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婚約内定 1-1 ガブリエールの場合





 □





 公爵が用意してくれた貸し馬車の中で、ガブリエールは王太子とのやりとりを思い出す。

 祖父以外の相手と初めて踊ったワルツが、この国の王太子殿下になるなどとは!


(まるで夢みたいだ)


 しかも、相手はあろうことか、王太子殿下。この国の頂点に君臨する王族が、ガブリエールを「婚約」の相手に選んだのだ。なんと栄誉なことだろう!

 そう幸せな気分に浸っていられたのも、数瞬の間だけ。


(でも、偽装、なんですよね)


 思い出すだけで心が千々(ちぢ)に乱れる。

 考えてみれば当たり前だ。自分のような、下級貴族と呼ぶのもおこがましい貧家の娘など、婚約の相手としては不適格もいいところだ。

 だというのに、噂に名高いエミール王太子は、自分を偽装の婚約者に仕立て上げた。


(きっと、何か深いお考えがあってのことなのだわ)


 ガブリエールはそう納得した。

 納得することで、心の乱れを平静なものに変えた。

 自分の小さな屋敷──生家に帰り着いたころには、ドレスを脱ぐのにも苦労し、温めた湯で体を拭いた後には精も根もつきはてたように疲れきってしまった。

 短い蠟燭にともった火を吹き消し、肌着のままベッドに転がって、王太子殿下と触れ合った手と手を眺める。

 腰に回された王子の握力の熱まで、いまだそこに残っているような気がした。

 ホールの天井を煌びやかに彩っていたシャンデリアよりも、輝かしい思い出。

 ほんとうに、素敵な舞踏会だった。

 この先一生、この記憶は忘れがたいものとなるだろう。


「エミール王太子殿下」


 名を呼ぶことがこんなにも熱っぽく感じられることなのだと初めて知った。

 今までまったくこれっぽっちも意識したことのない殿方への情念が、ガブリエールの胸の裡を満たした。

 それは感動であり感謝の心。感激にして感情の火であった。

 あまりにも心地よい夢だった。


「ありがとうございます……ほんとうに、いい夢だった──」


 疲れ切ったガブリエールが、そっと眠りの世界へ旅立つ。

 あまりにも優しい夢を胸に懐きながら。


 が。


 朝日が昇りきった頃、事態は急転を余儀なくされた。

 早朝から鳴り響くベルとノック音に、ガブリエールは叩き起こされた。

 さらに、謹厳な少年の声が続く。


「故モルターニュ騎士候が息女、ガブリエール殿はご在宅か?」

「は、はい!」


 玄関の外から聞こえる大声──来客らしき声音に、反射的に応答を返してしまった。

 使用人などひとりもいないガブリエールはベッドから跳ね起き、慌てて自分の長髪を梳かしつつ、衣服をあらため、訪問客を迎える最低限の準備を整えた。

 暖炉の薪に火をつけ、お茶の用意をしつつ、応接間がきちんと掃除されている(自分で毎日のように清掃しているのだから当然だが)ことを確認。

 時間にして数分も待たせてしまった来客に対応すべく、玄関ホールを小走りに駆ける。


「おおお、お待たせして申し訳ございませ──!」


 訪問客の筆頭を見たガブリエールは凍り付いた。


「エ、エミール王太子殿下!」

「あ、ああ、レディ・ガブリエール……昨夜ぶりですね?」


 前庭を埋め尽くす幾つもの車列。

 片眼鏡をかけた少年執事や幾人もの女中、従僕を従えて現れた第一王子の姿に、ガブリエールは口を数度パクパクさせた。

 ようやっと絞り出せた言葉は謝罪が列をなすものであった。


「ほ、本当に申し訳ございません! わ、我が家はその、なんといいましょうか、殿下ほどの来賓に応対できるほどの!」

「ああ。どうかお気になさらずに、ガブリエール殿」


 そう王太子は言うものの、貴族の貧家であるモルターニュの家は、いろいろな意味で王太子を招き入れるだけの準備が整っていない。

 ガブリエールは掃除をもっと徹底させるべきだったと己を叱咤しつつ、国の王太子をいつまでも玄関に留め置くのも礼を失することに気が回った。


「どう、どうか中へ。殿下には手狭でしょうが」

「なんの。十分に立派なお屋敷ですよ、レディ」


 家主の令嬢は耳まで赤くなるほど頬を熱くした。






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