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禍つタケルの怪異事件録  作者: Gibson
第1章 寺島沙希の怪
19/21

第19話



   ――― 19 ―――



「やぁ、寺島さん。気分はどうだい」


 窓からもれる月明かりの中、地べたに座り込む健が言った。尻の下はもちろん木製の床材で、壁は味気ないコンクリートに防音マットが被せられたもの。月夜の空はほの青く、太陽が昇るのはまだまだ先だ。


「たける、さん? ここは?」


 寺島沙希が体を起こし、そして誤ってついた手がピアノの鍵盤をぽろんと鳴らす。彼女は不思議そうに周囲を見回すと、「音楽室」とぼんやり正解を言った。


「そりゃあもちろん、音楽室だよね。ずっといたんだもん」


 健の隣で同じように座り込んでいる狐狸丸が言った。木琴のばちだか何だか知らないが、木の棒を楽しそうに弄んでいる。


「こりちゃん…………えっと、私、ここへ来て、誰かと……」


 混乱した様子で考え込んだ沙希が、はっと気付いたように顔を上げる。「サッチー先生」と発した彼女は、びくりと怯えたように後ろを振り返った。


 そこにはうつぶせになって倒れている赤いワンピースの女性が。


「ひっ! わ、わたし、わたしは!」


 沙希が慌てて後ずさりし、転げ落ちるようにしてピアノから降りた。彼女は視線を女に合わせたままずりずりと地面を這うと、健の袖をぎゅうと掴んで来る。


「大丈夫。あれは悪さをしない。ここは現世うつしよだからね」


「で、でも、あれ、講師の――」


「知ってるよ。落ち着くといい。もう終わったのさ。しかし彼女も運が良いな。呪詛返じゅそがえしをされたのに、生きてる」


「終わった…………あれは、夢じゃあ……」


「もちろん違う。だが、似たようなものさ。常世とこよはどこにだってあるし、我々には身近な存在だ。ただ入り口だけがわかりにくいがね」


 健は沙希をそっと押しやると、制服を軽くはたいて立ち上がった。左腕は痛むが、動くし、穴は開いていない。いくらか黒くはあるが、そんなものだ。


「私、あんなに、恨まれてたんですね。いじめの事なんて、言わない方が――」


 ぼそぼそと消え行くような沙希の声。苦悩の表情を作る彼女に、「いや」と健がさえぎった。


「君は何も悪くないし、気にすることはないよ。これは逆恨みで、八つ当たりだ。谷岡先生は立派な教師にみえるし、事実がどうだったかは知らないが、いじめの告発が水子の生まれた直接の原因だったとは思えないね」


 動機や真相などに興味はないが、それでも思ったことを口にする。もちろん可能性として教師の谷岡が実は家庭ではどうしようもなく酷い男である、というのもなくはないが、だったら呪は谷岡本人に向きそうなものである。


 ただし被害者が必ずしも加害者を恨むわけではないという点を考慮すれば、谷岡への恨みが沙希へ転嫁されたと考えることもできるかもしれない。けれどもそれは、知って誰も得をしない類の真相だ。


「水子がいたから生まれる前か、もしくは幼い子供を亡くしたのは確かだろう。けど本当の原因は、それこそ本人にだってわかってないんじゃないかな。もしかしたら産婦人科の先生であれば知ってるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。けどね。そこは重要じゃないんだよ」


 健は少しだけ輝きを失ったペーパーナイフの刀を拾うと、それを小さな鞘へ収め、制服の内ポケットにしまった。


「何が真実で、何がどうあれ。大事なのは、君を恨んでおくのが彼女にとって最も都合が良かった、ってことさ。何の因果か、それとも偶然、君をね。ただそれだけだよ」


 そんなものさと肩をすくめて見せる。すると沙希は悲しそうな顔をし、「そんな……」と声を失った。健はそんな彼女を少しだけ見つめると、「君にも経験があるんじゃないかな」と切り出した。


「行き場のない怒りでかっと来ることや、誰かへ八つ当たり気味の感情を向けることが。けれどそういう感情は、時間と共に穏かになったり、後で冷静になったときにちゃんとした判断をできたりするものさ。そうだろう?」


 尋ねては見るが答えが返ってきそうには見えない。健は力を失って単なる紙片となった札を壁からはがすと、さらに続けた。


「けれど運悪く、そこへ禍津日神まがつひのかみがやってきてしまうと、面倒な事になる。かっとなった時の感情がそのまま残り、発した言葉が力を持ってしまうわけだ。それがしゅだね。君に向けられたものだ」


