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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界で俺だけ死生観がおかしい

作者: 耀輝 成

 この世界で俺だけ死生観が違う。みんな俺は異常だと言った。親、友人、先生、一切の例外なく全員だ。

 だから俺は人生で幾度となく感じた周囲との考えの相違から生じる違和感に対して反抗せず、飲み込むことにした。それはいつからだったろうか――。


「お待たせ!」


 そう言って玄関から顔を出したのは、俺の幼馴染。彼女とは保育園以来で、小中高、さらには今から登校する専門学校まで同じの、もう十五年の仲だ。


「遅れるぞー」


「分かってる! ちゃんと急いでるから!」


 待っていたのは俺なのに何故少し怒っているのか。


「ほらほら、早く行こっ――」


「香奈ー、お弁当忘れてるよー」

 

「――あ、ごめんママ!」


 また家の中へ戻っていく幼馴染。こんなに鈍臭いのに、何故今日まで生きてこれたのか不思議に思う。

 彼氏でもないのに、朝こうやって俺が迎えに来ているのも、こんな幼馴染が遅刻しないためにだ。


「ごめ! お弁当忘れちゃった!」


「ごめ、じゃねーよ。遅刻したらどうすんだ。俺が余裕を持って迎えに来てるから大丈夫なだけだぞ」


「そんな怒らなくていーじゃん! いつもはちゃんとしてるし! 一回くらい!」


「その一回が命取りなんだよ……」


 こんな感じだが別に仲が悪いわけではない。喧嘩するほどなんとやらってやつだ。多分。


「もう今日はゆっくりいこーよー。いつも乗ってるの一本早いやつだし、大丈夫じゃん」


「駄目だ。丁度の電車に乗ったら、なんかあった時に遅刻してしまうだろ」


「えー」


「ほら、走るぞ」


「えー!」


 そんな舐めたことを言う幼馴染に一喝入れるため、俺は駆け出した。


 ****


 走ったことにより、朝の遅れを取り戻した俺たちは普段通りの電車に乗ることができた。


「はぁ、はぁ……はぁ、はぁっ……」


「うるせぇな」


 横で息を切らしてる幼馴染に向かって言い放つ。


「はぁ、健太が走らせるからじゃん……っ! 私が眉目秀麗可憐なJKだった時の体育の成績覚えてる!?」


「うーん、興味ねぇなぁ……」


「ちょっと!」


 そんないつも通りの微笑ましい会話をしていた、その時だった。


「この人痴漢です!」


 そう叫んだ女性に掲げられたのは、俺の隣にいたサラリーマンの腕。男は焦ったように言い訳を始める。


「は、はぁ? 俺がそんなことするわけないだろ! 僕には妻も娘もいるんだ! 誰がお前みたいなブスの汚ぇ体なんかに触れるか! 冗談も大概にしろ!」


 そうまくしたてる男を泣きそうな目で見ている被害者だと思われる女性。周囲は騒然としている。

 そこへ騒ぎを聞きつけた駅員がやってきた。


「どうされました?」


「この人に体を触られたんですっ!」


「だから触ってねぇつってんだろ!」


「触ったでしょっ! 嘘言わないでっ!」


「証拠はあんのかよ! 黙れこのクソ女!」


「まぁまぁ、落ち着いて……」


 さっきの俺と幼馴染の言い合いとは比較にならない押し問答が繰り広げられていた。

 こうなっては埒が明かない。誰か目撃者でもいたら話は進むのだろうが、そう都合よくーー。


「私見てました。この男の人、触ってました」


「へ?」


 そう目撃者を名乗り出たのは幼馴染だった。あまりに突然の出来事に、俺は呆気にとられてしまう。

 幼馴染は俺にだけ聞こえる声で、話しかけてくる。


