Ⅲ
そうして俺は意識を失ったのだが、気がついてみると、やけに窮屈な感じがした。それもそのはず、俺は後手に縛られ、両足も縛られて、床に転がされていたのだから。
「ようやく目を覚ましたな」
俺は声の主を確かめようと、首をねじりあげた。そうして見たのは、絢爛豪華な衣装を着て、肘掛けに凭れながら頬杖をつき、頭には冠を戴き、えらく不機嫌そうな顔で、俺を睨みつけている男だった。どうやらここの城主であるらしい。
「その方、何の目的があって、この城に潜りこんで来たのじゃ。事情を説明せい」
請われるままに、俺は事の始終を省くことなく語ったのだが、もとより王が信じるはずもない。
大狂宴のくだりになると、王様は大口をあけてゲラゲラ笑い、もっと詳しく語れとまで命じた。だがやっぱり俺のいう事を信じない。そうしてどんどん雲行きが怪しくなった。
「この嘘つきめが! すべて出鱈目じゃ。予を久しぶりに噴飯させた功は認めるが、そちはそれ以上に罪深い。なにしろ予の酒蔵を空にしたのだからな。したがってそちを、死刑に処す!」
中世にあった宗教裁判のようじゃないか。そんなやり口は卑怯だ。おい、弁護士を呼ばせてくれと叫びたかったし、判決に不服を申し立てて上告してやりかったし、金を積んででも陪審員を買収してやりかったが、もちろん、どうにもしようがなかった。俺は黙って、ねじりあげた首をもとに戻しただけだった。
「さっさとこの酒臭い男を連れていって、首をちょんぎってしまえ」
王はそう言ってケタケタと笑いやがったんだ。
こうして俺は縄目をうけたまま、荷車に乗せられて処刑場まで運ばれることになった。
城外に引き出される途中、廊下を運ばれながら聞かされたのは、それでも王は減刑してくれたという、ありがたいお話しだった。つまり、平民の場合、死刑は絞首刑だと決まっているのだが、王を噴飯するほど愉しませたということで、俺を貴族として扱い、断首刑に減じてくれたんだそうな。そうして、絞首刑であろうと断首刑であろうと、どちらであったとしても、ご丁寧に古来からつづく、晒し者にされるときの約束事は守られ、俺の胸と背中には「極悪なわたしは、御城主様の酒を一滴も残らず飲みほした、大悪人であり、大泥棒であります」と書かれた札が垂らされたのだ。ふっと閉じた瞼の裏に、悲しみの道を、十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩く、イエス様の姿が浮かんだ。そして、手足に釘を打つ非情な槌音を聞いたような気がした。つぎには、磔にされた者の足もとに積まれた薪に、火が点じられるのが見え、つぎには、首に縄をかけられた男の立つ台が、どけられるのが見えた。俺は思わず身震いした。これまで数えられないくらいの男と女が、理不尽に残酷に殺されていったということが、実感として胸に湧きあがってきたんだ。けれども、イエス様をはじめとする人びとと比べれば、俺はまだましかもしれない。断頭台の露と消えるとしても、彼らのように苦しまないで死ねるのだから、と思ってはみたものの、やっぱり辛かったし、そんなことは、なんの慰めにもなりはしなかった。
そのとき、野次馬根性でつき従ってくる、群衆のなかにいた女が、何か叫んでいるのを耳にした。
「ばかな男だね、盗むならもっとましなものを盗めばいいものを!」
カチンときて、俺は目を開けて、声のした方に首をひねって言いかえした。
「だったら何を盗めばよかったって言うんだ」
声のした辺りに目を向け、俺はそれらしい女を探した。
「たとえば……たとえばだね……」
俺と同い年くらいに見えた女は、しばらく口ごもっていた。
「好きな女の心とか、そういうものを盗めばよかったんだよ!」
懐かしい響きだった。女は俺と同じように「J」が発音できない喋り方だったんだ。
「そうだな、今度生まれてくるときは、必ずそうするさ。今度生まれて来れるとしたらな……」
