第5話
いやメイの両親だけじゃない。そこには次々と人が集まってきていた。
「なぜここに」
「わからない。ただ、ここに来なければならない気がしてね。今はもう理由さえ思い出せないが」
「……まさか」
その面子にヒロミは思い至る。あの時、ショッピングモールで人質になっていた者達だ。ツバキの言が確かなら彼等には暗示に掛かっていてもおかしくない。それを用いて呼び出されたのか。しかし、今の様子を見るに、本当にただ呼ばれただけに思えた。
そういえばアイコは時間を気にしていた。もしかすると、あの時を再現しようとしていたのかもしれない。だとすると、彼等に与えられている命令がまだここへ集まる事だけだったのは幸運としか言いようがない。
ヒロミはメイの両親へと背を向けた。もう行かなくてはならない。
「待ちなさい。……少しだけ、待ってはくれないだろうか」
ヒロミはゆっくりと振り返った。ヒロミには彼等に合わせる顔がない。いや違う。合わせたくない。何を言われるのか、どんな罵倒を投げかけられるのか。それが恐ろしくてたまらない。
恐怖で思わず瞳を閉じ、
「……すまなかった」「……ごめんなさい」
「え?」
彼等の謝罪にヒロミは思わず声を漏らした。なぜ、彼等が謝るのだろうか。ヒロミには全くわからなかった。
「不思議なものだ。当時あれだけ君の事が憎かったのに、今は……穏やかな気持ちで君と向き合えている。全く恨みや怒りがないとは言えないが、それでも君を責める事はできないと頭だけでなく心で理解できている」
「本当にごめんなさい。あの時の私達はどうかしていた。あの子が死んで、わけがわからなくなって」
「……いえ」
ヒロミには返すべき言葉がなかった。
両者の間に沈黙が流れる。
「こんな事を言うと、笑われてしまうかもしれないがね……私達はあの子に会ったんだよ」
「え?」
「メイに、会ったんだ」
「そんな、アイツはもう……」
「わかっているわ。それでも私達はそう感じたの。あの子が死んで、それで部屋を片付けていた時に、家族写真を見つけて、それで……二人でそれを見ていたらね、声が聞こえたの。貴方を責めないであげて、って」
「妻だけでない、私もまたそんな声を聞いた気がしたんだ。それで気付いた。君は、メイが酷い目に遭う事から救う為に、勇気を振り絞って立ち向かってくれた。なのに、なぜ私達はそんな君を責めていたのか、とね」
「……まさ、か」
ヒロミは可能性に思い当たる。あの時、アイコはわざわざメイの両親へと接近していった。彼女は元より異彩な行動ばかりを取っていたから気にも留めていなかったが、もしあの隙に何らかが行われていたとすれば。
そう、例えば。メイの両親に、ヒロミへの恨みを抱かせるような暗示を掛けたのだとしたら。それは、つまり。
「……あ、あぁ、あぁあああ」
ヒロミは身体が震えた。全てが赦されたような気がした。俺がやった事は間違っていなかった。そう言われた気がした。
「ヒロミ君、その腕時計を見せてはくれないか」
メイの父に腕時計を渡す。彼は「少しだけ待ってくれ」と言うと手に持っていた鞄からいくつかの道具を取り出した。彼の仕事道具だ。
「この人ったら、家族写真とこれだけは絶対に持って行くって言ってね……」
メイの母が避難時の様子を語る。メイの父はその間にも慎重に、しかし手早く腕時計を分解していく。裏蓋を外し、分解していく。
「流石、頑丈な……良い時計だ」
どこか誇らしげに彼は呟いた。そしていくつかのパーツを取り替えるとすぐにまた組み立て直す。あっという間だった。ほんの5分ほどの出来事。
すぐにでもヒロミは感染者を駆逐しに行かなければならないはず。なのに、不思議と声を挟む事ができなかった。
