第21話 エピローグ
―――エピローグ―――
学校。先日あんなことがあったにも関わらず、しかし教室は当たり前ながら普段と何も変わらない。いたって平和そのものだ。
変わった点といえば、担任が変更になったことくらいだろうか。
「ねぇねぇ、知ってる? 谷岡先生の奥さん、急に倒れたんだってさ」
「え、そうなの? だから休職になったんだぁ」
「えー、私先生好きだったからちょっとショックー」
「なにあんた、略奪愛狙ってたの?」
「新しい先生、高田のじじぃでしょ? まじやだわー」
朝のホームルームが始まるまでの短い時間。生徒達は口々に好き勝手なことをおしゃべりし、楽しそうにしている。今はたまたま谷岡先生の名前が出たが、しかししばらくすれば誰も気にもとめなくなるだろう。
健は神祇院から、谷岡の妻が心を病んで入院したという報告を受けている。原因は仕事や環境の変化によるストレスだとか、ご近所付き合いの上での何たらだとか、それらしいことが書かれていた。
もちろん、表向きはそうだろう。
しかし実際は、ここ数日で経験した通りのことだ。神祇院も把握しているし、ただ外へ情報が漏れた場合のことを考えてそう記しているだけのことだ。
谷岡先生の奥さんについては気の毒だとは思うが、マガツ神に魅入られてしまった以上、そればかりは仕方が無い。命があるだけマシだし、もしかしたらその内回復するなんて事もあるかもしれない。そうなれば万々歳だ。
それに少なくとも犠牲者が1人は減ったのだから、むしろ胸を張っても良いはずだ。動機はいささか不純かもしれないが、だから何だというんだ。
「ふあぁ…………しばらくは平和かねぇ」
健は自分の席で暖かい日差しにあくび交じりの伸びをすると、ぼんやりと頬杖をついた。
視線をずらせば無人の寺島沙希の机が見え、先日の音楽室でのやりとりが思い出される。あれから2日が経っており、きっと明日あたりには登校してくるのだろう。
足元に絡みつく赤子はもういない。
壁が鉄で出来ていたり、窓が鉄格子だったりはしない。
机の中から小さい怪異がこちらを見上げるようにのぞいて来てはいるが、こいつは関係がないからどうでもいい。きっといつか、どこかで、誰かが、机に開いた暗がりに恐怖でも感じたのだろう。何かの存在を感じ取ったのだ。
怪異とは、人が意識するから生じる。しかし人が意識するのは、怪異がいるからだ。鶏が先か、卵が先か。
それが邪な怪異でも、あるいは神でも同じだ。この国の人々は木に、岩に、大地に、山に、ありとあらゆる何かに超自然的なそれを見出してきた。これまでがそうであったように、今現在においてもそれは変わらない。きっとこの先も変わらないのだろう。
昔はいた神が今はいない道理など、そんなものがあるわけがない。
時代に応じて服装だったり何だりと、そのあたりはきっと変わるだろう。おかしいじゃないかと言う者もいるかもしれないが、しかし今頃家ではオモイカネがインターネットの世界を旅しているだろうし、スサノオはテレビゲームに夢中のはずだ。
きっとアマテラスはイベントに着ていくためのコスプレ衣装を縫っているし、アメノウズメは新しいダンス動画を投稿して楽しんでいる。
この国の神様はそんなものだ。それでも十分敬うべき相手だし、恐れを抱く相手だが、しかしそんなものだ。彼らは絶対的な何かではなく、我々のごく身近な存在だ。気付けるか、そうでないか、それは人に任されている。
「インターネットの神、なんつーのもいるのかね」
健はくもの巣のように張り巡らされたスパゲッティ状の体をもつ何かを想像すると、あまりに馬鹿馬鹿しくて思わず吹き出した。隣の席の女子がうさんくさ気な視線を向けてくるので、あわてて咳払いをして取り繕う。
「おっすー、たけるー、また後でねー」
教室の入り口向こうから、元気の良い狐狸丸の声が聞こえてくる。窓際の健とはずいぶんと離れており、それゆえ雑踏にまけじと大声だ。何人かの生徒がそんな声に振り向いたが、しかしすぐに元の方へと向き直る。何日も経っていないというのに、既に見慣れた光景扱いだ。
