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禍つタケルの怪異事件録  作者: Gibson
第1章 寺島沙希の怪
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第6話



   ――― 6 ―――



 健の呼吸が落ち着くまでのしばらくの間、校長室は無言だった。


 狐狸丸は堂々とした様子で部屋の外を伺い、対照的に沙希は怯えた様子でそちらを見ている。無数の赤子はおうおうと声をあげながら周囲をうろうろとしていたが、やがて無理だと悟ったのか、気付いた頃には消えていなくなっていた。


「あ、あの……」


 おずおずと、沙希が震える手を上げた。


「わ、わたし、なんで学校にいるんでしょうか。部活が終わって、家に帰った、はずなのに」


 わけがわからないといった顔。健はそりゃそうだろうなと思いつつ、「さぁね」とだけ答えた。


「あの気持ち悪いの、何ですか? なんで空が赤いんですか?」


 困惑した様子で、鉄格子の向こうを見やる沙希。健は彼女の言葉にぴくりと反応すると、聞いた。


「見えるのか?」


 健の質問に今一度空を見上げ、そして頷く沙希。健はそれになるほどと頷くと、同じように空を見た。


 外は夜も何もなく、ただ赤い空。

 そしてそこに浮かぶ黒い太陽だけがあった。


「呪をかけられたな。いざない、いざない。心当たりはあるか?」


「シ、シュ、ですか?」


のろいの事だよ。誰かに恨まれるような憶えはあるか?」


「のろい…………ま、待って下さい。話がぜんぜんっ」


 頭をかかえ、いやいやと首を振る沙希。一歩二歩と下がる彼女の肩を、狐狸丸がはっしと受け止めた。


「だいじょうぶ。どうせ夢だと思って忘れちゃうから。夢、夢。楽しいよね」


 にこにこと笑う狐狸丸。それを沙希は化け物を見るような目で見た。狐の眷属はそんな沙希の表情に気付くと、より楽しそうに笑った。


「とにかく良い機会なんだ、教えてくれ。最近、誰かの恨みを買った事はあるか?」


 少しだけ怒気を込め、健がそう尋ねる。すると混乱の中でも何か覚悟を決めたのか、それとも考えるのを諦めたのか、沙希はその場にぺたりと腰を下ろした。


「わかりません。でも、人に恨まれるような事は…………」


 泣きそうな顔で、必死に考えを巡らせている様子の沙希。それをじっと待っていると、やがて彼女は何か思いついたように顔を上げ、再び口を開いた。


「いじめが、いじめがありました。クラスの子がいじめられてて、それを先生に言ったから、もしかしたら――」


「いじめ、か。だがその言い草だと、君は告発した側なんだろう? それだとどうもな。いじめられてた女の子の名前を聞いても?」


「い、いえ。いじめられてたのは、男子です。たけるさんが座ってた席にいました。今はもう転校して、いませんけど」


「男? んん?」


 健は想定と違う事態に、腕を組んで首を傾げた。水子がいる以上、関係者は女性だろうと考えていたからだ。


「そのいじめってのは、被害者の男の子の家族にまで及ぶようなものだったのか?」


 そうであってくれとの一抹の期待を込めて尋ねる。しかし沙希の反応は、否定を示すものだった。


「そ、そんな大袈裟な話じゃなかったと思います。上履きを隠されたり、無視されたりとか、そういうのです。その、本人はそれでも苦しかったんだと」


「なるほど、了解した。そうなるとこの件とは関係がないか。他に何か――」


 ふと、ただでさえ薄暗い部屋がさらに暗くなり、外へ通じる窓の方に気配を感じる。


 鉄格子の向こうには、巨大な人間の頭。


 それがあまりに巨大ゆえに、見えているのは片方の目と鼻。そして笑みをたたえた口の端のみ。皮膚は赤黒く、血に汚れ、それを肉と呼んでも良いものか、内側の白い何かを晒している。


「――――っっっ!!」


 沙希が声にならない叫び声をあげ、倒れるにまかせて限界まで後ろに仰け反る。後頭部を壁に打ち付け、本来であれば悶絶のひとつもしただろうが、今は目を見開いて固まってしまっている。


 笑う巨人が笑みをさらに深くし、黒い歯を覗かせる。


「気にするな。どうせここには入れない。それよりさっき話した件だが――」


 健は取るに足らないと巨人の存在を無視すると、話を続けようとする。しかし当の沙希はわなわなと体を震わせ、歯を噛み鳴らし、激しく目をしばたいており、健の言葉が聞こえているとは思えなかった。


「わかりません、わかりません。お願いです、家に、帰してくださいっ!」


 目を閉じる事もできないのだろう。巨人から目を離さないまま、沙希が懇願する。手は健の袖を強く握り、真っ白になっていた。


「たーける。そろそろ可哀想なんじゃない?」


 狐狸丸がにこにことしたまま問いかけてくる。健はふむと鼻を鳴らすと、少女の様子を見やり、仕方がないと小さく頷いた。


「そうだな。じゃあ、頼む」


 健がそう要請すると、狐狸丸は「まかしとき」と小さな紙片を持ち上げて見せてきた。


 彼女は怯える沙希の傍にそっと座ると、口元を手で覆いながら、何事かとぶつぶつと呟く。するとがくがくと震えていた沙希の体がふと収まり、そして脱力した。顔を見ると険しい表情だが、しかし目を閉じ、浅く息をしている。


