第13話
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「暇だね~。これは暇だね~」
ここ最近は日課のようになってきた、屋上での時間潰し。狐狸丸は制服が汚れることなど全く気にする様子もなく大の字でごろごろと床を転がっており、健は壁にもたれるようにして座りながら、そんな彼女を何の気無しに見ていた。
「ふぁ…………まぁ、やれることはやったしな。後は待とう。もう少し時間があれば色々と出来ただろうがね」
あくびをかみ殺しつつ、そんな事を言った。
部活動が終わる時間まではまだしばらくあり、今はやれることも、もっと言えばやりたいこともなかった。今日は自殺者の怪異も忙しいらしく、屋上にその姿は見えない。せいぜい排水溝付近に溜まった土から生えている植物が、何か人間の手足で出来ているとか、そういった程度のものだ。
「そーいやたける。谷岡先生、奥さんとはラブラブだってよ。指輪見せて自慢とかしちゃってるんだってさ」
狐狸丸がどうでも良いことのように言った。それに「ふん」と健。
「他人ののろけ話に興味はないよ。だが、そうか。了解」
手を組んで頭の後ろへやると、大きく深呼吸をする健。口を開けて息を吸い込むと、それは途中からあくびへと変わった。日差しは暖かく、周囲は静かで、非常に心地が良かった。
「――――ちゃん」
ふと聞こえたかすかな声。健はがばりと体を起こすと、周囲を注意深く見やった。目が細められ、眉間に深いしわが寄る。
「――おにぃ、ちゃん」
よりはっきりと聞こえる、幼い子供の声。健は強い不快感から声の元を追うと、それはどうやら階段の方から聞こえてくるようだった。
「たーける。落ち着きんしゃい」
のしのしと大股で階段へと向かっていたが、ふいに襟を掴まれてたたらを踏む。不愉快だと後ろへ振り向くと、狐狸丸の手を強く払った。
「邪魔をするな。環かもしれん」
「環ちゃんかぁ。可愛かったよね。でもそっちにはいないんじゃないかなぁ」
「なぜだ。階段の方からはっきりと声が――」
「そっち、階段じゃないもん」
先ほどまで進もうとしていた方へ、狐狸丸が細い指を向けている。何を馬鹿なと指の先を追うと、健は絶句し、ごくりと唾を飲んだ。
そこは空中で、何もなかった。
地面までははるか遠く、知らぬ間に柵の外に立っていた。
「はぁ……はぁ……」
心臓が激しく鼓動し、息が荒くなる。健は己の頬を強くはたくと、慎重に後ろへ下がり、柵の内側へと戻った。
「ぉ――ぉまえ――」
再び声がする。今度は本当に階段の方からだった。振り向くとそこには異形の赤子の姿が。
「じゃぁまぁ――すぅるな――」
肉に乗った口をうごめかし、赤子が発した。健は荒れた呼吸をなんとか整えると、「冷静になれ」と自分に言い聞かせた。視線を上げると既に日が落ち始めており、知らぬ間に寝ていてしまったらしいと悟る。
「味な真似をしてくれるじゃないか」
胸中渦巻く感情を押しとどめ、ゆらりと異形に歩み寄る。健は努めて冷静に頭を回転させると、言うべき事を言った。
「明日には神祇院がお前を焼きにいく。座して黄泉へ行くといい」
その言葉に金切り声をあげる。健は顔をしかめて耳をふさぐと、それが終わるのを待った。傍では狐狸丸も同じようにしている。
「ふん。せいぜいそんなものか。こいつとカラオケにでも行ってみると良い。もっと凄いのを聞かせてくれるぜ」
狐狸丸を顎で指しつつそう挑発する。赤子の反応は良くわからなかったが、しかし狐狸丸の方には効いたらしい。心外であると顔が語っている。
「おくって――やる――」
異形が口を変形させ、言葉をつむぐ。健は聞くまでもないとさらなる挑発の言葉を考えるが――
「いもぅと――の――ところぇ――」
さらに続けられた言葉に、頭が怒りに染まる。きんと頭の芯が凍ったように遠い耳鳴りが聞こえ、かみ締めた歯がぎりりと音を立てる。健は考えるより先に手を伸ばすと、唱えた。
「悪を祓へ退け賜う」
瞬間、赤子ははっと驚いたように目を見開くと、次いで全身の肉が弾け、血を撒き散らし、苦悶の声をあげ始めた。異形は目から血を流し、怨念の篭った呪詛の言葉を叫びで表すと、やがてすぅと消え去った。
「うわ、きたないなぁ……たける、だいじょうぶ?」
顔についたらしい弾けた肉片をぬぐいつつ、狐狸丸が尋ねてくる。健は「あぁ」と頷くと、「それより」と続けた。
「これで目的は達成しただろう。沙希のところへ行くぞ。動きがあるはずだ」
健はそう発すると、強張った表情をほぐすように顔へ手を当て、そして階段を小走りに降りていった。
「沙希さんですか? 先に帰りましたよ。すごく具合が悪そうでしたね」
音楽室に到着した健達だったが、沙希の姿はなく、入り口付近にいた部員に尋ねるとそんな返答が返ってきた。
「なるほど。帰ったのはどれくらい前?」