「確かめてくれ」
「……はい」
ヒロミはゼンマイを巻いた。キリキリと音が鳴る。そして、カチっと針が震えた。時が、動き出す。
「中はほとんど無事だったよ。文字盤の替えは流石にないから、完全に直す事はできないが。街が落ち着いたら、その時にはきちんと」
「いえ。これが良いんです。このままで」
「……そうか」
ヒロミは割れたその表面を撫ぜた。自然と涙が溢れた。
『――ヒロミ』
「……メイ?」
声が、聞こえた気がした。その瞬間、ヒロミは束の間の夢を見た。
* * *
10年前の災害。それが起きた後、街は急速に変わっていった。街の交通が封鎖され、あちこちの国が介入してくるようになり。そして、ヒロミは街内の親戚へと引き取られた。ヒロミ達はお互いにほとんど初対面だった。
ヒロミ達は当然のようにうまくいかなかった。当時のヒロミはただの抜け殻で、言葉すら話せなかった。人の形をしただけの抜け殻だった。
そんな時だ、メイに出会ったのは。どこかの公園。どんな理由でそこに行ったのかも覚えてない。ただ、彼女が何を言ったのかだけははっきりと覚えている。
「アンタなまえは? ふーん、ダッサイなまえ!」
多分その時だったと思う。ヒロミが人生で初めて喧嘩したのは。
苗字も変わってしまった。遺品は返ってこなかった。家や思い出は焼けた。ヒロミに残っていたのは唯一、両親に付けてもらった名前だけだった。それをバカにされた。まるで今まで閉じ込めていた感情の栓が抜けたみたいに、今まで溜まっていた全部が一気に噴き出したみたいに、本気で怒った。
災害以降で、初めて感情が動いた。
二人は思い切り喧嘩をした。というかヒロミは一方的にメイにボコボコにされた。当時のヒロミは拳の握り方すら知らず、メイは非常にやんちゃだった。ヒロミはわんわんと泣いた。でも、泣きながらも彼女に立ち向かい続けた。
どれだけボコボコにされても、何度転がされても、ヒロミはメイへと掴みかかった。やがて喧嘩を聞きつけたお互いの保護者がやってきて、頭を下げあった。ヒロミは酷く、親戚に怒られた。メイも同じように保護者の男女に怒られていた。
彼女の怒られる姿を見て、それが本当の彼女の両親だと気付いた。彼女は両親とも生き残ったのだという事を知った。多分、だからだろう。余計に彼女に負けたくないと思ったのは。
それから二人は毎日のように公園で顔を合わせるようになった。というかメイが我が道を行くのを、ヒロミが泣きじゃくりながら後をついていっただけなのだけれど。負けたくないという思いだけで。
でも意外というかなんというか、メイは面倒見が良かった。まるで弟……舎弟? ができたみたいに、次第にヒロミの世話を焼くようになっていった。
メイは強かった。心も身体も。時に年上の子供にすら立ち向かって行き、小さな子を守っていた。もしかすると、ヒロミにとってメイはヒーローだったのかもしれない。
恥ずかしくてそんな事、死んでも口にできないが。もうメイがこの世にいなくても、決して。
そして、いつしか二人は中学生になって、同じ学校に進学して。そして、街を覆うように塔が建てられた頃。あの決定的な出来事が起きた。
――誘拐事件。
メイが誘拐された。それもヒロミの目の前で。
ヒロミは必死に追いかけた。辿り着いた廃倉庫に転がされたメイは、まるでいつもの強気が嘘見たいに身体を震わせ、怯え、泣いていた。誘拐犯の手がメイへと伸びた。
「やめろおおおおおっ!」
ヒロミは飛び出していた。
「なんだこのガキっ! 追ってきてたのかッ!」
そして一方的にボコボコにされた。大の大人に、まだまだ身長も低いヒロミが叶うはずもなかった。警察にはもう連絡していたし、あとは任せればよかったのかもしれない。でも、今飛び出さなければ、メイが酷い目に遭うと思った。
