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20.読み飛ばし補習ゾーン

 長い夏期講習が終わり、カレンダーは8月に入った。夏休みはこれからが本番だ、これまでにも結構いろんな事があったけど、本当のお楽しみはここからだ!


 と、まあ……そんな風に考えていた時期が俺にもあった。実際には夏期講習の後に来るのは午前午後の二部制で行われる水泳部の強化期間である……しかも俺最近顧問に目をつけられてんだよな。

 ちぇっ。中学の三年間はどんなに頑張っても見向きもしなかったくせに。


 だけどまあ顧問はどうでもいいんだ、それより……


「……」


 選抜組の連中の俺を見る目が変わったのが怖い……前に「雑用ばかりさせられてていいのかよ」と言ってくれた先輩も、今はライバルを見る目で俺を見ている。俺がリレーのメンバーに割って入って来るとでも思うのか……?

 俺が憂鬱な気持ちで、準備体操をしていると。


「ごめんなさい! 外のプールで体育の補習をやるんだけど、水泳部さん誰か手伝ってくれないかしら!?」


 片腕を三角巾で吊った女の先生が現れてそう言う……俺は瞬間的に手を挙げた。


「ハイッ! 俺やります!」


 離れた場所に居た選抜組の部員の一人が、ほんの少しだけ口角を上げた。



 青友学園にはプールが二つあり、夏の体育の授業には屋外の短水路が使われている。そして今日、そこには一学期の実技テストで50m完泳出来なかった生徒が集められていた。さすがにみんな中等部みたいだな。全部で10人か。


「50m完泳出来れば補習クリアなんだど、出来なかったら明日も補習なの……私は怪我しちゃって水に入れないし、夏休みで代わりの先生は都合つかなくて」

「あー大丈夫っス、全員二時間以内に完泳させるっスよ。皆さンちわっス、水泳部の四年、ナツダイラっすー」


 俺は女の先生に安請け合いをして、補習組の前に立つ。なんか皆緊張してるな。水泳部の厳しい先輩が来たとでも思っているのか。


「今日で補習が終わるように、皆さん一つだけ俺と約束して下さい。いいですか? 絶対に、頑張らないで下さい! 頑張ると疲れます、疲れると休まないといけません、練習が出来なくなって気持ちも沈みます、それだと50m泳げません。今日は暑いからストレッチもウォーミングアップもなし、ああビート板も要りませんよ」


 俺はプールの備品のビート板を抱きしめていた女の子にそう言った。女の子はそっとビート板を降ろす……って、これ冬波じゃん!? 冬波はただ一人高等部から、水泳の補習に呼び出されていたらしい。


「……皆さんは自分は水に浮かない体質なので泳げないんだと思っていませんか? 泳げる人は丸太のように水面に浮けるんだって思ってませんか? そんな事はありません、オリンピック選手も水中でじっとしてたら足から沈みます」


 ビート板で顔を隠すのをやめさせられ、上目遣いで無言の抗議をする冬波をスルーし、俺は自説を振りかざす。


「泳ぐ人が水面に平行に浮かぶのは、前進してるからです。前進すると人の体は水の抵抗によって水面に平行に浮きます。前進が止まると足から沈みます。まずそれを体験してみましょう。理科の実験だと思ってね!」


 ここに来てるのは50mを泳ぎ切れず、途中で足をついてしまう子達だ。みんな全く泳げないという訳ではない。だからこんな、小学一年生がやるような伏し浮きや壁キックをやらされるのは屈辱と思うかもしれない。

 だけど俺に言わせれば、泳ぎが苦手な人はだいたいこの伏し浮きと壁キックをちゃんと教えてもらってないのだ。これをちゃんと習わずに次の段階に進んでしまい、根性だけで25m泳いでしまったりして、壁にぶち当たっているのだ。


「伏し浮きの姿勢の確認からします、その場に立ったまま……全員やってね。両腕を真っすぐ上に伸ばしてー。その腕を、耳より少し後ろにくっつけて。耳の後ろっすよ、そして目はおへそを見ます……いや俺のじゃねえよ自分のへそ! あはは、はい全員オーケーです」


 これは頭をきちんと水の中に入れられるようになるおまじないだ。


「じゃあ壁キックに行きます、最初の約束を覚えてますか? 頑張ってはいけません、必死で壁蹴って5m進もうとかしないでね。バタ足もやっちゃダメだよ」


 大きな筋肉を素早く動かすバタ足は、慣れないと大量の酸素とエネルギーを無駄遣いしてしまう難しい技なのだ。

 水泳に慣れてない子は仲間たちに遅れまいと、死に物狂いでバタ足をしてしまう。10mくらいならひたすら足バタバタさせてるだけでも進んじゃうからね。


 そして何も解らないまま、水泳苦手な子は次のステップ、自由形25mに挑む。これもまあ……必死で暴れたら何とかなっちゃうのよね、25mくらい。だけどそこらへんが普通の人間の体力の限界だ。


