僕は君を幸せにするために何度もやり直す。
「お前の望み、叶えてやろうか?」
「いや、いきなりなんなの? アンタ」
僕は戸惑っていた。
目の前にいる存在の意味のわからなさに。
その背中には羽があった。
片方が黒で片方が白。
外見も……天使なのか悪魔なのか。
そんなのが突然現れたのだ。
「カミの遣いさ。まあ、望みなんざ言わなくとも分かるが。『柴崎未来』」
「!!」
その名前に僕は動揺する。
当然だ。
大切な幼馴染みにして恋人の名前。
「富士野一蹴。俺はお前の望みを叶えにきたのさ。さ、願いを言えよ」
「……唐突にうさんくさい輩にそんなことを言われてもね。なに? 僕が願えば未来が幸せになるとでも?」
だが、僕はいまワラにも縋りたい想いだった。
未来。
そんな希望に満ちあふれた名前なのに、彼女に先はない。
病気になっていて、末期が近いのだ。
宣告された残りの期間は……あと二ヶ月。
最初は冗談だと思った。
いや、思いたかった。
もちろん僕は家族ではない。
彼女のご両親よりは後に知った。
その彼女のご両親の青ざめた表情。
そして病院の先生の「悪性の──」という説明を聞いて。
僕の頭の中は真っ白になった。
まさしく死の宣告。
終末医療と呼ばれる状態には
五段階のプロセスがあると聞いた。
段々と自分の死を認めていくしかないのだ。
人はいつか必ず死ぬ。
その段階とは。
「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」。
そう聞いた。
僕は専門家ではない。
本当にこの五段階を辿るのだろうか。
それぞれの期間の事も詳しくない。
ただ、未来はこのプロセスを二つは飛ばしている気がする。
最初は未来も取り乱していたが、すでに諦めているのか。
どれだけ近しかろうが、その心の中まではわからない。
実際、彼女の中ではものすごい葛藤があっただろう。
最近では儚い表情で笑うようになった。
そんなことを思い返していると再び目の前の存在が喋り始めた。
「幸せに──できるぜ?」
「……なに? アンタ、悪魔っぽいし代償なんか要求して来そうだな」
「失敬だな、俺は別に悪魔じゃない。例えば……お前の命なんざ要求しないさ」
「じゃあ何を要求するんだ?」
「とりたてては何も。と、言いたいがタダではないな」
「ほら、やっぱり」
「話は最後まで聞けって。俺が要求するのはお前の『努力』だ」
「…………努力?」
代償が、努力?
どういうことだ。
全く意味がわからない。
まさか、今から名医になれとでも?
余命二ヶ月だぞ?
それだけで何が出来る。
「そう、努力。ただし、お前が考えているような事じゃない。お前が諦めずに努力し続ければそれは必ず報われる。そこは約束しよう」
普段ならこんな話や存在は無視する所だ。
だが、未来の……万が一の可能性でもあれば
僕は悪魔とでも取引をする。
「……話を聞かせてくれ」
「オーケー。取引成立のためにはまず説明からってな。まず難易度だが……これはお前次第だ」
「僕次第?」
「聞いていれば分かる。お前はな、取引が成立したら『繰り返す』んだ」
「回りくどい。もっと率直に説明してくれ」
「案外せっかちだな……」
そりゃそうだろう。
一刻たりとも惜しい上に人の、恋人の命がかかってるんだぞ?
「『繰り返す』ってどういうことだ」
「これからお前は『正解』を引き当てるまで、何回でもやり直してもらう。お前らに分かりやすく言うなら……タイムループってやつか。いや、タイムリープか? まあ、その辺の細かい言葉はどうでもいい」
「タイムリープ……」
よくSF作品なんかで聞く名前だ。
『やり直す』
つまり、僕が『正解』を引き当てるまで過去に戻る、と。
「その通り。お前、なかなか勘がいいな。期限は取引終了から柴崎未来が死ぬまで。この間に『正解』を引き当てればループは終わり。逆に、『不正解』──つまり、柴崎未来をどうにもできなかったら過去に戻る。シンプルだろ?」
「どこがだ。ヒントも何もない、雲を掴むような話じゃないか」
「だから『努力』だよ」
「……回数制限は?」
「なし。実質無制限だ。お前がギブアップすればそこで終わってもいいが、それはなさそうだな」
ソイツは楽しそうに笑った。
「アンタやっぱ悪魔なんじゃないか?」
「おいおい、俺はお前から何も奪っちゃいない。ただ、チャンスをあげてるだけだが……不服か?」
「いや。だけど話がうますぎる」
「あのなあ。お前が思ってるより辛いぞこれは。なにせ、ギブアップありとはいえ、ゴールまでの道筋はノーヒントなんだ。俺は疑うよりも自分の心配をオススメするね」
「……話、のませてくれ」
