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11.貴人の残り香

「夏平……」「何やってんだよアンタは」


 俺も結構鍛えている方だと思うんだけど、本職のライフガードのマッチョ達の前では小学生も同然である。とにかく、ライフガードの手で水揚げされた俺はテントの前まで両脇を抱えて連れて来られ、友人達に引き渡された。

 俺はそのまま、浜に打ち上げられたクラゲのように地面に広がる。


「青友の水泳部か君達は。ハッハー! さすがによく鍛えられた男が居るね! 色んな大会を前に気合いが入るのは解るけど、オーバーワークは良くないぞ!」


 顔までそっくりのマッチョ達はそう言ってサムズアップして爽やかに笑うと、監視塔のある方へ走って帰って行く。

 太陽は傾きかけていた。遊泳時間は終了だ。


「あの! 先輩、花火があるんです、花火を一緒にしませんか!」

「飲み物もまだありますから!」


 さて。季節はまだ七月、遊泳時間が終わっても、夜はなかなか来ない。野郎共はあの手この手で先輩を繋ぎ止めようとしていた。


「起きろよ元気、お前も先輩の足止めを手伝えよ」

「何かないの夏平くん、ゲームとかレクとか、何か出してよ夏平くん」


 俺はドラえもんじゃねえぞ……しょうがないなあ。



 二本の釣竿を砂浜に刺して間に釣り糸を張っただけのネットに、バレーボール。


「ビーチバレー。六人居るから俺は審判、で、二対三で試合」

「何でだよ、三対三でやりゃいいじゃん」

「戸塚はバレー部レギュラーだろ、戸塚チームは二人、対する先輩チームは三人で」

「はあああ!? 何で俺二人チームになった上先輩と組めねえんだよ!」


 俺の差配にバレー部戸塚は当然怒る。俺は戸塚の背中を押し、皆から少し離れてからその耳に囁く。


「同じチームになって横に並ぶより前から見てる方がずっと眺めはいいぞ。先輩にも名前を覚えてもらえるしな」

「心の友よ」



 実際、負けず嫌いの先輩はすぐにこの勝負にのめり込んだ。


「トスは真っ直ぐ上げろよ! 急造チームなんだからせめてそれだけはやれよ!」

「真っ直ぐだと戸塚に通じないんスよ」

「あいつ県大会ベスト8のセッターなんス」


 先輩と戸塚だけ固定して後はどんどん入れ替わるビーチバレーは、思っていた以上に盛り上がった。



 やがて西の地平線に夕日が沈んで行く。空はまだ明るいが、これならもう花火をやってもいいだろう。

 周りで残っていたサイトも花火を始めた。酒が入った大人達も騒ぎ出す。こっちも負けてられないな。


「ぼちぼち花火始めるぞー!」

「おおー!」


 野郎共が勝手に盛り上がる……いや。約束を破った俺の為に来てくれて、知らないとはいえ千市先輩が居る事に喜んで、皆で楽しい時間を演出してくれて……本当にみんないい悪友だ……やべえ。俺こいつらに悪友道で負ける訳には行かねーわ。


「よし! 打ち上げ花火行くぞ! 四年生集合!」

「ああ?」「何だよ」

「一番最初に逃げた奴が負け! 火ィつけっぞー!」


 俺はその花火に火をつける。ちなみに説明書には導火線に点火したらすぐ離れろと書いてある。


「うおおお!?」「やべえ、逃げろお前ら!」「お前が逃げろよ!」「やべえって、爆発する!」


―― ドォーン! パラパラパラ……


 とはいえそこは安心安全のSTマークのついた商品だ、ささやかな花火が打ち上がるだけなのだが。


「あはははっ、あははっ、ひゃーっはっは!」


 俺達五人の慌てっぷりが面白かったのか、先輩は腹を抱えて笑い転げてくれる。


 ああ。良かったなあ。

 光流が寝込んでもう終わりかと思った海水浴だけど。律儀に来てくれた野郎共と、偶然来てくれた先輩のおかげで、俺が想像していたよりずっと賑やかな、キラキラした夏の想い出になった。



 俺は全ての装備を折り畳んで二輪カートに載せる。


「あれが全部このカートに載るんだ……」「すげえな、元気」


 野郎共が感心する。フッ……このくらい、主人公の悪友なら普通だぞ?


