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禍つタケルの怪異事件録  作者: Gibson
第1章 寺島沙希の怪
17/21

第17話



   ――― 17 ―――



 何で出来ているのか、校舎を包み込む巨大な膜。赤い血管が張り巡らされた半透明のそれは風船状に広がり、校門に相当する部分だけがぽっかりと穴を開けていた。


 ふたりは無言でそこを通り抜けると、「へぇ」とそろって声をあげた。


「実際にここへ出るのか。よきかな、よきかな。内臓よりはずっとマシだ」


 ざっと周囲を眺め見る。今まで歩いていた肉の筒はなくなり、そこには東京の町並みがあった。まだ大した日数も通ってはいないが、しっかりと憶えている景色。夜であるので雰囲気は違うが、まさしく私立北葛飾高校の校門だった。


「誰もいないこと以外は、そのまんまだね」


 まぶしさなどないだろうに、手でひさしを作って遠くを眺める狐狸丸。彼女の言う通り人通りはなく、それどころか全ての建物から明かりという明かりが消えうせていた。しんと静まり返り、黙っていると耳鳴りが聞こえてくる。


 目線を上げれば空は赤く、黒い太陽が顔を覗かせていた。


「マガツ、マガツ。素敵な夜だね」


 狐狸丸が笑みを浮かべ、太陽を両手で仰ぐ。彼女のまんまるとした目は普段のそれとは異なり、瞳孔が猫のように縦に細く、突きつけられた刃物のような形をしていた。


「どうだろうな。ぜひ素敵な夜にしたいもんだ」


 健は制服の襟を正すと、校舎の昇降口へ向けて歩き始めた。音のない世界で、グラウンドの砂を踏みしめる音だけが耳に残る。駐車場に車はなく、あるのは並べられた首の無い死体のような何かだけ。


「校長室、確認してく?」


 昇降口から中へ入ると、狐狸丸がそんなことを尋ねてきた。健は逡巡ののち、「いや」と首をふった。


「どうせ別な何かに変わってるさ。境界でならば役にも立つが、ここは常世そのものだ。期待できないね」


 視線を下駄箱へ向ける。本来上履きが入っているそこには今は何が入っているのだろうか。どれも蓋が閉められており中は見えないが、確認する気にはなれない。蓋の隙間からは何やら黄緑の液体がしたたり、時折がたがたと音を立てて揺れている。


 下駄箱も、廊下の床も、壁も、天井も、全てが鉄で出来ている。

 窓は鉄格子。膿でさび付き、血で洗われている。


「穢れの、匂いが、するぞ」


 腰元から聞こえる野太い声。健は声の元を「わかってるさ」と軽くと叩くと、先へ向かった。


 黒い液体の溜まりが奥に見える金網の上を歩き、蛍光灯の代わりに吊り下げられた腸のような何かの下を進んでいく。階段は黄色い膿で滑りやすく、手すりは錆び付き、朽ち果てていた。


「たける、見られてるよ」


 狐狸丸の声に、上を見上げる。らせん状に4階まで繋がる階段の中央は吹き抜けとなっており、最上階から誰かが見ていた。谷岡に良く似ているが、少なくとも彼は頭から直接手足が生えていたりはしない。


「お出迎えか。恐れ入るねぇ」


 軽口と共に階段を昇っていく。踊り場の窓には羽のないカラスが一羽とまっており、鉄格子の向こうからじっとこちらを見つめていた。


「アブナイヨ――ソッチハ――アブナイヨ――」


 カラスの前を通り過ぎると、後ろからそんな声がかけられた。それに「知ってるさ」と答えると、さらに上を目指す。段を一歩一歩踏みしめるたびに、不快な小さな手が幾重にも重なり、健の足を弱々しく捕まえてきた。