「よしきた。それじゃあ契約だ、復唱しろ。『お前は柴崎未来を幸せにする』」
「あ、ああ。『僕は柴崎未来を幸せにする』。……これだけでいいのか?」
「なに、俺たちとの契約なんてこんなもんだ。別に印鑑もサインも要らんぜ。心からの同意。それだけで十分だ」
「これで本当に僕は未来を幸せに出来るのか……?」
突然ふって湧いたような話だ。
未だ、信じることはできない。
「厳しい道だがそこは約束するっつったろ。ま、お前が諦めずに辿り着ければの話だがな」
誰が諦めてたまるものか。
それから、僕の奮闘の日々が幕を開けた。
◯
ひとまず僕は未来に会いに行くことにした。
場所もそう遠くはなく、容易に通える。
病院自体は自然環境に囲まれた場所にあった。
それが終末医療に関係あるのかまでは知らないが。
「未来、こんにちは。来たよ」
気心の知れた間柄だ。
シンプルに、飾り立てた挨拶もしない。
彼女もそれに答えてくれた。
「あっ、一蹴。いらっしゃい」
もはや、おなじみのやり取りだ。
彼女はボブカットの髪を揺らして笑顔とともに迎えてくれる。
いつもならここから雑談に入るところだが……。
話のタネにもなる、今日の話をしてみようと思った。
その荒唐無稽さに、少しは気が紛れるかもしれない。
「実はね、今日は変なヤツに会っちゃって──」
さっきまでの顛末について話してみた。
もちろん、僕の『やり直し』については内緒だ。
理由は言うまでもない。
彼女は信じた──のかは分からないが、面白がって話を聞いてくれた。
「じゃあ、一蹴が私を幸せにしてくれるんだね! う~ん、最後に楽しみができちゃったかも」
……やっぱり信じてはないんだろうな。
「うん、ただヤツが言うには僕に努力しろってさ。まあ、任せておいてよ」
「嬉しいけど、あんまり無茶はしないでね?」
信じる信じないは別として。
今日は珍しく、無邪気に笑いあえたのだった。
それから僕はまず、彼女の病気について調べ始めた。
だが、専門の医師が匙を投げるような事態だ。
僕のような小僧が、すぐに成果を出せるはずがない。
タイムリミットの二ヶ月はあっという間に迫ってくる。
そして……あるとき、彼女の容態が急変した。
初回から上手くいくわけがない。
半ば諦めつつ、チューブに繋がれた彼女を見る。
薬のせいかは知らない。
最近、彼女の起きている時間は少ない。
もう時間がない
起きているわずかな時に彼女は言った。
「一蹴、ごめん。自分の死に際って見られたくないんだ。たぶん見苦しいと思うし。綺麗な記憶だけ遺したいから、全部が終わったら会いに来てくれる?」
未来も女性だ。
綺麗なまま……そういうものか。
全部が終わったらというのは、葬式の時の事を言っているのか。
それから先、僕は彼女に会わず。
彼女は無情にも逝った。
そして。
気づけば僕の目の前に、例の変なヤツがいた。
「ん~、初回は失敗しちまったか。何回繰り返すのかねえ。まあ、俺は応援してる。せいぜい頑張んなよ」
どうやら契約直後に戻ったようだ。
僕は前回と同じように病院へと向かう。
そして病室で同じやり取りをする。
それから。
何度も何度も繰り返した。
僕は様々な行動をした。
ある期間は王道的に医学の勉強。
だが現代の医学ではどうしようもない。
医者が諦めるくらいだ。
僕は自分の無力さを思い知らされただけだった。
ある期間は民間療法。
漢方薬や、効果の確立してない治療。
ある時は薬草やその組み合わせを調べ。
またある時は『難病すら治る奇跡の水』と呼ばれるものを取り寄せ。
果ては、特殊なキノコや温熱療法、あらゆるものを試した。
結果は全滅。
どれ一つとして彼女が助かる未来はなかった。
次は宗教に走った。
『信じる者は救われる』。
色んな教義を勉強し、祈りはもちろんのこと。
修行だというものにも手を出した。
バカな僕は詐欺に引っかかったこともある。
例のヤツに頼んだこともあるが、もちろん返事はノー。
ただ一つだけ知れたことは。
彼女を救ってくる神などいないという事実だった。
『本当に彼女が救われる未来は訪れるのだろうか?』
疑心暗鬼に駆られる時もあった。
だが、僕が諦めることだけは決してない。
もう何回、繰り返しただろう。
さすがに少し疲れてきた。
ふと、一回くらいは休憩しようかなと思った。
治療を抜きにして彼女に接しよう。
そして、癒やされたあと僕はまた頑張り続ける。
今は長期休暇の時期。
僕はこの休みの間、彼女と目一杯遊ぶことを約束した。
僕の提案に彼女は大喜びした。
これは経験則だが。
容態が変わるまでの間、しばらく彼女は動く余裕があった。
まあ、遊ぶとは言ってもささやかなものだ。
海に行った。