女は誰かに似ていた。だけど、もうそんなものは見たくなくて、俺はまた目を閉じた。なぜって、その女の顔は故郷と、俺と同じように「J」が発音できないマッヂを思い出させたからだ。それはただ、心中にあった悲壮感を一層深め、俺はここでたった一人、誰にも知られることなく死んでゆくのか、という気持ちを強めさせるだけだったからだ。
こんなことになるなら、たとえ断られるのが分かっていても、マッヂに気持ちを伝えておけばよかったと、心底自分を情けなく思ったとき、俺の頬に涙がつたい落ちた。
「なんで泣くのよ。あなた男の子でしょ。少しくらいあたしに馬鹿にされたからって、泣くことないじゃない」
耳の底で、まだ子どもだった頃のマッヂが言った。
クソ女め! こんなときまでお前は俺に勇敢であれと言うのかと、腹が立った。だけどあの時のマッヂは、そのあと何か言ったんだ。
「あのね、お父さんとお母さんが言ってたの、そういう風に。男の子は人前で泣くもんじゃないって。まして女の子の前で泣くなんてもってのほかだって。でもあたし違うと思うんだ。男の子だって泣きたいときってあるでしょ」
「だったらどうしろっていうんだ」
俺は涙声で聞きかえしたはずだ。
「これあげる」
マッヂは自分のかぶっていた、毛糸の赤い帽子を照れくさそうに、差し出した。
「でもね、大人のいう事は間違ってないかもしれない。だから、泣きそうになったら、その帽子で顔を覆ってバレないようにすればいいのよ」
俺は黙ってその帽子を受けとって、涙を拭った。
そんなことを思い出したからか、俺の胸に勇気が湧きあがったんだ。最期くらい泣きべそをかかないで、笑って死んでやるさ、と。だけど、その為にはあの赤い帽子がいると思ったんだ。
そうこうしているうちに、俺は断頭台の前に座らされていた。
「最期に言い残したいことはあるか?」
執行人が俺を見下ろしながら言った。
「言いたいことは山ほどあるし、やりたいことも山ほどある、それに頼みたいこともあるんだ――」
「見苦しいぞ。最期に適えられるのは、言いたいこと、やりたいこと、頼みたいことのうちのどれか一つだ」
「なら逃がしてくれ」
「それは駄目だ」
「嘘つき!」
「確かに私は、頼みを一つ聞いてやるとはいったが、それを叶えてやるとは言っていないぞ」
「屁理屈だ! それなら俺が酒蔵に置き忘れてきた、赤い帽子をかぶって死なせてくれ」
執行人は傍らにいた男を呼んで、俺の頼みをそいつに言い伝えた。
「少し待っていろ。いま帽子を取りにいかせたから」
そのあいだ、俺はイエス様のことを考えていた。
あのイエス様だって、十字架の上で心が揺れたんだ。はじめは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか」と嘆き、つぎに「父よ、私の霊を御手に委ねます」と叫び、最期の最期に「成しとげられた」と言ったんだ。そう思えたとき、俺の心は雲一つない大空のように、晴れ晴れとして勇気凛々になった。
そのとき、男が帽子を手にして戻ってくるのが見えた。そして、俺はその帽子を執行人にかぶせられた。
「もう一度聞く。最期に言い残したいことはあるか?」
俺は顔をあげた。目の前には処刑の見物に集まり、固唾を飲んで見つめている群衆がいた。思い出のなかのマッヂ、イエス様、そして赤い帽子をかぶった俺には、もう何も恐いものはなかった。そして、一つ演説でもぶってやろうと決めたんだ。
「俺の両親は、俺をとても大切に育ててくれたし、両親はいつも優しくしてくれた。俺の友だちも、みんないい奴ばかりだったし、そいつらも俺を大事にして優しくしてくれた――」
そこまで言ったとき、俺は全身に異様な力が漲ってくるのを感じた。縄なんて簡単に引き千切れるくらいに力が漲ってくるのを感じたんだ。そして、不思議なことに、俺の口から勝手に言葉が流れ出したんだ。
「のこぎり草とヘンルーダ……」
すると、俺は本当に縄を引き千切って、打ち上げ花火のように、天空へとすっ飛びあがったんだ。それで、運よく飛んでいた鴎の背に着地すると、俺はまっしぐらに故郷の町を目指したんだ。