15.努力は報われない
肝試しは明日だ。疲れは溜まっていたが、今日出来る事は今日やっておきたい俺は肝試し用に造った小道具をダンボールに詰め、二輪カートに載せる。
「元気、また出掛けるの? ごはんは?」
「ごめん母さん、帰ってから食べるから」
行き先は健康公園だ。別に筋トレをしに行く訳ではない。肝試しの現場となる丸井山がその先にあるだけだ。
公園についた俺はカートから降ろしたダンボールを雑木林の物陰に隠し、ブルーシートを掛けておく。申し訳ないが一日だけここに置かせていただきたい。これは明日俺に時間が無かった時の為の用心だ。
ないとは思うんだけどさ。もしかしたら、明日も顧問が俺を1コースに呼ぶかもしれないじゃん。そうなったら俺は午後7時にここに来れなくなる。いや冗談じゃねえ、勘弁して欲しいわ。
三年の夏までは、俺もレギュラー入りを目指して頑張ってたんだけどな。もういいんだ。俺はただ、家から近くて高校受験もしないで済むから中高一貫の青友学園に入っただけの男だ。
……
変だな。公園内は勿論、辺りにも誰も居ないのに、ここに居ると何だか自分は一人じゃないような気がする。誰かが俺を見ていて、元気づけてくれているかのような。
やっぱり少しだけやって行こう。今日はもう十分部活で絞られたけど、水泳と筋トレは別腹のような気もするし。
俺は腹筋ベンチを一杯まで傾け、足を挟んで寝転ぶ。ああ、満天の星が俺を見下ろしている。これなら明日の夜も大丈夫かな。そんじゃまあ、始めるか。
翌日。冬波は通学路には現れなかった。ハハ……さすがに嫌われちゃったかな、もう。
はあ……また冬波が見せてくれた写真の事を思い出した。あれが俺の顔かよ……おっと、朝から落ち込んでる場合じゃない。今日は光流に絡みに行かないと……居た居た、今日も希夢ちゃんと縦に並んで歩いてる、横に並べよ全く。
「うーす光流! やっと夏期講習も終わるな!」
俺は後ろから駆け寄って慣れ慣れしく光流の肩に抱き着く。光流はいつも通り、やれやれまたこいつかと言いたげな気怠い視線を俺に向ける。俺は光流の耳元に口を近づける。
「肝試し、今夜だからな? 絶対来いよ、楽しいイベントになるから」
「解ってるよ」
光流はウザそうに俺を振り払う。ふっふ。十分悪友ムーブを見せつけた所で、俺は希夢ちゃんの方に振り返る……卑猥なサルの顔にならないように気をつけつつ。
「希夢ちゃんもおっはよー! 今夜7時、丸井山、光流と一緒に来てくれよな!」
希夢ちゃんは、あれ、スマホを見てたみたい……すぐこっちを見てくれたけど。
「も、勿論だよ! 光流も絶対連れて行くから大丈夫!」
おおっ! 頼もしい御言葉とスマイルいただきましたぁあ!! やっぱり学園ナンバーワン美少女は希夢ちゃんで間違いない! お淑やかで女の子らしいけど地味ではない、手足が長くスリムだけど出る所は出てる、そして何たって笑顔が可愛いぃぃーん!!
「おっと、皆にも念を押して回らないと、じゃー俺先行くからな、二人も遅れんなよー!」
そして用が済んだら必要以上に二人の邪魔をせず、とっとと立ち去る。完璧。今日も完璧な悪友ムーブだ! 主人公光流の第一の悪友、夏平元気、ここにあり!
そして授業が終わり、俺はいつも通り部活に行く……今日は大丈夫だろうか? レギュラー組は夏期講習を早めに抜け出して練習を始めていたようだが。
「ナツ! アップが済んだら1コースに来い!」
うへぇ……不安は的中した。顧問は俺が現れるのを待っていたかのようにそう指示して来た。
しかしその時。五年のレギュラー組の先輩の一人が水路から上がり、顧問の元に駆け寄って抗議した。
「待って下さい顧問、ナツは頑張ってると思いますが今はインターハイに向けて最後の調整をしてる時期です、参加資格の最終切符を得るべく頑張ってる奴も居ます、今はその、1、2コースは選抜選手だけにしていただけませんか?」
この先輩は自分のパフォーマンスだけでなく仲間のサポートも欠かさない人で、六年生が引退したらキャプテンになると目されている人だ。正直俺自身も世話になっている。そして俺も、先輩の言う事は正論だと思う。
だけど顧問はどう応えるのか。俺みたいなエンジョイ組は良く知らないが、レギュラー組の連中は顧問を修羅のように恐れているのだ。
―― ビビィーッ!!
顧問はいきなり、胸に提げていたホイッスルを吹いた。選抜組の選手達が、よく訓練された犬のように、練習を中断し顧問の周りに集まって来る……
「お前ら、自分達を特別な存在だと思ってないか? 自信があるのは結構な事だがお前らが安心し油断している間にも、着々と力をつけてる奴は居るんだ。昨日の夏平の泳ぎを見て驚かなかった奴はちょっと危機感が足りないと思うぞ? こいつはお前らの真後ろに、いやもしかしたらもう前に居るかもしれない」
ちょっと待って下さい、俺は選抜選手になんかなりたくない! 俺は心の底からそう思っていたが、それを口には出せなかった。
だけど本当なんだよ! 今さらレギュラーになって青春の全てを水泳に捧げるだなんてごめんだ、俺は! 可愛い女の子とキャンプやバーベキューがしたい、浴衣を着て花火を見に行きたい!
地方大会だって出ないで済むようにしてたのに……日程が地元の花火大会と被ってるから……
「ナツが頑張ってるのは知ってます、だけど俺達だってそれ以上にやってます」
先輩の一人が顧問に向かって口を開く。しかし顧問は尚も口元を歪めて笑う。
「本当か? ロードワークに階段ダッシュ、プッシュアップ、チンニングクランチシットアップにスクワット、こいつ夜中の健康公園で毎晩のように見るぞ、きちんと考えてメニューを入れ替えながらなあ!? 最近じゃ居ない事の方が珍しいぐらいだ!」
実の所、俺は去年から気休め程度の筋トレを始めていた。それは別に水泳の為などではない。次の夏までに少しだけTシャツが似合う男になりたかったからだ。顔は鍛えられないけど、身体は鍛えられるから……そして最近は何だかんだでトレーニングをしてる事が多くなっていた。
ていうか見てたのかよ顧問! いつの間に!? ああ、あ……健康公園で感じていた一人じゃないような感覚、あれはどこからか俺を見ていた、顧問の視線だったのか。
「街中のきれいなスポーツジムなんかに来てないからって、油断してたんだろう? ククク……こいつは努力を隠すタイプの競技者だ! 部活が休みの日もオープンウォーターで浜の端から端まで延々往復してたらしいぞ、遊泳時間一杯までな! ライフセーバーをやっている知り合いから聞いた、そうだなあ夏平!?」
後で聞いたら、あの市陸に隣接した健康公園は顧問が住んでるマンションの窓から丸見えなのだそうだ。




