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絵蝋燭

 Rさんの実家では、お盆になると仏壇に絵蝋燭を供える。

 絵蝋燭とは、蝋燭に絵付けを施したもののことだ。太い蝋の部分に絵の具を用い、華やかな色合いの草花を描く。極楽浄土に咲くという薄紅の蓮の花を始め、真紅の椿、黄色の水仙など、様々な柄がある。元々は雪深い地域で、花のない冬に花の代用品として仏壇に飾られたものらしい。しかし現在では柄も多様化し、雪や雛人形など季節の事物を描いたもの、パステルカラーでポップな模様を描いたものなど、様々な進化をとげている。

 

 Rさんが子供の頃、実家の仏壇に供えられていた絵蝋燭は、ごく一般的な蓮の柄のものだった。清浄な白地に、ピンク色で蓮の花が描かれている。柔らかく丸みを帯びた大きな花。優美で上品なそれは、まさに死者に手向けられるもうひとつの花だ、とRさんは感じていたという。

 

 ただ、Rさんは知っていた。仏壇の一番下の引き出し。その奥に、もうひとつ黒い箱が仕舞われている。何の模様も文字もない、素っ気ない黒い木箱。その中には、また別の絵蝋燭が入っている。誰も仏壇に供えようとしない、口にしようともしない、ひっそりと隠された絵蝋燭。いつの頃からか、Rさんは自然とその存在を知っていた。

 その黒い箱を開けると、中には5本ほどの絵蝋燭がきっちりと並んで詰められていた。どれも白い蝋部分に黒のみで絵が描かれたものだ。見ようによっては洗練されたシックな色合い。ただ、その白黒は、洗練された品の良さというよりは、陰鬱で、じっとりと重い情念のようなものをRさんに感じさせた。

 その印象を決定的にしていたのは、そこに描かれた柄だったろう。そこに描かれていたもの。それは、死後の人間の姿だった。あるものは骸骨、あるものは死装束、または腐乱死体。目を背けたくなるような死後の人間の姿ばかりが、そこには描かれていた。しかも描写が異常にリアルで生々しい。まるで実物を実際に見ながら、そっくりそのまま描き写したかのように、異様な存在感を感じる絵だった。死装束の死体はいつか見た親戚のおじさんにそっくりだったし、骸骨は理科室で見た模型そのまま、腐乱死体は体の半分がゼリーのように溶けかかり、米粒のような白い蛆がびっしりと貼り付いているのまでよく見えた。

 大人でも眉をひそめて忌避するような絵蝋燭。しかし、当時のRさんは、まるで恐怖を感じなかったという。

 むしろ、楽しくて仕方なかったそうだ。その絵蝋燭を手にすると期待に胸が高鳴った。早く火を灯したくてたまらない。わくわくする。その蝋燭は、Rさんにとって遊園地のような高揚感をもたらすものだったという。

 

 Rさんは、度々その絵蝋燭を灯した。一人きりの仏間で、こっそりと。誰にも知られてはならない。一人でなければならない。誰に教えられたわけでもなく、そうしなければならないとRさんは知っていた。

 夜、家族の様子を見計らい、誰もいない仏間に忍び込む。しんと静まりかえった暗い和室。明かりはつけず、手に持ったスマホで足元を照らしつつ、音を忍ばせながら仏壇に近付く。一番下の引き出しを開け、慎重に絵蝋燭を取り出し、燭台に立てて火を灯す。

 当時、子供が勝手に火を使うことは禁止されていた。Rさんは普段は言いつけを守る従順な子供だったが、ことこの絵蝋燭に関しては別だった。この絵蝋燭のことを思うと、他のこと全てがどうでもよくなった。言いつけを破る後ろめたさも、ばれた時に怒られる恐怖も、何もかもが綺麗さっぱり消え去った。ただ火を灯す、その楽しさだけで頭がいっぱいになったのだという。

