007
我が家は連日、今までになく嵐が巻き起こっている。
お母様はずっとイライラしているし、お父様は私のツヤツヤになった髪を見て明らかに様子がおかしくなった。
「光ってるね!?」
「そ、そうみたいですね?」
「一晩で? ツヤツヤに!? そうなんだね?」
「……そのようです」
普段見ないようなハイテンションで私の周りをぐるぐると回りながらひとしきり確認し、「うん!」と力強く頷いてお父様はひっくり返ってしまった。いったい何に納得したのだろうかは不明だ。
「お父様!?」
元々気が弱い人だとは思っていたけれど、髪でこれなら瞳なんかが現れた日には爆発してしまうじゃないだろうか。まあさすがにそれはないだろうけど、空気と同化してしばらく見つからない可能性はありそうなので心配である。
そんなお父様を見てお母様はまた大きく溜息をつく。まったく取り乱さないところを見ると、お父様がこういう感じで倒れるのは今回が初めてではないのだろう。
同じく慣れた様子の執事にお父様は運ばれていった。
「……で? 本当はいったい何をしでかしたんです?」
「ですから、何もしてませんって」
お母様はじろりとこちらに疑いの目を向けてくる。
本当に何もしていない。普通に学校に行って、寝て起きたくらいだ。鼻ができた時だって、その直前には特別思い当たることもない。同じように寝て起きて、学校に行って、迎えに来たアンと一緒に寄り道もせずまっすぐ帰宅。その後もいつも通り自室でごろごろダラダラ気ままに過ごしていた。それからの鼻事件である。何をしたかと問い詰められたところで何もしていないのだから、お母様が求めているような答えは出てくるはずもない。
「生徒のどなたかに粗相をしたとか」
「いえ特には」
クラスメイトはモブなので、基本的にモブらしい距離感でお互いに接している。何かをやりすぎることは絶対にないし、仮にうっかりやらかしても、何事もないように丸くおさめる能力に長けている。基本的に事なかれ平和主義なのだ。たまにそうではないモブ生徒もいるが、そういう人たちはメインの方々と遠くないうちに関わることが多い。当たり前だが未来がわかるわけではないので、モブ生徒の動きが与える影響が良いことか悪いことかの判断はすぐにできるはずもない。そうなるとそのモブ生徒の周囲は大変な危険地帯となるので、自然と距離を置くことが多いのだ。
「まさかとは思いますが、メインの方々と関わりができたわけではないですよね?」
「ないない、ないですよ! それこそまさかじゃないですか!」
仮にぶつかっただけだとしてもその相手がメインであれば、モブにとっては一大事だ。そんな出来事があるならば忘れるはずもない。
「それに、もしそんなことになっているならクラスメイトの方たちの行動や会話も変化してるはずです! 昨日も特に変わらずあたりさわりのない世間話しかしませんでしたよ」
「そうね……周囲に変化があれば、さすがのあなたでも気付くでしょうね」
うんうん、と側に控えているアンが力強く頷いている。お父様に助けを――と思ったけどお父様は既に運ばれていったんだった。
「まさか――!」
お母様がハッとした顔をして、こちらに怪訝そうな視線を痛いほど送ってくる。
「拾い食いなんかして、変なものでも口にしたりしていないでしょうね!?」
「してませんっ!」
お母様、私のこと時々犬か何かだと勘違いしているんじゃないだろうかと思うことがある。
まあ確かに? 小さい頃は何でも口に入れようとしていたようですし?
道に落ちていた美味しそうなお菓子があったら食べてしまったこともあるようですし?
しっかりと包装されているタイプのお菓子なら大丈夫だと思ってしまったのも、幼い頃ならしかたないと思いますし?
「大丈夫です、奥様。私がしっかり見ておりますが拾い食いはもうしておりませんよ」
アンがすかさずフォローする。と見せかけて『もう』だなんて微妙な言い方をする。子どもじゃないんだから、出どころ不明の物を食べたりしていませんって。
「……そう。ならいいですが……今後も道に落ちていたり、怪しい人物からすすめられたりもらった物を口に入れたりしてはいけませんからね、アメリア」
お母様の中で私はいったい何歳児のイメージなんだろう。
いつまでもこの話題を続けられると心にくるので、適当に返事をして話題をそらすことにした。
同じような質問がしばらく続いた。いつの間にか小一時間経っていたようで、部屋の時計がまた一時間過ぎたことを知らせる。これ以上話しても結論が出ることはないと、お母様は諦め交じりに言った。
「……私はこれから用事で外出しますが、くれぐれもお父様を追い込むようなことは言わないように。また見失うようなことがあっては困りますからね」
「はぁい」
お母様出かけるのか。ついでにお土産とか買ってきてくれないかな。できればお菓子がいいのだけれど。
「今日は忙しくなりそうなので、余計な買い物をしてる暇はありませんからね」
私の考えていることがわかったようで、ぴしゃりと冷たく言い放った。
「…………何も言っていませんよ?」
「顔に書いてあります」
書いてあるのは鼻でしょうに。
さすが私の母である。考えが読まれてしまったが、きっとそうは言っても何かしら買ってきてくれる気がする。何だかんだと文句を言いながらも根は優しいのがお母様なのだ。
「ではアメリア、今日はおとなしくしているように」
元々出かける気などない。外で気を遣いまくる生活をしているのだから、家にいる間はこれでもかというくらいダラダラしたいし。
「あ、お母様、ひとつ聞いてもいいですか?」
「何ですか?」
「……結局、『ツヤベタ』って何なんですか? 鼻はわかりますが、髪の表現としてちょっと気になるなーって……ツヤはツヤツヤのツヤなのかなって気はしますけど、ベタってなんだか……ベタベタのべた? みたいな感じがしてイメージと違うというか」
お母様は少し考えて、それから神妙な面持ちで「いいですかアメリア」と言った。
普段より落ちた声のトーンに私はごくりと唾を飲む。
「――世の中には解明されていないことがたくさんあります」
「え、あ、はい」
「それと同時に、知らなくて良いこともたくさんあるのです」
「はあ……」
困惑した私を置いて、お母様は部屋を後にした。
「…………ん?」
結局ツヤベタのベタが何モノなのかはわからなかった。
お父様の様子を見に行こうかと思ったところで、ぐぐううぅぅぅ~と体内から元気な鳴き声がした。
頭を使ったからかお腹が空いてきた。そういえばご飯を食べ損ねていた。
私はそのまま厨房へ突撃し、シェフにご飯をたっぷりと作ってもらった。
お腹がいっぱいになる頃には、私はツヤベタのベタのことなどきれいさっぱり忘れていた。