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禍つタケルの怪異事件録  作者: Gibson
第1章 寺島沙希の怪
15/21

第15話



   ――― 15 ―――



「タノモウ、タノモウ。この地のあるじはおられるか」


 社の前に立ち、小さな声でそう尋ねる。2対ある後ろからの視線を後頭部に感じ、得も言われぬ焦燥感が昇ってくる。


「タノモウ、タノモウ。この地のあるじはおられるか」


 健はもう一度、今度はもう少し大きな声で繰り返した。都会の中にある神社であるのに、今いる場所から見える人工物は目の前の社のみ。周囲は木と、木と、木。そしてそれらが作り出す緑の結界。


「タノモウ、タノモウ、この地の――」


 健が三度同じ言葉を繰り返そうとすると、すぐにその必要がなくなった事に気付いた。目の前の空気がぐにゃりと歪み、そこに一対の赤い目が現れたからだ。


「ひとが、われを、よぶか」


 地響きのような声。空気がびりびりと振動し、鳥がいっせいに飛び去る音が聞こえる。体が本能的に強張り、健はぎっと歯を食いしばった。


「ひとが、われを、ひとが、われを――」


 振動がより大きくなり、それとわかる程に全身が震え始める。敷かれた周囲の砂利が細かく跳ね、波のような音を立てた。健は心を強く持つと、言った。


荒魂あらみたまよ、荒魂あらみたまよ。我は大御神おおみかみの使いなり」


 すぐ後ろから荒い息遣いが聞こえ、生暖かい空気が首筋をなでる。猛獣のうなり声のような響きが加わり、それは右からも左からも聞こえた。


 たまらず視線を横に向ける健。すぐそこにある巨大な目玉と目が合う。


 そこでは目玉の大きさに相応した雄雄しい獅子が鼻先にしわをよせ、怒りの塊のような表情でうなり声をあげていた。腕ほどもある牙が口元に覗き、それがゆっくりと開かれる。


荒魂あらみたまよ、荒魂あらみたまよ。我は大御神おおみかみの使いなり」


 視線を正面の赤い目に戻し、再び唱える。奥歯ががちがちと鳴り、手に食い込んだ自分の爪が赤い雫を落とす。やがてどこからか水の音が聞こえくると、赤い目のすぐ傍に流水で作られた一本の手が浮かんでいた。


 手はゆっくりとした動きで健の方へ迫り来ると、水の刃たる爪を備えた指を伸ばし、眉間のすぐ傍で止まった。そして少し迷ったようにゆらゆらと揺れると、今度は下へと降りて行き、健の手元で完全に静止した。


