001
その日も何でもない朝のはずだった。
いつもと変わらぬさわやかな朝。私を起こしに来たメイドが叫びながら部屋を慌てて出て行った。我が家だからいいものの、よその家だったら即刻屋敷を追い出されても仕方のないくらいだ。おかげで二度寝をする気も失せてしまった。
メイドが人を見るなり部屋を飛び出して行ったものだから、部屋にはぽつんと私ひとり。たまにはメイドがいない朝も良い。お上品にする必要もなく、ここぞとばかりに大きく口を開けてあくびをしてみる。ちょっとした背徳感。
ところでメイドはなぜ急に部屋を飛び出して行ったのだろう? あの声のうわずった感じはおそらくアンだろう。姿は見えなかったけれど、たぶん。
「苦手な虫でもいたのかな……」
もう一度、くあっとあくびをしてベッドをおりた。本当だったらもう少し寝ていたかったけれど、残念なことに今日も学校だ。時計を見ればいつもと変わらぬ起床時間。あたたかくてふわふわのベッドが名残惜しい。後ろ髪を引かれる――いや、これは寝癖の違和感だな……。
ぺたぺたと歩いて隣の洗面台の蛇口をひねる。シャーっと流れる水の音を聞いていると、寝ぼけ頭の起床プロセスが動いていくよう。洗顔を終えてふわふわのタオルで顔を包む。おひさまの匂いがする。顔を上げて鏡を見る。
よし、今日も一日――!
「へっ?」
鏡に映った自分の顔を見て、思わず素っ頓狂な声が出る。あまりにも突然のことで理解が追いつかないからか、こんな声も出せたんだ~、なんて脳がずれた思考を始めた。
「は……鼻が……!!」
鏡に映る私は、昨日までとは違っている。自分の顔に恐る恐る手を伸ばす。
「アメリア!!!!」
バタバタと走る足音。飛び込んでくる母の声。遅れて「お嬢様!」とアンの声。
「ああ……なんてこと……!」
母は私の顔を見て、手を、足を震わせながらこちらへ恐々と近づいてくる。
そうして私の頬を両手で覆い、何度も何度もじっくりと顔を確かめる。
「アメリア、これは…………『鼻』だわ!!」
「……そうですね、お母様」
ぶにゅうと顔をつぶされているのでちょっと痛い。
「奥様、お嬢様のそれは本物の……」
「ええ、間違いありません。これは『鼻』です!」
そうでしょうとも。
鏡に映った私には、正面からでもわかるほどすっきりとした鼻があらわれていた。高すぎず低すぎず、割と整っている良い形なのではないだろうか。
「やはり……! では旦那様には」
「すぐに知らせてちょうだい」
母の言葉を受けて、アンはまた慌しく部屋を出て行った。
母はその間も私の顔を凝視したまま。頬をがっしりと挟んだまま離してくれない。
「……お母様、たかが鼻ひとつで大げさでは?」
「何を言うのです! これは私たちモブにとっては一大事なのですよ!」
じっくりと顔のあちこちを確かめるように、母は私の顔を凝視している……はず。
私には正確には母がどこを見ているのかはわからない。
なぜなら私を凝視する母の顔はないからだ。
鼻はおろか目も眉もない。食事時以外では口元も判別できない。
そう。モブとは、本来顔の造詣とは無縁。
モブである両親、メイド、そして私も、無縁のはずだったのだが。
なぜか目が覚めたら、横を向いたときくらいでしか判別できない鼻の造詣が私の顔についていたのである。それはもう正面からでもしっかりとわかるものが。
モブとして平穏な暮らしを約束されていた私の、平和な足元が大きく崩れ始めたのだった。