「それではみなさん、家に帰るまでが遠足ですからね、どうか気をつけて帰って下さい」


 浜辺の出口で俺がそう言うと、先輩を含めた今日の参加者は小さく拍手をしてくれた。へへっ。まあ、何か成し遂げたようで嬉しいわ。


 それから俺達は駅の方まで歩く。そこまでは全員一緒だった。それから、電車に乗る者、歩きだけど行き先が違う者に分かれる。先輩などはここから浜辺に近い自宅の方に戻るようだ。


「楽しかったぞ元気!」「先輩水泳部頑張って下さい!」

「夏平くんありがとう!」「ありがとうございました先輩!」


 野郎共……いや、仲間達も去って行く。みんな来てくれてありがとう。

 先輩も手を振っている。


「じゃあ、俺もこれで失礼します」


 俺は先輩に頭を下げる。少し疲れたのか、先輩は眠そうに欠伸をしていたが。


「アタシ、部活と学校に加えて東京での仕事もあってさ、休みなんて無いんだよね、わりと。だけど今日はどうしても休みが欲しくて……結構色んな人に無理を言って、休ませてもらったんだ」


 不意に……真顔でそう切り出した。


「でも急に休みを取ったって出来る事なんか何もないんだわ。アタシ元々友達少ないしな……それでそのへんを散歩して終わりかと思ってたのに、こんなキラキラした夏の想い出が手に入るとは思わなかった」


 いやー、こんな楽しい海水浴になったのは本当に先輩のおかげっス、あの野郎共には光流に夢中の希夢ちゃんより、ノリノリで構ってくれる先輩の方がずっと良かったっスよ。俺は頭の中ではそんな事を考えていたが。


「あざーした先輩、明日も宜しくっス」


 口をついて出た言葉は、それだけだった。

 すると先輩は、にわかにむっとしたように表情を曇らせる……まあ、ちょっと機嫌が悪いのが先輩の普通なんだけど。


「お前のTシャツ、やっぱりアオカビとピンクカビの匂いがするわ。じゃーなー」

「ええっ!? ちょっ……」


 また臭かったのか俺。マジか……えええ……

 先輩はそれだけ言ってすたすたと歩み去って行く。


 ん?


 ここは駅のロータリーなのだが。今まで気づかなかったけど、道路を挟んだ向こうに居てこちらを見ているのは冬波ではないか? ショートパンツにニーハイソックス、上は半袖のパーカーを着て、大きなリュックを背負っている。

 その冬波がいきなりその場に両膝を突き、地べたに屈み込んだ。両腕を突いてがっくりと、地面を見下ろしている。

 どうしたんだろう……急に体調を崩したのだろうか? 見ず知らずという訳でもない俺は、二輪カートを引きながらそちらに向かう。ロータリーを迂回して行かないとならないので、少し時間がかかるが。


―― ザッ……タッタッタッタッタッ……


 しかし。冬波は屈み込んだ時と同じくらい急に立ち上がり、向こうへ駆け出して行ってしまった。何なんだ。体調不良じゃなかったのか。



 帰宅した俺は庭で荷物を解き洗車用のシャワーホースでテントやビーチチェアなどを洗い流す。主人公の悪友は用具の手入れも欠かしてはならない。主人公やヒロインに気持ちよく使って貰いたいからな。


 母さんが俺の帰宅に気づき声を掛けてくれる。


「元気、先にご飯食べちゃいなさい」

「ありがとう、すぐ済むから」


 テントやシートを物干し台に干して……海用の水着もサッと洗って干して。昼の焼きそばは二人前のボリュームだったけど、今はもうハラペコだ。さあ、母さんの晩飯が待ってるぞ。

