好きについての考察
ふと、『好き』ってなんだろうと思った。あまり知らない人のことを好きになった時のことを思い出す。
どういう基準で『好き』になっているのかわからない。徐々にというわけでもなく、ある日、好きな人を問われたらその人の名前が出てくるようになる。あるいは、顔が浮かぶようになる。
そこまで来たら、失恋までは早いものだ。熱狂的で情熱的な妄想を膨らませ、自分の好意を表現したくなる。そのくせ、本人を目の前にしたら、緊張と震えで、あんなに見たいと思っていた顔は直視出来ないし、話そうとしていた内容も脳内から姿を消す。失恋した後は、このことが不思議に思えるほど冷静になる。
とまぁ、そんなこんなで気持ちを抑えられずに爆発したら失恋する。まぁ、爆発しなくても、ガス欠で熱が冷めることもあるが。
恋は人を狂わせるというのは当たっていると思う。恋は盲目なんてのもそうだ。今まで意識していなかった人を目で追うようになるのだから、ストーカーになったと言っても過言ではないし、美少女が目の前にいてもなんとも思わないだろう。
失恋した時は、辛くて、悔しくて、情けなくなる。後悔や苛立ちが毎秒襲いかかり、自分を保てなくなる。その現実から逃げるように、次の好きな人を探し、また狂う。
恋が実ったことがあるというやつがいるのならば、そいつらに聞きたい。それは、本当に両想いであったのかと。
失恋を終え、寂しさと後悔に苛まれている時、誰かに手を差し伸べられたら、手を取ってしまうのではないだろうか。周囲の人たちに嫉妬してはいないだろうか。簡単に言うと、流されてはいないだろうか。
この世界、縮図として言えば、学校や職場で両想いになる人なんてほぼいない。両想いだったなんてロマンチックなことは、確率的に低い。クラスで両想いなんて考えたら相当なものだ。
では、何が言いたいのかというと、人は人を好きになろうとして好きになるのではないだろうか。仲良くして、相手を知る過程を通して本当の『好き』を知ることができるのではないだろうか。だから、あの人のことを知りたいと思えば、それが『好き』と勘違いしているのではないだろうか。
非常に回りくどい構造をしていると思うが、相手に興味を持ち、近づいて知ろうとし、知って初めて『好き』かどうか判断する。理由は後付けというのも頷ける。
なんともめんどくさい。でも、この手順を踏まなくても生まれる恋もあるだろうが、だいたいはこれで当たっていると思う。
なんて『好き』についての考察を並べたのは、本当の『好き』をまだ知らない私でした。