 3階にたどり着くと、どうやらそれ以上は昇れないらしいことを悟る。階段が消え失せ、代わりに大きな透明の箱が置かれていた。


 箱の中には制服を着た男女がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、それらは不気味にうごめいていた。どれも頭はなく、それらは箱の上に丁寧に並べ置かれている。「悪趣味だな」と顔をしかめる健に、「アートだよ」と薄い笑みをみせる狐狸丸。


 ふたりは上への道を探し、廊下を歩く。左手に並んだ鉄格子からいくつもの手が差し伸べられ、何かを求めるように空をかく。右にある教室ではこの世ならざる者達が、まるで授業をするかのようにそれぞれの席にじっと座っていた。


「お前も受けてきたらどうだ。少しは賢くなるかもしれんぞ」


 狐狸丸へ冗談を飛ばす。彼女は「えぇぇ」と嫌そうな顔をしたが、しかし何か思いついたのか、教室の中へと入っていった。


「置いてくぞ。俺は早くここを出たい」


 声をかけ、しかし待たずに先へ進む。しばらくすると狐狸丸が後ろから走りより、「まずかった」とだけ言った。


「こっちも駄目か。生徒を拒絶するなんて、教師失格じゃあないか」


 校舎の反対側にある階段も、本来の役目を果たせる状態にはなかった。あるのは鎖で吊り下げられたいくつもの鉄の檻。中身は空だが、うなるような声だけが聞こえてくる。


 健は仕方がないと、渡り廊下を目指すべく体の向きを変えた。面倒だが別棟で4階に上がり、そこから本棟へ戻って来れば良い。


 そして、至近距離で何かと目が合った。狐狸丸ではない。


「カァ――エェ――レ――」


 男とも女ともつかない、目を見開いた、制服を着た何か。それは歯も舌もない口でそう言うと、楽しそうに笑った。


「…………もちろんそうするさ。だから邪魔だ」


 腕で制服を着た何かを力任せに払い、無視して進もうとする。しかしその腕は何かの手にがっちりと捕らえられ、健は思わず驚きの声を発した。


「こいつ! れてっ!」


 慌てて体を引き、体重を後ろにかける。しかしまるで岩にでも挟まったかのように腕は少しも動かない。やがて歯の無い口が大きく開かれ健の腕に向かい――


「おい、それはぼくのだ」


 狐狸丸が怒りをむき出しにした顔で、そいつの頭をむんずと掴んだ。そして力任せに引きちぎると、子供が砂場の山を壊すように、振った腕で胴体を粉砕した。黒い血液と肉片が宙を舞い、壁に殺戮の後を残す。


「すまん。手を出したのは迂闊だった」


 制服を払いつつ、謝罪と共に立ち上がる。掴まれた左腕に痛みを感じ、袖をめくると黒く変色しているのが見てとれた。傷口にはじくじくと膿が湧き、無数の小さい何かがあちらこちらへ行ったり来たりとしている。


「くそっ。思ったより精神にキテるらしい。今のは良くなかったな」


 健は反省して独り言のように呟くと、顔についた血糊を袖でぬぐい、自らの頬を軽く叩いた。狐狸丸は既にいつものような暢気な表情に戻っており、逆にそれがぞくりと怖気を走らせる。


 ふたりは3階の渡り廊下に到着すると、狭いそこに左右ずらりと並ぶ裸の少年らに見つめられつつ、渡っていった。少年らは楽しそうにとおりゃんせを歌っており、それが輪唱のように正しくずれて耳へと響く。


 とおりゃんせ、とおりゃんせ。


 健は耳をふさぎたくなる衝動にかられつつも、我慢して先へ進んで行く。怪異はこちらから干渉しない限り何もしてこないことが多い。もちろん例外はいくらでもあるが。


「行きはよいよい 帰りはこわい」


 人の気も知らず、狐狸丸が楽しそうに口ずさんでいる。健はそれを聞きながら今度こそ昇れそうな階段を見つけると、ゆっくり上へと昇っていった。踏み板は全て人の背中で出来ており、踏みしめるたびにくぐもった悲鳴が聞こえて来る。