 あ、だけど他の洗濯物は洗濯機の方に置きに行こうか? タオルとTシャツと……Tシャツ……


 俺はデイバッグから水泳部のTシャツを取り出す。泳ぎ終わった後の休憩用として持って行ってたんだけど、先輩に着られてしまったので、着替えずにしまっていたのだ。


 はあ……また臭いって言われちまったな。ちゃんと洗濯してスポーツ用消臭柔軟剤もかけてるのに。そんなに臭いのかなあ。

 俺はそれを手に取り、鼻に近づけ、息を吸い込む。確かに、何かの臭いがする、柔軟剤の匂いとは違う何かが。


 これがカビの臭い? 違くね? これは……ジャスミンの香り? 何故ここにジャスミン……その瞬間俺の脳裏に、このTシャツを着た千市先輩の姿がフラッシュバックして来た!


 俺が作ったいちごミルクかき氷を食べる先輩。スプーンからこぼれ落ちパンパンに張った先輩のTシャツの胸部分に落ちるいちごミルク。いたずらっぽく笑って、一気にTシャツを脱ぐ先輩……


 俺は。自分が今、あの先輩のパーフェクトボディを包んでいたTシャツに鼻を押し付けているのだという事を思い出した。じゃあこの微かな残り香は……あの先輩のダイナマイトバディの匂い……!

 次の瞬間には俺の表層意識は千市先輩のビキニ姿で埋め尽くされる! 他の事なんか何も考えられない!


「どぅわああああああ!?」


 俺は全てを庭に残し、駆け出していた。それでも俺の頭の中は先輩の腰のくびれの事で一杯だった。何故あんなに細いのに、水路では抜群のパフォーマンスを発揮出来るのか。


「うおおおおおおお!」


 俺は400メートル走ぐらいのペースまで加速する。それでも俺の頭の中は先輩のビキニトップの姿で一杯だった。何故あんなに豊かに膨らんでいるのに、スムーズに水流に乗れるのか。


 息が切れる。足が上がらなくなる。ちくしょう、陸に上がった俺はこの程度か、だが公園はもうすぐそこだ、そしてこんな時間なら誰も居ない。


「ぐわああああああ!」


 高鉄棒に飛びついた俺はチンニングを繰り返す。それでも俺の頭の中は先輩のビキニボトムの姿で一杯だった。女の子のお尻は何故あんな形をしているのか。そして同じお尻のはずなのに、競泳水着とビキニで何がこんなにも違うのか。そしてそれの何がこんなにも俺を狂わすのか。


「ふおおおおおおお!」


 昼間でも近所の爺婆しか来ない健康公園には様々なトレーニング器具が設置されている。それはもちろん鋳物のウエイトや油圧シリンダーの入った高価な器具などではない、雨ざらしでも平気な簡易器具ばかりなのだが、えげつない角度のつくシットアップベンチや廃材で作ったデッドリフト用バーベル、丸太のプッシュアップバーなどもあり、意外と本格的なウエイトトレーニングがタダで出来るのだ。


 だけど少しでも油断すると、俺の頭の中はまた、眩しい太陽の下でパーフェクトなビキニ姿を晒す先輩の記憶で一杯になって……あ、あ……あの時の先輩は俺に微笑んだりはしなかったが、俺の妄想の中の先輩はビキニ姿で真っ直ぐに俺を見て微笑んでいる……!


「ちくしょおおおお!」


 俺は泣き喚きながら、今日一日の遠泳や何やらで酷使された体にさらなる試練を課す。力尽き、千市先輩のビキニ姿すら思い出せなくなるまで。

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作者みちなりが一番力を入れている作品です!
少女マリーと父の形見の帆船
舞台は大航海時代風の架空世界
不遇スタートから始まる、貧しさに負けず頑張る女の子の大冒険ファンタジー活劇サクセスストーリー!
是非是非見に来て下さい!
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