「えっと、10分前とかそんなものかな」
「ふむ。ありがとう、助かったよ。心配だったんでね」
「いえいえ。でも心配しなくても、先生が送っていったから大丈夫だと思いますよ」
「…………そうですか。先生が」
狐狸丸と顔を見合わせる。ふたりは部員に再度礼を言ってから立ち去ると、向こうから見えない位置につくなりすぐに駆け出した。
「狐狸丸、携帯電話は!」
「繋がんないなぁ。もう食べられちゃってるかもねー!」
階段を飛ばし飛ばし、下へと急ぐ。健は途中で自らの携帯電話を取り出すと、助けになりそうな相手を呼び出した。
「スサノオ《おじさん》か? 今すぐ足が必要なんだ。迎えに来てくれ!」
一方的に要件だけを伝え、電話を切る。次いで「兄貴(眼鏡)」の表示が出るまで画面をスライドすると、緑のボタンを押した。
「オモイカネ、今すぐ調べて欲しい事がある。寺島沙希の自宅の番号だ。なに? ハッキング? なんでも構わんから、すぐに頼む!」
4階の音楽室からようやく1階へ到着すると、一度呼吸を整えるべく足を止める。心臓が不安定に脈を打っており、落ち着かない。
「くそっ! 使えない心臓だ」
健はそう罵声を飛ばすと、再び走り始める。玄関を過ぎ、駐車場を越え、校門の外へ。恐らく沙希が通るであろうルート、すなわち先日下見した土手沿いの道へ向かい、急ぐ。
「おーい、健! 待て待て、俺だ!」
背後からかけられる声。振り向くとそこにはバイクにまたがるスサノオの姿が。彼はスタンドを降ろすと、健達の方にヘルメットを二つ投げてよこしてきた。
「ウズメのアラワレに従って出てみりゃあ、この始末だ。ジオでゲームの安売りしてるから急げって追い出された時は何事かと思ったけどな」
そう言い、手に持ったビニール袋を掲げてみせて来るスサノオ。健は「助かる!」とヘルメットを装着しつつ走り寄ると、急いでバイクへとまたがった。頼りになる中型のネイキッド。
「スサノオ、行けるか?」
大男に向かい尋ねる。スサノオは数瞬考えた素振りを見せると、「たぶんな」と答え、しかし次の瞬間には忽然と姿を消していた。
彼が立っていた場所には、一本のペーパーナイフ。
「よいしょっと。おっけーたける、かっとばせー!」
狐狸丸がペーパーナイフを拾いつつ、後部座席へと飛び乗った。健はナイフを受け取ると、「出すぞ!」と叫びつつアクセルをぐいと回す。一瞬前輪が浮きつつも急発進すると、警察に捕まらない程度までぐんぐんと加速していった。
「きもちいいー! 信号、つかまらないねー!」
背後で狐狸丸が無邪気にはしゃぐ。振り落とされるんじゃないかと健は冷や冷やしたが、本人は至って平気そうだった。
「アマテラスが因果をいじってるんだろう! それよりちゃんと見つけてくれよ!」
健は本人曰くいたって普通の高校生なわけで、高速で走るバイクから車中にいる人影が誰かを確認する事などできない。それは人間離れした狐狸丸の動体視力を頼る他なかった。教師が送っていったという事なので、恐らくは車だろう。
「あいあい、りょーかいだよたけるちん。でもいなかったらどうすんのー?」
「そんときゃそんときで考えがある! 大丈夫だ!」
風を切る音の中、ヘルメット越しに大声で叫び合う。
ふたりはやがて土手に到達すると、スロープを上がり、見晴らしの良い高台を走り始めた。しかしもういくらもしないうちに彼女の家に到着しそうだというのに、沙希の姿は一向に見つからない。
「いないな。別の道を通ったのか?」
健はスピードを緩めると、一度立ち止まってからヘルメットを脱ぎ、携帯を確認した。オモイカネからのメールが届いており、沙希の家の電話番号が書かれてはいたものの、しかし家には帰っていないだろうという追記がなされていた。
「なんでいないってわかるんだろ」
狐狸丸が健の肩にあごを乗せるようにして携帯を覗き込んできた。健は「さぁな」と首を傾げると、「恐らく付近の監視カメラだろう」と当たりをつけた。
「電話は出ないな。しかしそうなると、大通りからの遠回りか?」
東京都内の道は田舎のそれとは違い、いくらか細い道にでも入ろうものならどこもかしこも一方通行だらけである。目的地が見えているのになかなか到着しない、というのも良くある話だ。
健のいるこの辺り一帯もそのようなもので、学校から直接来るのであれば今来た道を通るのが最短かつ最もシンプルなはずだった。他の行き方だと優に倍は時間がかかる。
「病院に行ったとかもありえるよね。どうする?」
狐狸丸がのんきな声で尋ねてくる。健は邪魔だと狐狸丸に軽く頭突きをすると、腕を組み、しばし悩んだ。するとそこへ1台の車がとまり――
「おう、やっぱ大和兄妹か。お前らこんなとこで何やってんだ。というかお前、免許持ってんだろうな?」
開いた車の窓越しに声をかけてきたのは、担任の谷岡だった。