「私、この男の人に……同じことされたの。本当は見てないけど絶対やってる」


「……は? それマジか?」


 無言で頷く幼馴染。こうなれば話は別だ。


「すいません、黙ってて。実は俺も見てました」


「は、はぁ? く、クソガキ共が! だから証拠を出せよ! なぁ、こいつのことなんか信用すんなよ!」


 駅員は泣いている被害者女性と痴漢男、そして俺と幼馴染の二人をゆっくりと見回した後、口を開いた。


「皆様方、お願いがございます。誠に恐縮でありますが、どなたか手を貸しては頂けないでしょうか?」


「は? 嘘だろ? ちょ――」


 何か言いかけた痴漢男を近くにいた体格のいい男性が床に強く押さえつけた。


「御協力痛み入ります」


 そう言った駅員の手に握られているのは、刃渡り二十センチはあると思われる鋭いナイフ。


「何か言い残すことはございますでしょうか?」


「だから証拠を出せって! ふざけんな!」


「証拠はなくとも証人がございます。私の記憶ではあなたは過去にも痴漢騒ぎを起こしており、当時は証拠不十分でお咎め無しでしたが、今回はそうはいきません。火のないところに煙は立たぬ。皆平等に罰を受けていただきます」


 駅員は感情を捨てた声で淡々と言葉を並べる。


「ちょ、待て、後にしてくれ! 今日大事な会議があるんだ――ぐうっ」


 ナイフは痴漢男の首に吸い込まれるように突き刺さった。頸動脈が切れ、大量の血が床を真っ赤に染めていく。駅員は痙攣している痴漢男の首にピストン運動をするようにナイフを出し入れし、十数秒後、完全に首と胴体を切り離した。


「清掃に移りますので、次の駅で降車願います。遅延証明書を貰ってから学校、会社に向かって頂くようお勧めいたします」


 そう言いながら駅員は痴漢男の首を片手に奥へと消えていった。周囲の反応は様々だ。


「嘘だろー、降りんのかよー」


「めんどくせー」


「痴漢なんかすんなよなー」


 しかし誰も男が死んだことに対する驚き、駅員の行為に対する嫌悪、非難は一切見られない。

 すぐに電車は次の駅に到着した。


「災難だったねー、ほら、行こっか」


「……おう」


 俺は血溜まりに呑まれた死体を背に、ホームを後にした。


 ****


 新しい電車に乗り直し、遅延証明書を貰った俺たちは駅から学校までの通学路を歩いていた。


「健太はああいうことが起こるといつもテンションが低くなるよねー、いつものことじゃん」


「すまん、何度見ても慣れねぇんだよ。なぁ、香奈はあれで死ぬのはおかしいと思わないか?」


 もう幾度となく数多の人に対して向けた質問。


「前も同じこと言ってたよねー。私は思うよ」


 続けて幼馴染は答える。


「あんな女性の気持ちを踏みにじるような行為をしておいて死ぬだけなんてねー」


「……っ」


「私と健太みたいな考えの人は一定数いるよねー。何しても平等に罰を与えるのは駄目だって。何か差をつけるべきだってねー。本当に死ぬ()()なんて甘すぎると思うよー。子供と一緒じゃん」


 あぁ、いつもこうだ。俺の死生観は理解されない。こんな風に歪曲されるか、否定されるかの二択だ。

 この世界はあらゆる悪事に対する罰に死を与えることが常だ。そして誰も死に恐怖心を抱いてない。

 悪いことをしたから死ぬ、殺されるのは当たり前。家畜は食べるものだから殺す、人の命の価値はそれと同じだ。いやそれ以下だろう。自らの命に対しても、他人の命に対しても一切の尊重がない。


 さっきもそうだ。痴漢という行為は決して許されるものではないが、取り返しのつかない行為ではない。殺される必要はなかったと思う。家族も仕事もあると言っていた。自らの罪と向き合い、それに見合った償いをし、社会復帰をすれば良かったと俺は思う。

