第7話
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「おうおう、そいつは随分難儀だな」
自宅。神々が集う大和家のリビングにて、何やらシミュレーションゲームをプレイしているらしいスサノオが言った。画面では壮大な宇宙戦争が繰り広げられており、スサノオ率いる軍勢はどうやら優勢のようだった。
「半月経っても根源を掴めないようなら、神祇院を呼ぼうと思ってる。向こうも忙しいだろうが、今回のこれは進行が早い」
神祇院を呼ぶ。つまり独力では降参という事だ。健としてもそうならないよう努力はするが、無理をして危険を広げるわけにはいかないし、いくらなんでも期間が短すぎた。
「まぁ、そうした方が良いだろうな。例の女子高生には悪いが、仕方あるめぇよ。そういえば触られたと言ってたな。どんな按配だ」
スサノオがゲームを一時停止し、視線を向けてくる。健は「かすっただけさ」と答えると、靴下を脱ぎ、当ててあったガーゼを外してみた。
切り傷となった幹部はどす黒く変色しており、うじうじと体液がにじみ出ている。出血はなく、痛みもないが、不快な事は間違いなかった。
健はこの怪我の原因となった水子の群れを思い出すと、もし顔でもやられたらどうなっていただろうかと、少し身震いをした。
「大丈夫そうだな。いくらかケガレちゃあいるが、時期に治る。それより、こっちの方はどうなんだ。まだ持つのか?」
スサノオは拳を突き出し、健のみぞおちへと押し当ててきた。顔は普段あまり見ない、真剣なもの。しかし残った片手はちゃっかりとゲームの操作を行っており、健はいくらかうんざりとした調子で伸ばされた手を押し戻した。
「自分の事は自分で良くわかってるつもりさ。まだ大丈夫だ」
健はスサノオの手があてられていたそこへ自らの手を押し当てると、定期的に繰り返されているその静かな鼓動を感じ取った。
「ふん。そうだといいがな…………そんで、結局例の嬢ちゃんに怪しい所はなしか。おつむの方はどうなんだ?」
スサノオの質問に、「どうもこうも」と健。
「学校が必要ないほどの秀才ではないようだし、逆についていけない程でもない。学校イラズ、ではないな。極々普通の女子生徒だ。常識人のようだから、酷い罰当たりな事をしたなんて過去もおそらくないだろう」
これらは、狐狸丸の調べから。彼女はアホ丸出しのキャラをしているし、勉学に関しては壊滅的だと言っていいほどだったが、頭が悪いわけではない。
むしろ洞察力に優れ、人の心の機微を把握するのが上手い。とてもそうとは思えない言動が目立つのは、単に確信犯的にそうしているに過ぎない。知ってはいるが、だからどうしたというやつだ。
「ふうむ。そうなると、逆恨みか。一番面倒なやつだな」
まるで人事のように――実際にそう思っているだろうが――スサノオが言った。健は「まったくだ」とそれに同意すると、ソファに体を投げ出した。
こういったケースにおいて一番楽なのは、本人が何かを仕出かした場合だ。その場合は本人を中心に物事を調べれば済む場合がほとんどで、困った事になる事態は少ない。せいぜい関係者数人をあたればそれで解決だ。
しかしこれが逆恨みとなると、途端に難易度が跳ね上がる。関係者は数倍から数十倍に増え、時には知り合いの知り合いから恨まれてました、なんて事もある。しかも今回のケースのように、本人が恨まれている事実さえ知らない場合も多い。
「お、健殿。帰っておりましたか。例の調べ物の件でお話が」
ビン底眼鏡の神が、階段の方からひょっこりと顔を出す。健は勢い良く立ち上がると、彼の元へ駆け寄った。
「どうだった。何か出たか?」
期待を孕んだ健の声。それに眼鏡をくいと上げてみせるオモイカネ。
「例の娘ですが、しばらく前に警察に行ってるでござるな」
「警察? いじめがあったとは聞いてるが、警察沙汰になってるのか?」
「いえ、それらしい事件の記録はなかったですぞ。せいぜい何かの相談といった所ではないかと、拙者は考えるでござる」
「ふむ。相談か……なるほど」
「今の所、出てきたのはこれだけ。あまり役に立てず申し訳ないでござる」
「いや、十分役に立ったよ。ありがとう。というか、どこからそんな情報を?」
