02話 再び
「すっすみまっせん...ゔ...おっ遅れましたっ...」
静かなクラスに俺の息絶え絶えな声がよく通る。
クラスメートの視線が俺に集中している。
普段なら、授業中に教室に入るなんて目立つことはしない。サボっている良治達に買ったものを届けたら、授業が終わるまで時間を潰すのだ。
休み時間の廊下も嫌いだけど、授業中に入るよりは遥かにマシだ。
しかし、今日の俺は不審者に会った恐怖と、過去最高に全力で走った興奮が混ざりあって気がついたら教室のドアを開いていた。
「おー柊木。持久走でもして来たんか。」
社会科教諭の石田が驚いたように顔をあげる。
幸いこの時間はゆるいで有名な、石田の授業だった。
俺の名前を覚えてくれているのか。
社会は頑張ってやってもいいかもしれない。
「ふっ不審者が...っいてっ...こっこれ渡してきて...!!」
パニックになった頭で必死に言葉を絞り出しながら、レジ袋に入った本を前に突き出す。
がさっと袋が音を立てた。
「...なに不審者?」
「てか、息やばくね。」
「必死かよー。」
「なにあれ?なんか入ってるよ。」
普段は目立たない生徒の行動にクラスがざわめき始める。
「大丈夫か?柊木。一回落ち着けるか?」
石田が教壇からこちらに向かってくる。
「すっすみません...」
はぁ...はぁ...と息をする俺を心配そうに見ている。
「不審者がいたって?」
石田が俺の息が整った時を見計らい、確認する。
「そうなんです。あの、坂の途中で話しかけられて...。」
うぅん...と石田は少し考えるようなそぶりを見せた。
冗談なのではないかと考えているのだろう。
「...職員室で話を聞いてもいいか?」
真剣な顔をした石田が言う。
俺の慌てっぶりと普段の性格から、冗談ではないと思ってくれたみたいだ。
「俺は柊木から何があったのか聞いてくるから、みんなは自習しててくれ。ワークの続きやっとけ。くれぐれも騒ぐなよー。」
そういって石田は教室を出る。
俺は石田について歩いた。
先生と俺が出て行った後に、日常離れしたことが起こったと教室がざわめくのが聞こえた。
職員室に着くとその中の机の一つへ連れて行かれる。
...汚い。
石田の大雑把な性格を表すような、ノートやペンが散乱した机だった。
ここが石田の席なのだろう。
「んーと...。じゃあ、ここ座って?」
そういって、自分の隣の席から椅子を持ってくる。
俺は今朝あったことを石田に話した。
でも黒フードの格好のおかしさや、服の下が黒い藁みたいな事は言わないでおいた。自分でも信じられなかったし、それを話したら妄想にされるのではないかと思ってしまったのだ。
「うーん、身長が100cm前後、全身黒い服装で、顔は見えなかったと...。これを渡して来たってことでいいかい?」
そういって袋ごと本を持ち上げる。
俺はそうです、とうなずいた。
「100cm...。柊木より、だいぶ低いよね。子供だったって事はないか?」
こちらは視線を向ける。
石田は身長が気になるようだ。たしかに、腰も曲げずにその身長なんて、子供くらいしかいないだろう。
「...でも、声が、子供の声じゃなかったんです...なんか、機械みたいな。それに力も強くて...。」
石田にさっきあった事を話していると、自分の発する言葉の馬鹿馬鹿しさに、恥ずかしくなってる。
実際に体験しているのに、信じろという方が難しい。
「声は、変声機とかもあるからなぁ...。それをつけてたから、顔を見せないようにしてたのかも知れないぞ?」
記憶違いなんじゃないか?と言う風な顔をこちらへ向ける。
俺は、混乱してしまっていた。
確かにそうかもしれない。俺は走って疲れていたし、暑さも酷かった...。恐怖という感情によって記憶があやふやになっているのかも...。
俺が黙っていると、
「悪い、柊木が嘘をついていると言ったわけではないんだ。少し気になってしまっただけで...。」
石田がそう弁解した。
「いや、大丈夫です。確かに混乱していたし、間違っていることもあるのかも...。」
そう俺は返す。
石田は