 健は問題なさそうだと見てとると、どうせ聞こえはしないだろうが、「おやすみ」と声をかけた。狐狸丸は「いい夢見じゃないけどねぇ」とのんびり言うと、沙希を抱きかかえ、校長室の外へと走り出していく。


「成果があったのかなかったのか、微妙な所だな。学校に関係する何かだという点は間違い無さそうだが」


 健は巨人の向こうに見える黒い太陽をにらみつけると、しばらくの間をそうしていた。


「…………ん?」


 ふと感じた視線に振り向く。

 しかしそこには、開け放たれた入り口がぽかんと口を開けているだけだった。


「ふむ。いざない、いざない。くわばら、くわばら」


 随分と過敏になっているようだと納得すると、健は持っていた塩を神棚に捧げ、その後それを自らの体に振りかけた。


 長くは持たないだろうが、少なくとも外へ出るには十分だった。




 翌日、寺島沙希は学校を休んだ。


 念のためにと狐狸丸に様子を見に行かせたが、軽く熱を出しているだけで、それ以上でも以下でもないようだった。沙希の家は学校から近く、昼休みの時間だけでも十分に事足りた。


「わざわざ昼を潰してすまんな。座ってくれ」


 職員室の隣につくられた、進路相談室と名づけられている、実態は生徒からの相談全般に使用されている小さな部屋。そこで割り箸とコンビニ弁当を手にした担任の教師の岡谷が、腰を下ろしながら言った。


「はぁ。それでは失礼します」


 安っぽいテーブルを挟み、教師と向かい合う形で腰掛ける健。自らも学生鞄からお弁当を取り出すと、しかしそれの中身を確認し、そっと戻した。


「ん、食べないのか?」


「えぇ、ちょっと。カレーという気分ではないので」


「そうか。でもお前らくらいの時はちゃんと食わないと駄目だぞ。体をちゃんと成長させんと、後で後悔するからな」


「肝に銘じておきます。それで先生、話というのは?」


 健は呼び出された側であり、用件は聞いていない。その質問に教師は、「いや、大したことじゃないんだ」と前置きをした。


「何か困った事やわからん事がないか、いわゆるヒヤリングというやつだ。まだ数日じゃあどうという事も言えんだろうが、決まりでな」


 「わかるだろう?」とでも言いたげな表情。健は「えぇ」と曖昧に頷く。


 まだ32歳の岡谷は比較的生徒と近い立場に自らを置いているようで、いくらか砕けた様子に好感が持てる。多少わざとらしく見えてしまうのは、きっと性根が真面目だからだろう。話しぶりや所作からそれが伺える。


 無精ひげの類はなく、頭は短く揃えられ、清潔感には気をつかっているらしい。アクセサリーの類は身につけていないが、プレーンノットと言っただろうか、それにディンプル――窪みを付けたお洒落なネクタイの結び方をしている。


 ワイシャツから覗く腕の太さから、学生時代は何かスポーツでもやっていたのだろうと想像できた。ごつごつとした手や若干変形した耳は、恐らく柔道か何かだろう。


「そういえば」


 わざとらしくならないよう、今思い付きました、という顔で発する。健は入り口の方をちらりと確認すると、声をひそめて聞いた。


「僕の席、いじめられた男子が座ってたって聞きましたけど、本当ですか?」


 健の質問に教師の箸が止まる。彼は表情を暗くし、しばしの思案の後に口を開いた。


「隠してもしょうがないからな。実は、そうだ。もし気分が悪いというのであれば早いうちに席替えを検討するが、大丈夫か?」


「あぁいえ、大丈夫です。そういった事は気にしません。ただ、クラスにいじめを行ってた誰かがいるわけでしょう。やっぱり、ねぇ?」


「まぁ、そうだよな。うん。もっともだ。だが、本人達は本当に心から反省してる。それは先生が保証する。もう馬鹿な真似はしないだろう…………まさか、何かあったのか?」


「あぁ、いえいえ、そういうわけでは。しかし、そうですか。それなら安心です。でも、件の生徒は越しちゃったんですよね?」


「あぁ。残念ながらなぁ。いじめた側からの謝罪も受け入れてくれたし、大袈裟な事になる前だったんでこれからに期待したんだが、駄目だった。先生がもうちょっとしっかりしてればなと思って、当時はえらく落ち込んだよ」


 眉間に皺をよせ、少し遠い目をする岡谷。しかし彼は表情を少し崩すと、「けど実はな」と健に顔を寄せてきた。


「その子、元々この学校が合わなかったらしくてな。いじめうんぬんはきっかけに過ぎなかったみたいなんだ。転校が決まった時は、そりゃあうきうき顔だったそうだ」


 そう言って、なんともやるせない苦笑いを浮かべる岡谷。健は同情から同じように苦笑いを返すと、しかし内心ではえらくがっかりとしていた。


 話を聞く限り、怪異と直接の関係があるようには思えなかったからだ。いくら何でも恨みの度合いが弱すぎる。


「そうですか。あぁちなみに、生活の方で特に問題はありませんよ。何かあったらすぐに先生に相談しますから、安心して下さい」


 話を切り上げようと、そういって立ち上がる健。彼は「そうか、わかった」と頷く岡谷に会釈をすると、指導室を後にした。


「…………ふむ。いじめねぇ」


 ぼんやりと考えを巡らしつつ、廊下を歩く。

 昨日ほどではないが、やはり床は鉄で出来ており、血で濡れていた。




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