13.地獄の体験ツアー
俺は校内を激走してプールに戻って来た。
「ちくしょおおおおお!!」
真っ赤に火照った顔に水の冷たさが気持ちいい……などという事はない。俺はこの上なく無様な告白をしてこっぴどく振られたのだ。
「うおおおおおおお!!」
「うるせえよナツ、行きたきゃ先に行けよ」
「どんだけ気合い入れてんだよお前」
俺は泳いで、泳いで、泳いだ。今の俺を俺で居させてくれるのは水路だけだ、ちくしょう、愛してるぜ水路、俺は二度とお前以外の誰かに心を奪われたりしない。
しかしその翌朝。冬波は俺の自宅近くに現われた。
「おはようございます! 夏平さーん!」
昨日の事など忘れたかのように、元気な声で俺の名を呼び、手を振る冬波。
夏でもニーハイソックスを履くのはポリシーなのか。とにかくその姿は側だけ見れば理想オブ理想のガールフレンドそのものなのだが。
「学校まで一緒に行きましょう、夏平さん」
とっても明るく健康的な笑顔でそう言って小首を傾げる冬波を置き去りにして、俺は全力疾走で学校に向かう。
「待ってー夏平さん私そんなに速く走れませぇぇん」
こんな姿を光流に見られる訳にも行かないので、光流んちの方にも寄れない。
「なあ光流、明日は夏期講習最終日だろ? その後でさ、皆で肝試しに行かないか?」
授業の後、気を取り直した俺は光流の席へ駆けて行って肩に腕を回し、耳元でそう囁く。
「肝試し? 嫌だよ中学生じゃあるまいし」
「いいじゃん肝試し! 今しか出来ないよこんな事は、あれだ、クラスの女子も誘って楽しく」
「俺はパス」
「えー、頼むよ光流、お前が来れば他の女子も安心して来るから……」
光流の塩対応は想定内なので、おれはしつこく食い下がる。このへんで希夢ちゃんが援護射撃でもしてくれたら嬉しいんだけど……
「行こうよ光流、元気君にはこの前お世話になったばかりじゃない、海水浴の約束にも行けなかったし」
うおおお!? 本当に援護に来てくれた! 希夢ちゃんは光流を挟んで向こう側からそう言ってくれる。
「……解ったよ、それで借りはチャラだからな」
「っしゃあ! じゃあ明日の夜な! 場所は丸井山のトンネル、光流も希夢ちゃんも参加な!」
光流も渋々同意してくれた。こうなれば後は話が早い。俺はクラスの女子を、クラスのカップルを、クラスの男子を誘う。
「明日肝試しやるんだけど来ない? 丸井山のトンネルで夜7時から」
「カップルで参加もOKだから、場所はほら、市陸の先にある狭いトンネル」
「な、お化けチームで参加しない? 道具は俺が用意してるから」
俺が一人で誘っても誰も来なかったかもしれない。だけど春月と秋星も来るからと付け加えると、みんな簡単に乗って来てくれた。
ククク、これだから悪友ってのはやめらんねえなあ?
灰色の夏休みよさらば! 今年の俺は仲間達に囲まれた、リアルの充実した夏休みを送るのだ!
その日にもいつも通り部活はあった。最近プールの水が軽くなったような気がするんだよな……ま、今日もエンジョイ、エンジョイと。しかし水路に入ろうとした俺は先輩に呼び止められる。
「ナツ、ホワイトボードのペンが書けねーんだけど」
「あーインク切れスか、今新しいの取って来まーす」
事務用の備品はプールの外まで取りに行かないといけない。俺は小走りに更衣室の方へ向かったが、
―― ガシッ……!
突然、顧問に肩を掴まれた。結構な握力でかなり痛い。
「ナツ……お前今日は1コースに入れ。三島! ペンなんか自分で取って来い!」
「へっ……?」
世界が、暗転した。
1、2コース。県内最強、全国でも指折りの名門である青友学園水泳部の男子選抜メンバーが使うコース、そこに見えるのはエンジョイ組が使うのと同じ規格の同じ水路のように見えたが、そこに実在するのは全く違う世界だった。
仲間達とワイワイ楽しむ肝試し大会、今日の俺はそれ思い浮かべながら悠々と泳ぐつもりだったのに。そんな楽しい幻想は一瞬で吹き飛ばされてしまった。
周りのスピード感が全く違う、少しでもぼんやりしていたらすぐ後ろの奴に足首を叩かれる、みんな見るのも嫌になる程フォームがいい……ここでは、泳ぐ事以外の事など何一つ考えられない……!
ちょっとでも手を抜いたり、フォームを崩したりすると、顧問の怒鳴り声が飛んで来る。俺自身は何も言われなかったが、周りの連中が叱咤されてるのが水の中でも聞こえるのだ。
今までにない緊張感と、長い長い練習。それがようやく終わったのは、学校も閉門間際になっての事だった。他のエンジョイ組はとっくに帰っている。
何だったんだ、今日の練習は……顧問の気まぐれだろうか? 俺が少しでも練習時間を短くする為、率先して雑用を引き受けていたのがバレたのか?
それともまさか……俺を本気でレギュラー組に入れるつもりとか……冗談じゃない! 俺はせっかく光流の悪友として覚醒したというのに。そうだ、俺は光流のコバンザメとなって楽しい夏休みを過ごすのだ、レギュラー組の地獄の特訓などに付き合わされている時間はないのである。
幸い顧問は俺がそのまま帰ろうとしても、何も言わなかった。やっぱり、何かの気まぐれだったのだろう。




