10.輝く波は宝石のよう
丸二時間先輩に発破をかけられながらフロートを牽引して泳がされた俺は、最後の力を振り絞って焼きそば10人前を作った。
「おー、上出来じゃん、じゃあ盛り付けくらいはアタシがやるわ」
俺がテントの中で泥のように眠る間、先輩と野郎共は無事、浜辺の焼きそばパーティで盛り上がったようである。野郎共にとって希夢ちゃんが千市先輩に変わった事は些細な問題らしい。
一時間後。テントから這い出してみると、野郎共が彼方の波打ち際で無邪気に戯れ合うのが見えた。先輩はもう帰ったのかな。やれやれ……
「焼きそば。アンタの分」
しかし先輩はテントの影からいきなり現れた! しまったまともに見ちまった……ああでも……先輩、水着の上に水泳部のTシャツ着てるじゃん、これならまあ少しは落ち着いていられる。
「いらないのかよ」
「い、いりますありがとうございます!」
俺は深々と腰を折って先輩から焼きそばを受け取る……まあ俺が作った焼きそばが俺が持って来た紙皿に載ってるんだけど。ああでも腹ペコだ、俺の分、よく残ってたな。
俺が四人掛けのピクニックテーブルに座ると、先輩も斜向かいに座る。
「ああっ、先輩かき氷いかがですか、イチゴとブルーハワイしかないですけど!」
慌てて立ち上がった俺は荷物に飛びつき、かき氷機をテーブルにセットし氷点下クーラーからブロックアイスを、普通のクーラーボックスから二色のシロップを取り出す。
「アンタこんな物まで用意してんのかよ……じゃあイチゴを貰おうか」
「かしこまりー!」
カップをセットし、俺は気合いを入れてハンドルを回す。
「遠泳の練習だけが目的じゃなかったのか。誰の為に準備してたんだ?」
「えー、そりゃまあ、そこで遊んでる友達の為っスよ」
俺は時々カップを回す。綺麗な盛り付けには欠かせない一手間だ。シロップも途中で一度掛けて、その上からまた氷を降らせる。
「練乳もいかがっスか」
「貰おうかな……はあ。すごいわアンタ」
先輩は感心したというより呆れたという顔でそう言った。
席に戻った俺はようやく焼きそばを食べ出す。先輩はいちごミルクかき氷を口に運ぶ。
「それで? あいつらの為とかウソだ、本当は四年の秋星の為なんだろ」
「えっ……な、何の事だかさっぱり……そ、それより先輩、先輩はどうしてここに来たんですか」
先輩はそれに答えず、黙ってかき氷をゆっくりと二口食べた。まあいいや。俺も焼きそばに集中しよう……
「アタシんちはここの近所だし、そんな事聞かれる筋合いはねーよ。アタシが家の近所を散歩してたら、アンタが勝手に居たんだろ」
そうなのか……いや、まあ先輩がそう言うならそうなんだろう。
俺は再び黙って焼きそばを食べる。
「あ」
先輩のスプーンからイチゴミルクのシロップがこぼれ、Tシャツの胸に落ちる……あれ? ちょっと待て、そのTシャツ。
「あの、先輩」
「わりーわりー、アンタのTシャツにイチゴミルクこぼしちまった、アッハハ」
「やっぱり俺のじゃないスか!?」
そうだろ!? 先輩が着てるのは俺のTシャツだよ! 青友学園水泳部のプリントのある、休憩の時や試合の応援の時に着る綿の白Tシャツだ!
「アタシまだシャワー浴びてないし、アタシのシャツモデル事務所の借り物なんだわ、塩と砂だらけの体で着れないじゃん」
「俺のならいいんスか……」
そこへ。
「……せんぱーい! せんぱいも入って下さいよー!」
波打ち際の野郎共が、ビーチボールを抱えて無邪気に手を振っている。
「おーし!」
いつになく機嫌の良さそうな先輩はそう答えて立ち上がる。今度はそのTシャツのままで遊びに行くのか……俺、帰りはびちゃびちゃのTシャツで帰るのかなあ。
そんな事を考えてゲンナリしていた俺は完全に油断していた。立ち上がった先輩が、いきなりそのTシャツを脱いだのだ。それで、なるべく見ないようにしていた先輩のパーフェクトボディを、まともに見てしまった。
「あ……」
ヤバい。ヤバいって!?
俺は結構きわどいビキニを着た先輩の身体を凝視していた。理性では駄目だと解っている、先輩ははっきりと、自分の体をガン見する俺を見ているのだ!
この瞬間が、0.1秒が、後でどれだけ高くつくか解っているのか!? 後で何を言われるか、水泳部中に何て言われるか、学校中に何て言われるか!?
早く目を逸らせッ! いや頭を逸らせ、それが出来ないなら首ごともぎ取って遠くへ投げろッ! 早くッ……! だめだぁぁあっ!! 理性では解っているのに! 俺は! 俺はこの光景からッ……目を離せないッ!!
―― バフッ
あっ……俺の視界が何かで覆われた……良かった、これで視線を逸らす事が出来るぞ……それにこれはあれだ、きっと俺のTシャツだ。先輩、返してくれたんだ。
俺はTシャツを取り払いながら視線を逸らす。もう先輩の身体をまともに見たりはしない。先輩は残り三分の一になったイチゴミルクかき氷をもう一口だけ食べて、テーブルに置く。
「残りはやるわ、お前も食ったら来いよ」
先輩はそう言って笑うと、野郎共の方へ駆け出して行く。俺はその様子をまともに見ないよう、視界の片隅で見送る。
やべえ……大丈夫か俺、先輩の身体、5秒くらい見てたんだけど……とりあえず今は、何も言われなかったよな。
俺の目の前には先輩が残して行ったかき氷がある。イチゴミルク……さっきまで先輩がねぶっていたスプーンもそこに……
そして俺の手には先輩から投げ返されたTシャツがある。これは俺のTシャツなんだけど、今の今まで先輩のパーフェクトボディを包んでいたTシャツでもある。触ればまだ温かい。先輩のあの身体の、温もりがある……
「うおおおおおおお!!」
俺はかき氷のカップを持ち上げて天を仰ぎ、残りのかき氷を一気に口の中へと流し込む! うおおおこめかみ痛ぇえ!!
「ぬうああああああ!!」
そして全速力で砂浜を駆け抜け波打ち際を蹴立て、ジャンプ一閃、海へと飛び込む。
「ふんがあああああ!!」
押し寄せるさざ波に向かい、俺はバタフライで突き進む。
ギラギラと輝く太陽が、雲一つない空が、全てを見下ろしていた。
俺はライフガードに止められるまで、遊泳禁止線を端から端まで、何時間も往復し続けた。