病院の近くには海がある。
とはいっても泳いだりするわけではない。
そこを彼女と散歩し、水辺で戯れた。
その時、思い出したことがある。
潮風に揺られる彼女の髪の毛だ。
以前、彼女は治療の一環で髪の毛が全て抜け落ちたことがある。
その時は今とは比にならないほど落ち込んでいた。
ウィッグをつけていたが、その笑顔も痛々しかった。
だけども、そんな事とは関係なく。
『ああ、僕は未来のことが好きなんだな』
と実感できた。
本人の気持ちを考えると辛いが、僕の想いは陰らない。
病院の近くには緑地もある。
自然のなかを彼女と歩いた。
海と比べるとただ環境が変わっただけだが、彼女は楽しそうだった。
動物や、綺麗だという風景を見ると子どものように喜んでいた。
段々と行動範囲は狭まっていく。
とうとう病院の敷地内くらいしか動けなくなった。
しかし、彼女の笑顔が曇ることはない。
そんなとき、ふと聞かれたことがある。
「ねえ一蹴。私のこと、好き?」
そんなことは言わずとも知れているのに。
でも、それに応えないはずがない。
「もちろん! 本当はこの歳でこんなこと言うと重いんだろうけど、状況が状況だしね。もう大好きを通り越して愛してるよ」
それを伝えると彼女は泣いて喜んだ。
そして、そこからの展開はこれまでと違った。
死期が近づいても彼女が僕を遠ざける気配がないのだ。
だけど彼女の最期の望みは『綺麗な記憶』。
僕はその時期が近づくと自然、足を遠ざけようとした。
が。
「あれ? 一蹴、私のこと愛してくれてるんだよね? なんで離れようとしちゃうの?」
そんな事を聞いてきたのだ。
「いや、愛してるからこそというか。えと、未来は僕に看取られるのは嫌かなと思って。『綺麗な記憶を遺したい』って言われるかなーって。なんとなくだけどね」
セリフの最後は言葉を濁してしまった。
まさか、繰り返していて今回は諦めているなんて言えない。
そこで予想外の返事が返ってきた。
「なに言ってるの? 色々と想ってくれるのはありがたいけど、私の意思を勝手に決めないでよ。……できれば、これ私のワガママなんだけど。最期は一蹴に看取ってほしい。見苦しいかもしれないけど、一蹴ならそれでも嫌わないでいてくれるでしょ? 好きな人とこそ最期は一緒にいたいよ」
「え」
こんなことは今までなかった。
どういうことだろう。
とはいえ、彼女の頼みを僕が断るはずがない。
一も二もなく僕は頷いていた。
先ほど思った通り、彼女には言えなかったことだ。
今回は諦めている。
だけど、一度はこういうこともあるのだろう。
その時はそれくらいの感想しかなかった。
そして彼女は今際の際に。
「一蹴、今までありがと。私も愛してる。人生、おかげで幸せだったよ」
いくつかのやり取りの中、心から幸せそうな顔でそう言った。
そうして彼女は逝った。
『やり直し』は……起こらなかった。
薄々は分かっている。
でも感情が理解に追いつかない。
僕は茫然自失としたまま、気づくと病院の屋上に来ていた。
そこに、例のヤツがいた。
「おめでとう! とうとう『正解』を引き当てたな! お前の彼女は心から幸せだったようだぞ」
………………。
「ああ、そりゃありがとう。心から感謝してるよ。……このクソッタレめ!!」
前半は本気の感謝、後半は本気の罵倒。
確かに、ヤツは未来が生き続けるとは言っていない。
契約内容も単純に
『柴崎未来を幸せにする』
だ。
彼女は幸せだったのだろう。
その先が、未来が無かったとしても。
だが、こんな結末をすんなりと納得できてたまるか!!
「まあ、そう気を落とすなよ。真っ当に生きてりゃ、またアイツと再会できるチャンスも巡ってくるさ。そこも俺が保証しよう。……それとも、信じられないか?」
「信じてるさ、アンタは嘘はつかない。そう言うのならそうなんだろう。だけど、未来は死んだ。その事実だけは変わらない。人間はな、そんな単純に出来てないんだよ!!!!」
「…………知ってるよ。ま、ここからは俺の独り言だ。『生きる努力はし続けろ。そうすりゃいつか報われる日もくる』。じゃあな、俺の顔なんか見たくもないだろう。契約も完了だ。ここいらで俺は消える」
そして、言葉通りヤツは虚空へと姿を消した。
カミの遣いだかなんだか、そんな事はどうでもいい。
ただ今は。
「あああぁぁぁああああァァァァァ!!!!」
言葉にできない感情を声にのせ、ただただ慟哭した。
その叫びは、カミ様が見ているかも知れない、抜けるように綺麗な──憎々しい青空へと吸い込まれていった。
もう一つの投稿と方向性が正反対すぎますね。
満足して逝くことのできる人ってどのくらいいるのでしょうか。