 絵蝋燭に火を灯す。オレンジ色の小さな光が芯の先に立ち上がる。Rさんは瞬きもせずそれを見つめる。数秒後、炎が少しだけ大きくなり、ちらちらと揺れ始める。室内は閉め切っていて、どこからも風が吹き込むはずはない。それなのに、毎回必ず炎は揺れ始めた。初めのうちは、ささやかな微風に煽られるように、右に左に小さく揺れる炎。しかし次第に激しさを増し、見る間に高さは2倍、3倍に、大きさはひと回り大きく、揺れは強風に煽られるように激しく左右になびいた。暴風の中にあるように荒れ狂い続ける炎。そしてある瞬間、ふっと分離した。芯の先にある炎から、小さな炎が空中に飛び出る。それは即座に空中で丸まり、蛍の光に似た球体となって辺りを漂い始めた。親指大ほどの仄かな光を放つ球体が、ふわりふわりとしゃぼんのように室内を浮遊する。その間にも蝋燭からは次々と炎が分離して、仏間内は瞬く間に光の球体でいっぱいになった。明かりの消えた室内を、無数の光の球体が乱舞する。美しい蛍の群れのようにも、輝く星空のようにも見える景色を、Rさんは言葉もなくうっとりと眺めた。

 面白いのは、球体の色が違うことだった。同じ炎から分離したというのに、光の球体は全てが同色ではなかった。大体は分離前の炎と同じオレンジ色。しかし、しばしば別の色の球体が生まれることがあった。可憐なピンク、あでやかな赤、凛とした黄色、冷気をまとう青や、寂しげな緑もあった。仏間を埋めるたくさんのオレンジの光の中に、ピンクや黄色、青、緑、紫……様々な色が入り混じり光り輝く。それは、宝石箱に迷い込んだように美しい光景だった。

 Rさんは仏間内を歩き回り、漂う球体を捕まえ、手に乗せたり、そっと投げ上げたりして遊んだ。炎の塊であるはずの球体は、何故か熱くはなく、触れると仄かに温かく、柔らかかった。オレンジの光は、柔らかい布のような手触りで、じんわりとした温もりを手に残した。しかし、オレンジ以外の色は、それだけではなかった。

 ピンクの光は、ふわふわとした綿毛のような触り心地で、触れているとくすぐったいような恥ずかしいような嬉しさが胸に込み上げた。黄色の光は、滑らかな石のような感触で、触れると凛と背筋の伸びるような心持ちになった。青は形が定まっていないようだった。触れると、その部分がへこみ、ふにゃりふにゃりと自在に形を変えた。なんとなく水に似ているとRさんは思った。そして触れると、泣いたあとのような清々しい切なさで胸がいっぱいになった。他の色たちも、それぞれに違った感触と感情をRさんに与えた。しかし、どれも奥底に優しい温もりを宿していた。

 ただ、ひとつだけ。温かさを感じない球体があった。黒色の球体だ。黒ではあるが、やはり光っている。他の球体よりかなり暗めだが、確かに光を放っている。炎から分離したのだから、他と同じく光と熱の塊なのだろう。そのはずなのだが、なぜか黒の球体は全く熱を持たなかった。触れると冷たく、チクチクと手を刺した。黒の球体は柔らかくもなかった。全体が針の塊であるかのように鋭く尖っていた。その針は容赦なくRさんの皮膚を傷つけた。短く細い針のためか痛みは少なかったが、それでも触れるとチリチリした痛みが走り、触れた部分には跡が残った。黒い火傷のような跡だった。その跡は2、3日もすればきれいに消えたが、絵蝋燭で遊んだあとのRさんは、いつも体のあちこちに黒い火傷痕を残していた。

 Rさんは黒の球体が嫌いだった。痛みを感じ跡が残るのはもちろん、触れると嫌な気持ちになるのだ。それはなんとも言いようのない、淀んだ、胸の悪くなるような感覚だった。何もかもに見放された気がして、全てに嫌気が差し、じくじくと体の中が蝕まれていく。内臓が重くなり、時たま、ワーッと叫びだしたくなる。胸の中で重い泥が渦巻いて、吐き出すと針となって飛び出す気がする。ひどく嫌な気分。なのに、何故か体は勝手に笑いだした。面白くもなんともないのに、腹の底から突き上げるように笑いが込み上げた。

「ぐふ、うふふ、ぐふふふ……」

 Rさんは口元を手で抑え、必死で声を殺しながら、歪な笑いをこぼし続けた。それは自分でもゾッとするような薄気味悪い笑いだった。

 だが、Rさんは黒の球体を触ることをやめられなかった。もちろん触りたくなどない。しかし、見ると触らずにはいられなかった。視界に入ると、触らなければならないという焦りと不安に苛まれ、どうしても手を伸ばしてしまう。黒の球体の方もそれをわかっているようで、いつも流れるようにRさんに近寄ってきた。それは他の球体では見たことのない意思を感じる動きだった。気味悪さと嫌悪感が募った。が、それでも触ることからは逃れられなかった。Rさんは黒の球体を触り、嫌な気分を味わいながら、体に痕を残し続けた。