健は狐狸丸に軽く手を振ると、彼女がスキップで自分のクラスの方へ向かっていくのを見送った。何が楽しいのかはわからないが、いつもそんな様子なのだから、きっと彼女には世界がとても素敵なものに見えているのだろう。
まったくうらやましい限りだ。
「時間は、まだあるか」
腕時計を確認すると、先に用を足しておこうと席を立つ。廊下へ出るとトイレに向かい歩くが――
「たける、さん!」
肩口をぐいとつかまれ、引っ張られる。なんだなんだと驚く健の眼前には、少し怒ったような表情の寺島沙希の顔が。
「やぁ、寺島さんか。おはよう」
努めて冷静に返す。すると「はい、おはようございます!」と、強い調子で返された。健は何かやらかしただろうかと記憶をたどるが、しかし思い当たるところはなかった。
「朝っぱらから何を興奮してるのさ。あぁ、もしかして弁当箱かい? そういえば返すのを忘れてたな」
「ち、が、い、ま、す! ちょっとこっち来て下さい!!」
「いや、俺はトイレに、ちょっと、おいおい」
引かれるがまま、階段の踊り場の方へと向かう。すれ違う生徒から興味深そうな視線を送られ、口が達者な知り合いからは軽くはやし立てられる。
デッドスペースとなっている踊り場奥に到着すると、ようやく腕が開放される。健が恨めしそうに腕をさすりながら彼女に抗議の視線を送ると、しかしそんなことはどうでも良いといわんばかりにずいと距離を縮められた。
「健さん、言ったじゃないですか!」
握った両の手を勢いよく下にさげながら、少し背伸びをするように叫ばれる。健が相変わらず何のこっちゃと疑問符を浮かべていると、彼女はさらに言った。
「全部忘れてるって、見えなくなるって、そう言ったじゃないですか!」
拗ねたように口を突き出し、いかにも怒ってますといった顔の沙希。子供がやるようなそれは全く怖くはないが、しかし迫力はあった。
「へ、へぇ。そうなんだ。そいつはまた…………こいつは?」
体育座りでゆらゆらと揺れている老人を指差し、尋ねる。すると沙希はちらりとそちらを見て、驚いた事にぱちんと老人の頭をはたいた。
「見えてますよ! ばっちり! くっきり! どうするんですか! 責任とってくださいよ!」
胸倉を掴まれ、ぐいぐいと押し込まれる。健は老人と共に目をぱちくりとさせると、「驚いたな」と肩をすくめてみせた。
「君にはどうやら、本当に才能があったらしい。いやはや、こいつはさすがに初めてのケースだぞ。なるほど、だから狐狸丸がやたらとこだわったのか」
「だから、ぜんっぜん嬉しくありませんったら!!」
怒っているのか泣いているのか、その中間あたりの顔で叫ぶ沙希。健はそんな彼女をなだめつつ、こいつはどうしたものかと悩み始めた。
「とりあえず、神祇院に相談か。いずれスサノオ達にも紹介しとかんとまずいか? いや、どうなんだ。さっぱりわからん」
健は沙希に体を前後に揺さぶられつつぼそぼそとそんな事をつぶやくと、「あぁ、そうそう」と思い出したように取って付けた。
「今後はたぶん、元のような平穏な生活はないと思うから、覚悟しといた方がいいぜ」
健が無慈悲にそう伝えると、沙希はよりいっそう激しく怒り始めた。
――― ? ―――
薄暗い月明かり。ひとりの少女がわらべうた。
「かーごめ、かーごめ、かーごのなーかのとーりーはー」
唄の調子に鈴が鳴り、鞠が地と手を行ったり来たり。
着物姿に長い黒髪。揺れる振袖、日本人形。
「いーつーいーつー。でーやーるー」
ゆっくりと、かわらずに、ただただ鞠が行ったり来たり。
少女は唄い、鞠をつく。
顔は楽しく、こころは寒く。
「よーあーけーのーばーんー…………」
唄が止み、鞠がどこかへ転げ行く。
拾うは異形の禍つ者。
「よあけのあんい」
少女は鞠を受け取ると、再び唄を唄いだす。
「かーごめ、かーごめー」
「あーごえ、あーごえー」
今度はふたり、唄いだす。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
とりあえず一冊文程度ということで、1章完結です。
また気が向いた際に、2章の更新をするかもしれません。