「ゆるそう」


 声が響き、そして何もかもが消え去った。

 目の前には社と、周囲には静かに揺れる木々。


 健は荒い息で周囲をきょろきょろと見渡すと、大きく安堵の息を吐いた。


「くそっ、機嫌が悪いなんてもんじゃないな!」


 ひとつ悪態をつき、その場にぺたりと腰を下ろした。そして呼吸を整えると同時に周囲を注意深く観察し、やがて目的の物を見つけ出した。


 地面の砂利が不自然に隆起し、複雑な文様のようになっている。そしてその中央には今先ほどまで健が手にしていた、そして水の指が触れたであろう弁当箱が置かれていた。


「ここは…………商店街の裏通りか。荒神あらがみよ、荒神あらがみよ、感謝します」


 健は弁当箱を掴むと、すぐに走り出した。

 砂利はまさしく、地図を描き出していた。




「おー、たけるおかえりー。随分かかったねぇ」


 バイクにまたがったまま暇そうに携帯電話をいじっていた狐狸丸が、健に気付いて顔を上げた。健が「どれくらい経った」と尋ねると、「30分くらいだね」と返ってきた。


「そうか。こっちはほんの3分程度の感覚だったけどな。お前、次は一緒にきてくれよ。正直あれは堪えるぜ」


 健はヘルメットを被るとライトを点け、すぐにバイクを発進させた。既に日は落ちており、世界は夜に包まれていた。


「水神様、かんかんだったー?」


 しばらく走らせていると、後ろで狐狸丸が叫ぶようにして言った。健は信号で停止すると、「そりゃあな」とバイザーを上げて答えた。


「自分の縄張りで呪の元が好き勝手やってるんだ。頭にも来るだろうさ」


 健はそう狐狸丸に言うと、最悪の場合はどうなっていただろうかと考え、小さく震えた。獅子に食われて行方不明か、それとも水に飲まれて陸上で溺死だろうか。


 少し首を伸ばすと、ビルや家々の間に何もない一帯が延々と続いている様を見ることができる。広大で、かつては多くの犠牲者も出しただろう、荒ぶる川の流れだ。


「荒川の神様と中川の神様が喧嘩したりすることも、あるのかな?」


 狐狸丸が興味深そうに言った。健は「知るか」と無碍に返したが、内心ではありえるだろうと考えていた。もちろんそれで神が死んだりはしない。死ぬのはいつも人間だ。


 健は信号が変わると同時にスロットルを開くと、先を急いだ。サラリーマンの悲哀を感じさせる美しいビルの夜景を後ろに流し、細い路地へと入っていく。通行人が飛び出してこないかどうか注意深く進むが、しかし健のバイクが通るタイミングは必ず道が開いているのだった。


「トウトミ、トウトミ。アマテラス(母さん)に感謝だな」


 バイクは路地を風のように走ると、やがていくらもしないうちに目的地へと到着した。この辺りは地元も地元であり、迷うことなど考えられない。健は良く見知った喫茶店の前にバイクを停めると、そこでひと息をついた。


「そりゃまぁ、閉まってるわな」


 店の看板には「喫茶いざなひ」の文字。アマテラスは夕方7時には必ず家にいるのが日常だった。であれば店はその前に閉まるのが道理で、当然ながらシャッターが下ろされている。


「さきちゃん、アマテラスの所に行こうとしてたのかな?」


 ヘルメットを脱ぎつつ、狐狸丸がそんなことを言った。健は「そうかもな」と頷くと、視線を落とした。


「心細かったんだろう。あの状態で家にひとりはさすがに嫌だろうからな」


 健はヘルメット2つをバイクに仕舞い込むと、体のあちこちを叩いて必要なものを身に着けているかどうかを確認した。特に忘れてはいけないのが、安っぽいペーパーナイフ。


「やぁ。良い夜だね」


 今も店先に佇んでいる首の無い男に挨拶をする。返事は期待していなかったが、彼が珍しく手をあげて振ってきたため、少し驚く。


「マガツ――マガツ――」


 腰のあたりから、声にならない低い声が木霊する。健は「そうだな」と頷くと、神社の砂利が示した地点へと向かった。場所はすぐ近く。たった一本となりへ行った、商店街へ続く路地だ。


「ふむ。あったな。ここだ」


 ものの1分もしないうちに目的地へと到着する。店と店とが向かい合う下町の路地の、さらに隣。すなわち裏口だけがある薄暗いバックヤードのような場所。申し訳ばかりの街灯に羽虫が群がり、あちらこちらに煙草の吸殻が散らばっている。


「これを見るのは久しぶりだねぇ。いつ以来かな?」


 相変わらず暢気そうな狐狸丸が、目の前の光景を眺めつつ言った。それは人通りの多い商店街にあと数歩のところにある、一筋の裂け目。アスファルトの地面をまるで切れの悪いのこぎりで無理やり切り裂いたかのような、じぐざぐとした、光を吸い込む、真っ黒な境界。


「さぁねぇ。うちは安全第一がモットーだから、こういう危ない真似は出来るだけやりたくない。出来るだけね」


 健は裂け目へ近寄ると、しゃがんでそれに指先で触れた。すると裂け目はまる呼吸をするかのように大きく口を開け、闇をさらに深くした。


「こだわるねぇ、こだわるねぇ。えにし? いざない? とうとうたけるに春が来た」


 狐狸丸が歌うように言った。いい加減しつこいぞとうんざりとした視線を返すが、本人は至って気にした様子はなさそうだった。健はもてあそぶようにして裂け目をいじると、やがてそれが人の通れる大きさになるのを待った。


「お前、どうする。帰るか?」


 座ったままの姿勢で、狐狸丸を見上げて尋ねる。すると彼女は表情を消し、静かに健の傍にひざまずいた。


「忘れたのかい? 君はわすれんぼうだからなぁ。何度でも言ってあげようか」


 狐狸丸がずいと顔を寄せきて、その息が鼻先をかすめる。至近に見る整った顔は月明かりに照らされ、陰影を強く掘り込んでいる。彼女はゆっくりと顔を傾けると、健の頬をべろりと舐めた。


「僕の夢は、いつか君を食べることなんだよ。傍にいるさ」


 そして屈託のない笑みを浮かべる。健は狐狸丸を無言でしばし見つめると、「勝手にしろ」と答え、そして立ち上がった。


「行こう。そしていつも通りやろう。駄目そうならお前、俺を食うといいさ」


 健はそう言って小さく飛ぶと、裂け目の中へと飛び込んでいった。




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