【読切り超短編】 槍持勇気の事 ~「享和雑記」より江戸時代の出来事~
江戸時代の武士には家来として雇っている「中間」という人達がいました。
「中間」と書いて「ちゅうげん」と読みます。
それは武士の身分によって雇う人数が決められており、どんなに貧しい武士でも外出や登城の際は「草履取り」「槍持」「挟箱持ち」は供として連れていないと格好がつかないのです。
草履取りは主人の履物の番をする者、槍持は文字通り武家の象徴である「槍」を預かる者、挟箱持ちは主人の予備の衣類や筆などの必需品を収納した「挟箱」という箱を持つ者です。
これが戦乱の世であれば、主人を護衛し、戦場では主人を補佐して戦うこともある「従者」となるのでしょうが、天下太平の世の中では「武士」としての体面を繕う「雑用係」となっていたのです。
太平の世が続き、貨幣経済が発達し武士の生活が厳しくなってくると、草履取りや槍持、挟箱持ちを常時「雇用」しておくだけの余裕がない武士も出てきます。
そんな経済的に苦しい武士の為には「レンタル中間」「臨時アルバイト」というべき、一時的に雇われて主人の供になる中間達もおり、それ専門の人材派遣業者もあったといいます。
こういう臨時雇いの中間達は「折助」などと呼ばれたりもします。
また、そうでなくても「渡り中間」といって、ほうぼうの武家屋敷を渡り歩く中間達もいました。
年三両一人扶持(年三両の給金と一年分の米一人分)・・・武家の奉公人の中でも最下級の「低所得者層」の彼らは、犯罪に手を染める素行の良くない者も多く、よく時代劇などでも「中間部屋」といえば、寺社と並んで、ご法度の賭場の舞台となっていたりします。
武家屋敷は「半七捕物帳」の半七親分や、「銭形平次捕物控」の平次親分などで有名な、町奉行同心に私的に雇われた、町方の「岡っ引き」達が入り込めない治外法権的な場所だったからですね。
最近はあまり耳にする機会も減りましたが「下っ端」の事を指す「さんぴん」という言葉も、彼ら三両一人扶持の中間達を蔑んで言った言葉が語源になっています。
そんな素行が悪く評判の良くない中間達ですが、まれに剣の腕もあり肝も据わったスゴいヤツもいた・・・そんなお話です。
「柳川亭」という筆名で編纂された「享和雑記」
享和期(1801~1804)の様々な出来事を書き留めた大変に面白い書なのですが、その中から第三巻、三十八「槍持勇気の事」というお話をご紹介したいと思います。
享和二(1802)年、壬戌正月三日のことです。
お正月の武士は大忙しです、朝早くから上司や各方面に年始の挨拶に歩き回ります。
麹町三軒屋に屋敷を構える三上因幡守様のお屋敷に、市谷木津屋町に住む山中安左衛門というお武家が年始の挨拶に来ていました。
武士の年始回りは朝も早くから日頃お世話になっている家々を巡り歩いて挨拶をするため、三上様のお屋敷に到着したのはもう夕方・・・主従とも挨拶に行った家々でお酒は振る舞われるし、足ももうヘトヘトです。
主人の山中殿は三上様のお屋敷の中に招かれ、振る舞い酒のまっ最中、今回も相当の長居になりそうです。
朝から主人の供として歩き回っていた槍持も草履取りも疲労困憊して、グッタリと疲れた表情を見せていますが、だらしなく座って待っていることは出来ません。
特に槍持は、仮にも主人の武士としての象徴である槍を預かっている身、どんなに疲れていてもシャキッと姿勢を正して待っていなければなりません。
・・・そこに通りかかったのが表高家の有馬粂之丞様の一行。
表高家というのは、非役ながら幕府の儀式や典礼を司る役職に就くことが出来る、非常に格式の高いお家柄。
山中殿と同じく年始回りの最中なのでしょう、その高い家格にふさわしく、供も多数引き連れての堂々の一行です。
その有馬様の一行が、三上様のお屋敷の前でボーッと所在無げに突っ立っている槍持達の前を通りかかった時のことです。
有馬様の駕籠を担ぐ「六尺」と呼ばれる駕籠かきの家来が、
「そこの槍持、邪魔だ!」
・・・そう言って、手にしていた棒で突くと、疲労困憊していた槍持はヒョロヒョロと力なくよろめきます。
主人同様、年始回りの間には振る舞い酒の余録にありつき、多少酔っていたのでしょう、その様子がフラフラと足元のおぼつかないものだったので、有馬様の家来たちは大笑い。
これは面白いというので、槍持の前を通り過ぎる有馬様の家来達が次々と槍持を小突いてゆきます。
槍持は何も言わずに、ただ風に揺られる案山子のように・・・骨の抜かれた人のようにフニャフニャとよろめくばかり。
その腑抜けたような表情がますまず有馬様の家来達の笑いを誘います。
図に乗った一人が戯れに、槍持の持っていた槍に手をかけて言い放ちます、
「間抜けな奴め、その槍をこっちへよこせ!」
波間に漂う海月のようにフラフラとしていた槍持ですが、主人の大事な槍に手をかけられては一大事!