「でゅふふ、大丈夫でござるよ。絶対に見つからんでござる」
「おいおい、面倒事になるのは勘弁だぞ」
「おほっ、では某これにて。購入するグラボをみつもらねばならぬがゆえ」
知恵の神はそう言うと、両手を合わせ、「どろん!」と声を発した。もちろん姿が消えたりはせず、ただ足早に階段を昇っていっただけだった。
そして健がそんなオモイカネが去っていった方を見ていると、今度は逆の方から階段を踏む音が聞こえてくる。
「あ、たけるちゃん。おひさし元気~?」
1階から昇ってきていたのは、朗らかな表情が良く似合うボブカットの少女。人間で言えば年のころ13歳あたりだろうか、未発達だがすらりとした女性らしい曲線の太ももが、短いスカートの下から覗いている。
「ウズメか。久しぶりという程でもないだろ。何やってんだ?」
アメノウズメ。この家にいる以上、もちろん彼女も神である。
「朝会ったぶりだから、ひさしぶりー。うずめ、動画とってたー。踊ってみたー」
そして動画投稿サイトにダンス動画を投稿する、ネットアイドルでもある。
人気の程は定かではないが、少なくない収入を大和家にもたらしている事から、そこそこではあるらしい。我が家にもオモイカネという熱狂的なファンがいる。
「そうか。他にいる穀潰しの連中と違って、偉いぞ。けどあんまりやり過ぎないようにな?」
そう言って頭をぽんと叩いてやると、にんまりと太陽のような笑みが返ってくる。
「わかったー。ねぇねぇ、オモイカネ、部屋ぁ?」
したったらずの口が、小さくへの字にゆがむ。それに健が「そうだが、どうした?」と尋ねると、「邪魔なの」という無慈悲な答えが返ってきた。
「どこに行ってもついてくるから、邪魔なの。スサノオー、ぶつぶつの森やろー」
拗ねたような顔のウズメだったが、すぐに明るい顔となり、リビングへとてとてと駆け出していく。健はそんなウズメを苦笑いで見送ると、オモイカネに何かお小言のひとつでも言うべきだろうかと考え、階段上へと視線を送った。
「我が家に変質者がいるってのも…………ん? これは、アラワレか?」
神はときに、意図せず神託を下す事がある。人間の言葉であったなら歯牙にもかけなかった言葉や行動でも、神々がそうした場合には大きな意味を持つ事がある。現れだ。
それは単なる偶然や無価値な何かだと片付けてしまうのは、健の経験からすると大きな損だった。特にウズメはそういったアラワレを残す事が多く、現在のように何かに悩んでいる時には、なおさら期待も高まる。
「変質者、変質者ねぇ。警察への相談はその線か? ちょいと調べてみる価値はありそうだな」
健は読んで字のごとく神頼みをする事に決めると、念のためオモイカネにもその線で調べを進めるよう依頼をする事にした。本当は沙希本人に確かめるのが一番手っ取り早いのだが、正直に話してくれるという確証がない以上、仕方がなかった。
「アラワレ、アラワレ。やぁやぁ時間が欲しいねぇ。忙しくてかなわん」
健は揉み手をしつつ、上へと昇っていった。
彼にとって沙希がどうなろうと知ったことではなかったが、しかし急がねばならない事は確かだった。
心臓の鼓動音が、やたらと早く聞こえた。
薄暗い、小さな、ほんの4畳ほどの部屋の中。きっと元々は生活の中で生まれる雑多な品をしまっておくためのつまらない倉庫か何かだったのだろう、無数のダンボールやら時期はずれの扇風機やらが無造作に積まれている。
そしてそれらをどかして作ったというよりは、単に押しのけた結果そうなったらしき部屋中央に空いたこじんまりとしたスペースに、ひとつの人影がぽつんとうずくまっていた。
「もう少し……もう少し……」
自らの体を抱え込むようにまわした手に力が入り、その爪がぎゅうと皮膚へ食い込む。
それは何も身に着けておらず、口は半開きで、目は血走っていた。浅い息遣いが色気のない部屋にこもり、目の前の床に置かれた1枚の写真だけが妙に存在感を発していた。
「待っててね」
それは写真に向けて呟くと、うふふうふふと笑った。口を大きく開け、床を舐めるようにして写真を咥えると、もっと楽しそうに笑った。
「さひちゃん、まっへへね」
写真に写る寺島沙希がどんな姿だったのか、もうわからない。
不快な咀嚼音が、くちゃくちゃと響いた。