「わぁ、歌は本当だね。帰りはこわいや」


 4階の渡り廊下に差し掛かると、狐狸丸がはしゃいだ様子で言った。健は小さく舌打ちをすると、「アラワレじゃないだろうな」と彼女をにらみ付けた。狐の化身は「どうだろうね」と笑顔で首をかしげている。


 本棟へ戻るための渡り廊下は、細い木の板で出来ていた。


 壁も天井もなく、下にあるはずの3階渡り廊下の天井すらない。1つ長さ2メートル程の四角い木の板が心もとない数の釘でそれぞれ連結され、じぐざぐと不安定に浮く橋を造っている。幅はようやく人がひとり通れる程度。


「こりまる、さき行くね。落ちたらお経をそらんじろー」


 言うや否や、狐狸丸が小走りで板の上を走り出す。板はぎしぎしと音を立て、それとわかる程に上下にたわむ。ほんの数秒で渡りきった彼女は、向こうで得意気な顔で手招きをし始めた。


「運動が得意なやつはこれだから…………ちくしょう。行きたくねぇなぁ」


 ぶつぶつと文句を言いつつ板の上に一歩を踏み出す。ぎぃと古臭い木材のこすれる音が不安を煽り、体重に合わせて沈むそれがさらに恐怖を加速させる。健は案山子かかし弥次郎兵衛やじろべえがそうするように、あるいはそのまま綱渡りをする者がやるように、両手を広げ、ゆっくりゆっくりと進んでいく。


「むりを、するこたぁ、ないよ」


 顔のすぐ傍に気配を感じ、そこから声が聞こえてくる。努めて真っ直ぐ前だけを見る健にその姿は見えず、縮れた髪の毛のような何かが揺れる様だけが視界の端をかすめる。


「ここで、おちれば、あのこに、あえるよ」


 こめかみに息を感じ、汗が額を伝う。浅い息と早い鼓動。瞬きもせず、ただゆっくりと足を進める。


「ほうら、したに、たまきちゃんが、いるよ」


 つと健の足が意図せず止まり、そこから一歩も踏み出せなくなる。噛み締めた歯がぎりと鳴り、憤怒の念が心へ湧き上がる。


 別に今こいつを殺してから先へ進んでも良いのではないか?

 その方が楽だし、すっきりできるのではないか。とても魅力的な案だ。


なんじ、ここで、ついえるか」


 腰あたりからの低い声に、はっと我に返る。知らぬうちに踏み出そうとしていた足がぶらりと宙を浮き、板とは随分離れた場所へ足を下ろそうとしていたらしいと悟る。


「いいや。こんなとこでくたばるなら、あの時あがいたりはしなかったさ」


 健は浮かした足をしっかりと板の上に置くと、今度こそ冷静に橋を渡って行った。耳元の何かはその間もずっと何かを囁いていたが、それはまったく気にならなかった。


 脳裏には古い過去の記憶。

 浮かび上がる心臓と、それを受け取る自分の手。

 消えた少女。泣いている自分。


 差し出された狐狸丸の手をとり、橋を渡り終える。左を向けば廊下の突き当たりに目的地たる音楽室の入り口が見てとれた。


「用事を終わらせて、さっさと帰ろう」


 ふたりは廊下を並び歩く。錆びた鉄と膿で出来た四角い箱の中を、一歩一歩進んでいく。鉄格子向こうの黒い太陽はさんさんと輝き、教室の中では子供達が楽しそうに円を描いて踊っている。廊下には壁の方を向いた制服姿の男女が等しく並んで立ち尽くしており、何かをぶつぶつと呟いていた。


「マガツにおい。ケガレたにおい。呪の元、呪の元、さぁいこう」


 狐狸丸が歌う。ふたりは音楽室に到着すると、開け放たれた扉を通り、中へと足を踏み入れた。




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