 泳げる奴はすぐ100m、400mと泳げるようになって行くのに、死ぬほど頑張っても25mしか泳げない自分はどんなに体力がないのだろうと思ってしまう。水泳嫌いの子はそうして出来上がる。

 それは他でもない、昔の俺の事だった。俺は水泳が苦手で大嫌いで、泳げないのがコンプレックスで、それが悔しくて中学から水泳部に入ったのだ。


「腕は耳の後ろにつけて、手は真っ直ぐ伸ばしてー。壁をゆっくり蹴るだけですよー、頑張るのは無しですよー。前に進んでる間は足が沈まないのが、解りますよねー」


 冬波はどうだ? ああ。もう理解したみたいだな。元々めちゃくちゃ頭いいんでしょこの子。

 その冬波が近づいて来る。当たり前だけど眼鏡をしてない……ああどんどん近づいて来る、近い、近い、


「あの。だけど私ほんとうにカナヅチなんです、泳ぎ始めるとどんどん沈んで行くんです、皆さんとは違うんですよ」


 眼鏡がなくて距離感がバグっているのか、冬波はすごく俺に顔を近づけ、真下から見上げて来る、ぐおおお可愛い、この困り顔は例のあれだ、男を惑わす妖精の表情だ。


「それは貴女が前ではなく上に進もうとしてるからです、後で説明しますから、焦らないで一つ一つ消化して行きましょう」


 俺は何とか冷静にそう答え、皆を次に進める。

 正しい姿勢で水面に浮く事、前進している間は身体は水面と平行を保ってくれるという事が解ったら、次は息継ぎをしてもらっちゃう方が早い。


「50mはクロールで泳ぎます、平泳ぎよりずっと楽でずっと簡単だから。絶対頑張らないでね。まずは息継ぎなし、左腕だけ、二、三回だけ、ゆーっくりと、大ーきく、風車のように回しまーす。何m進んだとか考えずゆーっくり」


 次がまた、魔法の言葉だ。


「はい全員出来ました。今度はその左の掌を目と顔で追い掛けて下さい、まずその場に立ったままやってみましょう……腕を風車のように回すー。掌を目と顔で追い掛けるー。はい出来ました。じゃあ壁キックからやってみて下さい……あれれ、自然に息継ぎが出来ますね」


 水泳の苦手な子はクロールの時に、前や横を向いて息継ぎをしてしまう。少なくとも俺はそうだった。

 人間の頭は水中にあれば浮力になり、水上にあれば重力になる。息をしようと顎を上げ頭を上げると、水上に出してしまった分だけ体が沈む。


 初心者にとっての正解は、手のひらの動きを目で追い掛けて行く事だ。あるいは「息継ぎの時は自分の肩を見る」という表現もある、それで顎は引けるし、頭のほとんどが水中にあり顔だけは水面に出てる形が自然に出来る。


「バタ足したくなったらやってもいいよ、ただしゆっくり、絶対頑張らないで。前に進む為じゃなく、足が沈まないようにする為のものと思って、ふんわりね」


 この辺りから少しずつ個人差が出て来るので、出来そうな子にはそのまま先に進んでもらい、つまずいている子を一人一人チェックして行く。


「ゆっくりだよ、もっとゆっくり、1、2、3、4って4秒かけて片方の腕を一周させる感じで、目はプールの底を見てて、2と3の間で斜め後ろを見ます、回すのはまだ片腕だけで、もう一方の腕は耳の後ろにつけてまっすぐ伸ばして」


 腕もバタ足もゆっくりがポイントだ、ゆっくりなら疲れないから続けて練習出来るし焦ってフォームが崩れる事も少なくなる。


「プールの底に線が引いてあるのはその線を見て泳ぐ為です、真下より少し後ろを見るともっといいですよ、前は見なくていいんです」


 冬波は……なあんだ、もう25m泳いでしまった。


「動作に慣れたら両腕使っていいですよ、息継ぎは右か左かどっちか楽な方だけでやって下さい、ゆっくりだよ、疲れないように」



 クロールは最速の泳法というだけではない、うーんとゆっくりやっても破綻せず呼吸が確保出来てちゃんと水面を移動出来る、初心者に優しい泳法なのだ。


 昼前のテストでは全員が50m完泳に成功した。タイムは概ね1分以上だがそこは関係ない、みんなすぐ100mだって400mだって完泳出来ると思うし、これからはレジャーで泳ぐ事も楽しめるようになるはずだ。

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作者みちなりが一番力を入れている作品です!
少女マリーと父の形見の帆船
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是非是非見に来て下さい!
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