 しかし、この社会はそれを許してはくれない。


「こういう事でこんなに悩めるなんて、やっぱり健太は優しいんだね。そういうとこ好きだよ」


「……ありがとう」


「んー、ほら! 元気出して! 今日実技のテストでしょ! 遅刻しちゃうよ!」


 香奈は俺の背中を叩き、喝を入れ、駆け出した。


 ****


 香奈とは成績の差もあり、クラスは別だ。


「また六限の合同テストでねー!」


「おう、じゃ」


 教室に入り、自分の席に座る。電車の遅延もあり、教室内に生徒は半分程しかいなかった。一限は授業が無くなり、二限から始まるらしい。

 隣の席の友人の吉田はまだ来ていない。することもないので他の生徒の会話に耳を傾ける。


「私三才の弟いるって言ってたじゃん?」


「うんうん、可愛がってるんだよねー」


「今日の朝ご飯の時なんだけどさ、弟の嫌いなトマトが入ってて、それを弟が食べなかったんよ。ママはどうしても好き嫌いを克服して欲しいらしくてさ」


「美希の家のお母さんって厳しいよねー」


「それでママついに怒っちゃってさ、うちに言うことを聞かない子は要りませんって」


「あるあるのセリフだねー」


「そう言って菜切包丁でもうメッタ刺しでさ、弟トマト嫌いなのに自分がトマトみたいになっちゃってさ」


「あはは、ウケるー」


 頭がおかしい。この社会は子供に対する罰にも死を与えることが当たり前になっている。普通こういうのは親が注意して終わる問題ではないのだろうか。

 すぐ罰を与えるような短気な親の元に生まれた子供は長く生きることはできない。子供に罰を与えることも親にとっての義務、子供への愛という風潮だ。


 しばらくして生徒も続々と登校してきた。担当の先生がやってきて、教室を見回す。


「よし、二限の学科を始めるぞー、って吉田はどうした? 遅刻か?」


「ポイ捨てでもして罰受けたんじゃないですかー」


 そんな一人の生徒の冗談に周囲から笑い声が聞こえてくる。俺としては笑えない冗談だ。

 友達の吉田はクラスのムードメーカー的な存在で、人気者だ。あまり人付き合いが得意ではない俺の数少ない友人でもある。

 今日好きな女の子に告白すると言っていた。そんな日に遅刻などしないはずだ。普段はおちゃらけているが、賢いやつだ。しょうもないミスはおこさない。先生から呼び出しでも受けたのだろうか。


「他の先生とも連絡を取ってみたが、誰も吉田のことは知らないみたいだ。ポイ捨てしたにしろ、どちみち遅刻で罰を受けることになるのだが――」


「――すいません! 遅れました!」


 その時、勢いよくドアが空き、吉田が姿を現した。


「他の皆と同じく電車の遅れか?」


「はい! それと困ってる女の子助けてたんで! 自分、近所の小学生から英雄って呼ばれてるんで!」


 そんな吉田の言い訳にまた教室内に笑いが漏れる。


「んー、まぁいい。ギリセーフだ。遅延証明書を見せてくれ」


 この世界はこういう怒らない大人のおかげで成り立っていると言っていい。厳しい大人だと、少しのことでも罰を執行する。

 中学の時の生徒指導の先生がそうだった。俺の同級生は何十人も殺された。スカートが少し短かったり、頭髪が少し乱れていたり、そんなことでだ。

 このクラスも入学当初に比べると目に見えて人数が減った。基本怒らない先生が多いこの専門学校で、罰が執行される理由は遅刻や身だしなみ、などの日常生活が起因するものではない。例えば――。


「……遅延証明書落としました」


 その言葉に俺の心臓が縮みあがった。変な汗が溢れ出てくる。呼吸が荒くなる。クラスには諦めのムードが漂い始めた。


「落とした? もう少しよく探してみたらどうだ。無かったら遅刻をつけざるを得なくなってしまう。」


 世間の風潮として、不必要に罰を執行する必要はなく、罰は悪いことをした人間に与えるもの、という共通認識はもちろん確立している。

 なのに何故こんなにも沢山の人が罰を執行されているのか。それは自分を不機嫌にする人間を罰しているからだ。これは自然なことだ。自分を怒らせた人間は罰したくなるだろう、自分にとって悪いやつだろう。