「そうか、でも、柊木が教えてくれた情報で一度他の教師と警察に連絡するから。また、何か思い出したら教えてくれ。」
そう言ってこちらを見る。
俺は頷いた。
「あと、この渡されたっていう...ノート?本?は先生が預かってもいいか?」
石田はそう言って例の本を手に取った。
「はい。大丈夫です。」
俺がそう答えると、
「じゃあこれは預かるな。ありがとな、話してくれて。落ち着くまでここで休憩していけ。」
そう言って机から何かを取り出す。手のひらサイズの小袋だ。
「すまんが俺は一旦教室に戻らないと。柊木は後で来れそうだったらこい。保健室行って休んでもいいから。」
そう言いながら俺の手に取り出した袋を渡す。
チョコレート菓子だ。
「怪我がなくて本当によかったよ。もしまた怖くなったりしたときは、いつでも言ってくれ。」
石田が立ち上がり、そっと俺の肩に手を置き出ていく。
俺の顔を見る石田の顔は本当にほっとしたような表情で、不意に泣きそうになってしまった。
久しぶりに誰かのぬくもりに触れた気がした。
その日は授業に出る気になれず保健室で過ごし、そのまま帰宅した。
幸い良治たちに会うこともなく、朝とは打って変わって穏やかな帰り道だ。
遅刻坂も下り坂の時はそんなにキツくない。
まだ少し混乱した頭はぼうっとしていて、気がついたら家に着いていた。
三階建てアパートの一階。
西向きの1LDK。
それが俺と母さんの家。
鍵を開け中に入る。
「ただいま。」
そういいながら、玄関のドアを閉めた。
返事は帰ってこない。母はまだ帰っていないようだ。
狭い玄関で靴を脱ぎ、そのままリビングへ進む。
この時間は西日が強く部屋の中は明るい。
リビングには2つの椅子が向かい合うように置かれ、その間に2人分の食器でいっぱいな大きさのテーブルが置かれている。
俺はそのテーブルの上にカバンを置こうと...
置こうとして、
手が止まった。体が強張るのが自分でも分かった。
テーブルの上の真っ黒な塊。
明るい部屋の中で際立つ黒。
本....。
今朝見た本がそこにあった。
ぞわっ
鳥肌が立つ。
捉えてしまった黒から目を逸らすことができない。
「なっなんで...?」
そう呟いた声は自分が予想していたよりも上ずっていて、より体を硬直させる。
誰かが入ったのか!?
玄関は閉まってた。
窓から!?
まだ人がいるのかと思い部屋を見渡す。
キッチンはこの部屋の向かって左の壁に沿うように着いており、人が隠れることはできない。
反対側も家具は小さな本棚が一つとちいさなテレビが置いてあるだけで人は隠れられない。
目の前の窓を確かめるが鍵は開いていない。
この部屋ではないようだ。
どうしよう。
抵抗できる物なんてこの家には...。
仕方なく目の前にあった椅子を掴み、部屋の右側へ進み襖の前に立つ。
この先には5畳の畳部屋がある。
どくん、、、どくん、、、
心臓が脈打つのが聞こえる。
俺は襖に手をかけ、一気に開いた。
光の入らない部屋は薄暗かったが、人がいないことは確かだった。
そのあとも俺はタンスの中を調べたり、風呂やトイレなど、人が隠れられそうな所を椅子を片手に調べた。でも人なんか隠れてなかった。
家の窓も確認したのに全て閉まっていた。
どういうことだよ。
気味は悪いが、家の中に人がいなかったことには安心する。
犯人がいなかったことは良かったが、見つけた時さっさと玄関から逃げてしまうべきだったと少し冷静になった頭で思う。
椅子で対抗しようとしていた自分は恐怖で思考がだいぶおかしかったらしい。
「...なんなんだよ。」
そう言いながら、テーブルの上の塊を見つめる。
恐怖が一周してしまったのか、その本に興味が出てきていた。
怖いもの見たさとはこの事だろうか。
中身を見てみたい。
そう思った。
怖いと思うのに、そうする以外どうしようもなくて、テーブルに近づき本の表紙を触る。
今朝は気がつかなかったが、表紙にはわずかな窪みがあった。
その窪みは蛇のようにくねくねと横に唸っている。
まるでタイトルのようだが、平仮名やカタカナでなければアルファベットでもないようだ。
なんの模様なんだろう、、、
そう思いながら表紙をめくった...。