 健の言葉に、沙希が小さく反応して顔をあげた。彼女は何か思い出すように視線をさ迷わせると、最後に健の胸元あたりを見た。


「呪い……その、あれは、健さんに向かっていったように見えました。大丈夫なんでしょうか」


 当時の事を再現しているのか、自分の左胸あたりを指先でつつく沙希。健はそんな彼女が何か滑稽に見え、小さく笑った。


「ふふ。呪いは消えないが移すことはできる。なら呪われても平気なやつが受け持てば良い。簡単な話だな。俺は大丈夫だよ。慣れてるから。そうだよな、狐狸丸」


 自分の腕を枕にして横になっている狐狸丸にそう振る。すると彼女はそのままの姿勢で「そだね」と軽く答えた。


「こりまるとたけるのことは、気にしないでも平気だよ。いつもの事だし、マガツヒはどこにでもいるからねぇ」


「まがつ、ひ…………その神様が悪かったということですか?」


「ん? いやいや、違うよ沙希ちゃん。マガツ、マガツ。オーマガツヒにヤソマガツヒ。ふたりともケガレの神様だけど、ハライの神様でもあるんだ」


 狐狸丸がにこにこと説明するが、しかし沙希は良くわかっていない様子。健は「神様ってのはね」と手にした札をひらひらとさせた。


「ただそこにるだけで、それだけなのさ。善意や悪意なんていうわかり易い何かで行動しているわけじゃない。ただそこに在って、それでも人は影響を受けてしまうんだ。例えるなら、我々は身じろぎした象の足元にいる蟻ってとこかな」


 手にした紙片をはらりと落とすと、それを足で踏みにじる。力はいらず、心を込める必要もなく、ただ体重を乗せるだけで、紙はくしゃりと潰れた。


「あはは、神様、ですもんね…………その、私にはまだ良くわかりませんが、健さんとこりちゃんが助けてくれたってことは、わかりました」


 沙希はいくらか苦々しい笑みと共にそう言うと、「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。健は無言で肩をすくめたが、狐狸丸は「えっへん」と立ち上がって胸を張った。


「こりまるはハレのキツネだからね。でも色々つまみ食いしたから、お礼とかはいいよ。ねぇねぇ沙希ちゃん。それより、たける見てどう思った? かっこ良かった? 付き合っちゃう?」


 狐狸丸がいたずらっぽい表情で沙希へずいずいと身を寄せながら尋ねる。沙希は「えぇっ」と驚きながら顔を赤面させると、何かもじもじとしだした。


「い、いきなり言われても…………でも、その、はい。か、かっこよかったです。ヒーローみたいにさっそうと現れて…………あっ、実際に助けられてるわけで、みたいに、じゃないですね。ヒーローです」


 沙希が忙しく表情を変えつつ、そんな事を言って健の方を見上げてきた。健はそんな彼女をうさんくさそうに見ていたが、ヒーローという言葉にぽかんと口を開け、「俺がか?」と呆れた。


「は、はい。だって私は――」

「ふふ、あははっ! あはははは!!」


 沙希が何か続けようとしていたようだが、健は堪えきれず、腹を抱えて大声で笑い出した。横では狐狸丸がくすくすと笑い、沙希は何が何だかわからないといった様子。


 ひと通り笑い終え、ひーひーと苦しそうにあえぐ健。彼はいくらか落ち着くと、「ヒーローねぇ」と打って変わって冷ややかな笑みを浮かべた。


「こいつぁいいや。傑作だ。皮肉だとしたら、悪くないね。君にはセンスがあるよ。大したもんだ」


 健はぱちぱちと乾いた拍手をしながら、沙希とは関係がない方へと歩き始めた。ほんの数歩を大股でいくと、彼は倒れ付したワンピースの女の前に立ち、それを下目で見つめた。


「さて、お味はどうだろう」


 まるで揉み手でもしそうな調子で健はそう発すると、女の髪を掴んでぐいと持ち上げ、眺めみた。長い髪が邪魔をして表情は伺えないが、どうせ意識はない。それを気にする必要はなかった。


 健は口を開けると、女を顔から食らいはじめた。

 音楽室に、沙希の悲鳴が木霊した。




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