンパンパラパラパラドドンドンドンドドーン! パパーン!!
次の瞬間、もう終わりかと思われていた花火が一斉に打ち上がる! これが今年の花火大会のフィナーレだ! すげえ、満天が花火の燐光に覆われて行く! 周りのボルテージも上がる!
「うおおおおーっ! 来たあああ!」「きゃあああ素敵ィー!」「お母さん、すごーい!!」「おおっ、最後の一花じゃ!」「じゃあ乳首を吸わて下さーい!!」「それとこれとは別の話ー!!」「早く早く、写真写真!」「フミカー! 愛してるー!」「恋人大募集ー!!」「ワハハハ、バーカバーカ」「今年の花火も、サイッコー!!」
一斉に打ち上がるフィナーレの演出の中、人々は思い思いの叫びを上げる……こうして俺の四年生の夏の花火大会が終わった。