・・・キッと相手を睨みつけ、意外な剛力で大事な槍を引き戻そうとします!
その反抗的な表情に槍に手をかけた家来はちょっとムッとします。
「なんたその顔は、槍をよこせというのに・・・」
武士はもちろん、町人たちからも「サンピン」と蔑まれている、最下級の身分である槍持に睨みつけられ、やはり年始回りの最中で少々お酒が入っていたらしい家来はムキになって本気で槍を奪い取ろうとします。
・・・・その瞬間のことです!
今まで間の抜けた顔でフラフラとしていた槍持が、
「もう堪忍ならん!」
・・・そう叫ぶと、腰の刀に手をかけ、目にも見えない早業で抜き打ちにその家来の肩から乳の辺りまでを袈裟斬りにしたのです!
皆がアッ!と叫ぶ暇もなく、槍持はそのすぐ後ろにいた家来の真っ向から眉間を斬り下ろし、返す刀で隣の家来の腹を殴り斬りにし、一瞬で三人を仕留めたのです。
・・・その見事な早業は、飛鳥の如し・・・皆も真っ青な顔で言葉も出ません。
ややあって、最初は腑抜けた槍持の動作を見て笑っていた有馬様の家来達の表情が凍りつき、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出し始めます。
最初に斬られた男は、既に息絶えているのかその場に倒れ伏したままです。
・・・辺りは大騒ぎとなりました。
手向かってくる者もいないため、血刀を持ったままの槍持はしばらくその場で手持ち無沙汰にしていましたが、仕方なく辻番所(武家屋敷に設けられた、今で言う交番のようなもの)に出頭します。
そうして、自分の主人の姓名を名乗りこう言いました。
「人を三人も斬った以上逃げも隠れもしません、早くお上に訴え出てください」
槍持は平素と変わりない落ち着いた声で、辻番所に詰めていた侍達に事の顛末を説明します。
「正月の挨拶回りゆえ、我々供の者も主人に付き従ってほうぼうでお酒をご馳走になりましたが、たとえ酔っていようとも己の責を忘れることはございません、主人の大事な武士の魂である槍を奪われてしまっては自分の命がございません!・・・どうせ無くなる命なら、こうして槍を取り返すために人を斬ってしまってもなんら後悔することはありません・・・皆様には大変ご面倒をおかけしますが、なにとぞ宜しくおねがいいたします」
・・・・落ち着いて座ったまま槍持は淡々とそう言います。
家来が斬られたという有馬様の住まいは近所だったので、番所の者達が密かに有馬様の屋敷に使いを出し事実関係を確認すると、まさに槍持が言ったとおりの事件が出来していました。
・・・この一件は当然お上にも届け出ましたが、元々は有馬様の家来の悪ふざけが過ぎたことから起こったこと。
武家の魂である槍を、ふざけ半分に奪うなどとは、非は有馬様の家来にあります。
そしてこれが公になれば有馬様の名も表沙汰になり家名にも疵がつくことから、仲裁人が入って話し合い、結局この事件は表沙汰にはされず内済(示談)となったそうです。
つき直し又ひねりたる幾度か こね返しても食えぬやりもち
(正月の事件ということで餅つきと槍もちをかけた句)