 怒らない人間が罰を執行しない理由は、先に述べたものとは逆で、ただ不機嫌になりにくいから、他人を憎く思いにくいから、罰を執行する理由が自分の中で生まれないからだ。

 短気な先生は自分の授業に遅刻した、それだけで怒り、罰を執行するだろう。担当の先生は遅刻したことに対して怒っていない。ただそれだけだ。

 この社会では、怒らない人間も死に対して無頓着なのは変わりない。正当な理由があれば。罪を執行するに値する行為を相手側が行えば、それは社会の風潮に基づき、罰を執行する。


「あー、やっぱりないのか?」


「はい、すいません……」


 先生は頭の後ろをかき、面倒くさそうに口を開く。


「学校のルールだ。罰を執行する」


 先生は教室の角に置いてあった金属バットを手に取ると、吉田の顔面に向かって、思いっ切りフルスイングをかました。吉田は勢いよく仰向けに倒れ込む。


「あぁ、あがぁっ、好きだぁぁぁぁっ! 由香ちゃぁぁぁぁんっ! がっ、好きだぁぁぁぁっ!」


 そう叫ぶ吉田に追い打ちをかけるように、先生は顔面に向かって金属バットを何度も振り下ろした。苦痛を感じるのか、吉田の体もそれに合わせ僅かに動く。

 肉を裂き、骨を削る、湿った嫌な音が教室を越え、廊下に響き渡った。

 しばらくして吉田の体の力が抜け、先生は動きを止めた。そして特定の生徒に向けて指を差す。


「……あー、出席番号十四番と二十二番、前と同じ手順で清掃を。授業は終わり次第、再開する。以上」


 この社会に生きる人間にとって、罰は娯楽にはならない。日常に溶け込んだ茶飯事だからだ。むしろ嫌ってさえいる。理由は先程の電車での一件でも分かる通り後処理が面倒臭いからだ。


 ****


 午前の授業が終わり、昼休み。心が荒んだ俺は幼馴染のクラスへと足を運んだ。


「香奈……」


「ん? 健太、どうしたのー?」


「……」


「あー! また元気ないじゃん! もー、しょうがないなー」


 小さく溜息を吐くと、開けたばかりの弁当箱をしまい、一緒に昼飯を食っていたであろう友人に一言断りを入れ、俺のところに来る。


「またなんかあったんでしょー? 一緒にお昼ご飯食べよっか!」


「……ありがとう」


 俺達は二人で昼飯を食う時には、必ず使うお気に入りのベンチへと向かっていった。


 ****


 俺は今日あった事、今の心情、全てを吐き出した。香奈は何も言わず、うんうんと静かに聞いてくれた。


「……どう思う?」


「んー、なんだろうねー。色々と気にしすぎなんじゃない? たまに本気で悩んで病む時があるよねー。もしかして健太ってメンヘラ?」


「メンヘラって……」


「吉田君は遅刻したから罰を受けただけだよ? たしかに遅刻した吉田君と、朝の痴漢した男の人が同じ罰 を受けたことに思うところはあると思うよ」


「だから、そこじゃない……」


「これまでもずっとそうだったよ。多分これからも。悪いことをしたら罰を受ける、それがこの社会なんだからさ。私だって友達が何人もいなくなったよ。けどそれは死んだだけじゃん。悪いことをしたから罰を受けただけだよ。何にもおかしくないよ」


「……」


 そうだ。ずっとそうだった。だから俺は俺が思う世の理不尽を全て飲み込むことにしたんだ。ずっと前から答えは決まっていたじゃないか。

 もう香奈に負担をかけるのはやめよう。もう何も考えないようにしよう。そうしよう。


「ありがとう、楽になった」


「ほんとにー? ちゃんとテストできるー? 私と違って健太は頭がいいんだから頑張ってよー!」


 そう言ってケラケラ笑う幼馴染。

 理解はしていない。無理やり納得しただけだ。いつもと同じ。さっきの決心もいつまで持つか分からない。でも大丈夫だ。幼馴染が……香奈が傍に居てくれれば俺はどんな理不尽にだって耐えられる。