 

 Rさんの絵蝋燭遊びは、数年ほど続き、突然終わった。Rさんが飽きたのではなく、絵蝋燭が無くなったのだ。

 ある時、いつものように絵蝋燭で遊ぼうと仏壇の一番下の引き出しを開けると、そこにあるはずの黒い木箱がなかった。引き出しは空っぽで、埃ひとつ入っていなかった。慌てて他の引き出しや、扉のなか、仏壇の裏側まで覗いて探してみたが、どこにもあの黒い箱は存在しない。Rさんは落胆した。それでも別の日なら箱が戻っているかとと思い、何度か仏間に忍び込んだが、やはりなかった。そして、それ以来黒い箱を見ることは一度もなかった。

 そうしてRさんは絵蝋燭遊びをやめた。

 

 現在、Rさんは小学生の娘を持つ主婦である。

 結婚を機に実家を出て暮らしているが、今いる賃貸マンションのリビングの一角に仏壇を置いている。いずれマンションなり一戸建てなりを購入する際には仏間を設けるつもりだ。

 わざわざそうする理由は、家族や親戚一同に強く勧められたからだ。実家を出るならば、新居には必ず仏壇を置くように。安泰に暮らすためだ。必ずそうするように。誰に会っても口酸っぱく言い聞かされた。特に両親には鬼気迫る勢いで何度も念を押された。

 今にして思うと、とRさんは振り返る。あの絵蝋燭から出た炎たちは、先祖の魂だったのではないだろうか。あの炎たちからは、常に温かく、見守るような気配を感じた。どんな感触やどんな気分をもたらそうと、その奥に親密な優しさがあるのが分かった。あの包まれるような安心感。あれは、家族といる時の安心感によく似ていた。

 そして、あの不思議な一人遊びの時間。いくらひっそり行っていたつもりでも、本当は親は勘付いていたのではないだろうか。子供の隠し事など、親はすぐに気付くものだ。ましてや何度も夜中に自室を抜け出していたのだ。不審に思われない方がおかしい。親は気付いていて、それでいて黙っていたのではないだろうか。黙って見守っていたのではないだろうか。見守るしかなかったのではないだろいか。

 それもこれも、あの炎たちが先祖の魂だと分かっていて、触れ合うことが一族の通過儀礼だと知っていたからでは――。

 

 今、Rさんは悩み事を抱えている。

 小学2年生の娘さんについてだ。娘さんがちょくちょく夜中に寝室を抜け出すのだ。寝室を抜け出した娘さんは、一人リビングに行って何かしているらしい。聞き耳を立てると、ごそごそという棚を漁る音や、カチッという火をつけるような音、歩き回る足音などが聞こえる。そして、少し経つと「ぐふ、うふふ、ぐふふふ……」という押し殺した気味の悪い笑い声がしてくるのだそうだ。翌朝には、娘さんの白い腕に点々と黒い火傷痕が散っている。

 しかし、Rさんは娘さんに何かを言ったことはない。言いたいことはあるが、言えないのだ。何かを口にしようとすると、激しい胸騒ぎに襲われ、黙ってしまう。何か強い力が自分を監視し、止めているのを感じる。それを気のせいと断じることは出来ない。なぜなら夜中、娘さんがリビングにいる間、リビングの扉が決して開かないからだ。鍵などない普通の扉。それが溶接でもされたようにピクリとも動かない。

 そんな時、Rさんはただ祈る。娘を見守ってください。優しくしてください。傷つけるのは少しだけにしてください。連れて行かないでください。どうか壊さないで、壊さないで。

 Rさんが不安に思っているのは黒い炎だ。

炎たちからは優しさや親密さを感じると言ったが、黒い炎だけは例外だった。冷たく鋭く、精神に侵食してくる憎悪。あれは悪意の塊だった。

 例え先祖でも、とRさんは言う。全員が子孫に愛情を抱くわけではないでしょう。時には、血の繋がる子供だからこそ壊してみたいと思う人間もいるはず。でも、私には何も出来ない。そんな先祖でも私達には祀るべき先祖。血の繋がりを断つことは出来ないの。

 夜毎Rさんは祈る。彼女の不安はしばらく続くのだろう。

 

 


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― 新着の感想 ―
[良い点]  不思議なリアリティがある作品だと思います。 ただの「呪い」「恨み」「幽霊」などではなく、「先祖の見守り」を入れた事で、テイストが一般的な怪談と違いますね。 もちろん、「ぐふふ」と笑うシー…
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