"冷たい夜を"
北陸、日本海側の大地震が
元旦の夕方に発生した。
多くの人が、正月を祝いつつ、
団欒の時を過ごしていただろうに。
少しでも被害が少なく、
少しでも皆が落ち着けるように
祈るばかり、願うばかり。
神様に話しかけるはかり。
阪神淡路の震災の時の、
あの冷たい夜を思い出す。
これからどうしてゆこうか。
集まっては皆で話していた。
この国で暮らす限り、
大地震に遭うかもしれないと、
誰もが知っているけれど、
遭う体験はそうでもない。
体験しないとわからない
事があり、その事に
大事な意味を感じている。
したくない体験の意味を。
冬の大地震の後には、
防寒、避難場所を、となって、
そこでの排泄が初めに
難儀することだった。
水が通らないので、
必ず流せなくなるし、
避難所は避難の人の数に
合わせての構造ではない。
自衛隊の給水と同時に、
簡易トイレの設置は
つくづく必要に思う。
女性、子供を基準に。
その次に食べ物、栄養の
ことになり、そして、
お風呂のことになる。
これも自衛隊に助けられた。
また、逃げ出した家に
できるだけ早く、
ブルシートをかけたい。
その後の作業のために。
雨はこういうときに
何故か降り始める。
少しでも濡らさないほうが
片付けの労力は少ない。
そうする間にお年寄りと、
赤ちゃんと、病気の人への
対応がたくさんあった。
順番を間違えないように。
仮説住宅の建設が始まると、
地域によっては抽選になる。
動けない人のための、
お助け隊があればよかった。
感覚に残っていることを
書いてみようとした。
なんの為にもならない。
無責任なことかもしれない。
あのときの体験からの、
ありのままのことが、
時間が経ち薄れてしまうから。
冷たい今夜、思い返そうとした。