 普段は鈍臭く、ムカつく時もある。けど俺が本気で落ち込んでいると、本気で俺のことを想ってくれる。

 そんな香奈を俺は――。


「――なぁ、香奈……」


「ん? あっ、もうすぐ五限始まるじゃん! 健太があんなに嫌ってる遅刻になるよー! 早く行こー!」


「は? あ、やべ、もうこんな時間……」


「やーい、慌ててやんのー!」


「うるせぇな」


 食べかけの弁当箱をしまい、俺達は駆け出した。


 ****


 そして来たる六限。実技のテストだ。今回は金属を切断するための大きな設備、裁断機のテストだ。

 この学校の実技テストは外部からプロの方にお越し頂き、行う仕組みになっている。厳しい先生がやってくれば罰があり、優しい先生がやってくれば罰を回避できる。そんな運命の分かれ道。

 先程述べたこの学校で罰を受けるとしたら、それはこのテストだろう。


「今日はワシが担当するんでな、よろしく頼むよ」


 本日のテストの監督者は、前に一度だけ担当してもらったことがある、歳を召した男の先生だ。この先生は当たりだ。テストの成績は全く関係ない。前回は最下位の生徒に、低いとはそれほど伸び代があるということだ、と諭していた先生だ。

 前回と同じように普通にやっていれば、罰を受けることはないだろう。


「それでは試験を行う。二人一組を作って設計図の通りに裁断機で切断してくれたらいい。では始め」


 合図を受けた俺たちは、一斉に作業に取りかかった。制限時間は三十分、設計図もそんなに難しくはない。今回の試験は楽勝だろう。

 俺は香奈とペアを組んだ。


「どうだ、出来そうか?」


「これは簡単だよー! 任せて!」


「ほう」


 まずは鉄板に切断の際に目印となる線を、設計図通りに引かなければならない。香奈は定規を持つと、鉄板にあてがい、鉛筆サイズの鉄の棒で表面を削った。

 と、同時に自分の指も削った。


「いったーい!」


「おいおい、何やってんだよ」


「てへ」


「てへ、じゃねーよ。大丈夫か?」


「ちょっと血出てるけど大丈夫だよ! 時間もないしさっさと仕上げよ!」


 そう言って作業を再開する香奈。かなり幸先悪いスタートになってしまった。


 ****


 授業も終盤、採点結果発表の時間になった。結局指の痛みのせいで上手く裁断できず、香奈の結果は散々となった。

 しかしこのままでは罰とか関係なく香奈の成績が危ないので、上手く出来なかったのは、俺が何とか修正し、自分の物にした。香奈にはやり直してもらい、そこそこの出来の物を作ってもらった。


「それでは試験の結果を発表する。今回は一人を除いて、全員試験自体の出来は良かったと思われる」


 この一人は確実に俺だろう。同級生の作品を見ていても、ここまで酷いのは他になかった。まぁ、大丈夫だ。この先生は試験結果は重要視しない。


「そして、前回無しにしたため悩んだんだが……結果罰を受けるのが一人出てしまった。親御さんに送る成績に響いて申し訳ないが、あまりに酷すぎる」


「――は?」


 一瞬何も言われたか分からなかった。上手く息ができなくなる。心臓を鷲掴みにされた気分だ。


「え……? 一人罰を受けるんですか……?」


 俺は聞き間違いかと、恐る恐る聞き返す。


「そう言ったであろう。今から発表する」


 頭の整理が追いつかない。何故俺が? いや、香奈を庇ったからだろう。ならこれで良かったのかもしれない。そうか? いやそうだろう。

 俺はこの社会に向いていないのは分かっている。それにだ。俺が罰を受けなければ、香奈が罰を受けることになっていた。

 俺がいなくなって、ちゃんと生きていけるか心配だが、今回は死ななくて済む。そうだ、これでいい。もういいだろう。いつも通り無理やり納得しよう。


 世界がスローモーションに見える。監督者の口がゆっくりと開き、言葉を紡いでいく。


「齋藤だ」


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 俺じゃない。俺は〝田村健太〟だ。は? なんて言った? 齋藤? 齋藤は、齋藤は――


「私……ですか?」


 俺の横にいる幼馴染、〝齋藤香奈〟だ。


 俺はなんとか理性を保ち、監督者に詰め寄る。


「何故ですか! 俺じゃないですか! 試験の結果悪かったのは俺じゃないですか! なぁ!」


「どうしたんじゃ、そんなに怒って。若いの。そんなに罰を受けたかったのか?」


 監督者の舐め腐った態度に俺はコイツをどうやって殺そうか考える。思考が殺意で埋め尽くされていく。


「まぁ、聞きなさい。前回も言った通り、ワシは成績は重視しない。お主はまだ伸び代がある。だが――」


 俺はただひたすらに監督者を睨みつける。しかし相手の視線は俺の横の香奈に向けられた。


「この子は駄目だ。現場のルールを知っとるか?」


「あ?」


「安全第一、品質第二、生産第三じゃ。傷を負ってものうのうと作業を続ける、その姿勢には、まぁさすがのワシも驚いたよ。舐めすぎてはいないか?」


「あ……」


 これは学科の初日に習ったことだ。油断しすぎていた。いや、監督者の言う通りだ。舐めすぎていた。この監督者は罰を与えることはないだろうと。


「どうだ? 理解できたか? ならいい。罰は――そうだな、試験で使った裁断機で齋藤の首を切れ。ペアだった田村、お前がな」


「……なんとかなりませんか? 香奈だけは、俺が、俺が代わりに罰を受けますから」


 俺は一縷の望みに賭けて、頼み込む。


「何を言っとるんじゃ。お前は何もやってないだろ」


「そこをなんとか、なんで、いいだろ別に! なんで駄目なんだよ! おい! クズ!」


「はぁ……若いの、口の利き方に――」


「もういいよ」


 香奈が俺の手を握ってきた。


「教えられたの忘れてたね! 成績落ちちゃうのはママに申し訳ないけど、しょーがないよ! 健太が気にすることじゃないよ!」


「違うそうじゃない、そうじゃねぇんだよ!」


「そうだよ」


 そういう香奈の目には何か凄みのようなものが宿っていた。何も言い返せず俺はその場で座り込んだ。


「まぁいい、田村、罰の執行は任せる。あとで齋藤の首を職員室まで持ってきてくれたらいい。残りの生徒は成績表を持って教室に帰ったらいい、以上」


 そう言い残して、監督者は実習室を後にした。


「おいおい、田村、大丈夫か?」


「よく分からねーけど、執行ちゃんとやれよー、お前まで罰受けて、成績下がっちまうぞー」


「片付け面倒臭いのは分かるけど頑張ってねー」


 俺にそんな理解しかねる声をかけて実習室から出ていく同級生の面々。残ったのは俺と香奈の二人。


「みんな行っちゃったねー」


「……おう」


「さ、早く終わらせちゃお」


「……」


「ほら、早く立って」


 俺は香奈に無理やり立たされ、裁断機に取り付けられた大きなレバーを握らされる。


「私じゃレバー下ろせないからねー、お願いねー」


 そう言って、綺麗な黒髪をくくり、うなじがちょうど刃の部分に来るように、裁断機に顔を突っ込んだ。


「ここらへんであってるよねー? 上から見てちゃんと合ってるー?」


「……」


「んー? またメンヘラになってるのー? どうしたのー? 健太ー?」


「……」


「もー、しょうがないなぁー!」


 香奈は顔を裁断機から出すと、俺の目を真っ直ぐに見てくる。そのまま顔を少しずつ、少しずつ、近づけてきて、自身の唇と俺の唇を重ね合わせた。

 永遠にも感じる時が流れ、香奈はまた俺の目をじっと見つめてきた。


「私、健太のこと好きだったよ。もうずっとずっと前からさ」


 俺はまだ何も言えないでいる。


「なんか恥ずかしいじゃん、吉田君みたいになっちゃったねー、私たちのクラスにまで聞こえてきたよー、由香好きだー! ってさ」


 そう言ってケラケラ笑う香奈。


「……なぁ、香奈はさ、どう思ってるんだ?」


 俺はようやく口を開く。


「どう思ってるかって、全部言ったよー! なになにー? もう一回言って欲しいのー?」


「ははっ、そうじゃない。もし今、罰を受けなくて良くなってさ、俺が香奈に告白したらさ」


「そんなたらればの話しても意味ないよー」


「どうなんだ?」


 そこで俺は初めて香奈の目を見つめ返した。


「……そうだね、とても幸せだろうねー。いつか恋人になって、結婚して、一緒に幸せになりたいなー、ってずっと思ってたからねー」


「そっか、俺も」


 そう言って俺は笑った。


「え、ほんとにー? めっちゃ嬉しいかも! ……でも本当に時間ないよー、健太まで罰受けて成績下がっちゃうじゃん、ほら早くしよー」


 また裁断機の中に顔を突っ込む香奈。俺はレバーに手をかける。


「香奈、最後に聞かせてくれ」


「どしたのー?」


 少しくぐもった声が帰ってくる。


「人間ってさ、感情があるだろ?()()()の三つがさ、俺は今どれでもないんだ。考えても分からない。香奈は今どうだ?」


「……そうだねー、どれだろ、たしかにどれでもないねー。そういわれると、なんか不思議な気分だね。なんだろ、なんだろ……あ、健太、この姿勢辛いかも、早くしてね」


「……わかった」


 俺は目を瞑った。後処理はなんとか頼み込んで同級生にしてもらおう。俺には無理だ。レバーを引いたらこのまま何も見ず、真っ直ぐに実習室を出る。

 俺は何も悪くない。俺には何の罪もない。香奈をこの手にかけようと俺にはなんの罰もない。この世界が悪いんだ。そうだろ。悪いのは社会だ。そうだ。俺が理解できないこの社会が悪い。……ん? この社会で異常なのは誰だ? 理解できてないのは誰だ……?


――俺はレバーに力を込めた。


「あ、私も分かった」


 俺には何も聞こえない。引いたレバーは戻らない。



()()かなー」


 

 その言葉に驚いた俺は目を開けてしまった。


 ****


 あれからのことは思い出したくない。後処理は全て俺がやった。首を職員室に届け、体は焼却炉に放り込んできた。ただ無心でそれらを行った。

 不思議と目に光を失くした香奈の顔を見ても、取り乱さなかった。もうそこに香奈はいないと分かった。


「はぁ、はぁ……」


 時刻は午後八時半。俺は自転車を漕いでいた。香奈の母親に罰が執行されたことを伝えにいったのだ。しかし反応は予想通りのものだった。

 この世界は腐っている。それは間違いない。何か忘れてはならない感情を失っている。

 どこかに俺と同じ考えを持つ人がいるはずだ。そういう人を探しに行こうと思う。

 香奈の死を無駄にしないために。


「君ーちょっと待ってねー」


 そんな声が背後から聞こえてきた。振り向いた俺の目に入ったのは、俺と同じく自転車を漕ぎながら、こっちに向かってくる警察官の姿。自転車のライトが目に眩しい――あ。


「あー、君ダメじゃないか」


――パァン


 そんな音が聞こえると同時に、胸に衝撃が駆け抜けた。そしてライトに照らされた胸がどんどん朱に染まっていく。俺は自転車から落ち、地に伏す。


「あぁ……クソ……」


 血溜まりの中で、意識が遠のいていく。全身の感覚が薄れていく。そして最期に何か聞こえた。


「自転車無点灯の罪により、青年一人の罰を執行いたしました――……」


――……


――…


――


――

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