「クソッ、とっとと始末してやる」
誘拐犯はナイフを取り出し、ヒロミに突きつけた。恐怖で喉が引き攣った。しかし、二人の間に小さな影が割り込んだ。
「アタシならなんでも言う事聞くから……だから、ヒロミを殺さないで。お願い……お願いします……」
メイが土下座して誘拐犯に懇願していた。
誘拐犯が馬鹿みたいに笑った。その耳障りな声をよく覚えている。それから、遠くでサイレンの音が聞こえた。まるで自暴自棄になったみたいに誘拐犯はメイへと覆いかぶさり、その服を破いた。
メイがヒロミに大丈夫だよ、とでもいう風に強張った笑みを浮かべた。ぐにゃりとヒロミの視界が歪んだ。
――ぼくが弱いからだ。
ヒロミはいつしかあの日にいた。檻の向こうで、ヒロミの両親が暴れている。ヒロミは助けが来るのを、ヒーローが来るのを待っている。だが、違う。違った。ヒロミがするべきはそんな事ではなかった。
――力が、欲しい。
記憶の時が更に遡っていく。それは隕石が落下した瞬間にまで至る。眩い閃光が視界を染め、衝撃波がヒロミの身体を打つ。そして閃光の向こうから瓦礫の破片が飛んでくる。
――誰かが、じゃない。ぼくがメイを守るんだ。
そう、あの時。飛んできた瓦礫は全てヒロミを避けるかのように後方へと飛び退っていった。いや、違う。ヒロミが自分の意思で、全ての瓦礫を避けたのだ。ヒロミには全部見えていた。
「……おい」
ヒロミは短く声を掛けた。
「あァ!? じゃますんじゃ――ぶべっ!?」
ヒロミは誘拐犯を蹴り飛ばしていた。
「テメェッ! こうなりゃお前も殺してやるッ!」
誘拐犯がナイフを振るう。1回、2回、3回。その全てを躱す。誘拐犯も違和感を覚え始める。当たらない。掠りもしない。ヒロミには誘拐犯の動きがまるでスローモーションのように見えていた。
「ヒロミ……?」
何度振っても当たらない。やがて誘拐犯は痺れを切らしたようで、大振りにナイフをヒロミへと突き出した。それがわかっていたかのようにヒロミは前へと踏み出し、拳を突き出した。思ったよりも軽い反動だけを残し、すこーんと誘拐犯の顎を打ち抜いた。
まるで糸の切れた人形みたいに誘拐犯が床に崩れ落ちる。ヒロミはメイの元まで歩み寄り、そこでガクリと膝から崩れ落ちた。今更、恐怖で膝が笑っていた。それでも精一杯の笑みを浮かべて言う。
「メイちゃん、もう大丈夫だよ」
メイはぽかんとしてから、なにそのカオ、と笑った。笑ってから、ヒロミにしがみ付いて泣いた。ヒロミは少しでもメイを安心させようとした。
「ぼ……お、俺がいるから……だから、め、メイちゃ……メイ、もう安心だぞ。もう大丈夫だぞ!」
「……ひっく、ひっく……な、なによそれぇ」
「俺は強いからな! メイを守れるくらい」
サイレンがすぐ側にあった。警官達の無線や足音が聞こえて来る。
メイはずびびっと鼻を啜った。
「……ふふっ、俺だって。ナマイキ。でも、今日は本当に――」
そして、メイは言ったのだ。
ヒロミの人生を大きく変える、その一言を。
「――ヒロミはヒーローだよ」
それから二人は大きく変わり、そして……。
* * *
「――ミ君、ヒロミ君……!」
「……大丈夫、です」
ヒロミは釘付けになるように見ていた腕時計から顔を上げた。心配そうにメイの両親がこちらを見ている。
「メイに、会いました」
「……そうか。あの子はなんと言っていた?」
「俺の事を、ヒーローだって」
ヒロミは穏やかな気分だった。さっきまでの焦りは消えていた。自分のするべき事がはっきりと見えていた。
「俺、やらなきゃいけない事があるんです」
「そうか」
「だから俺、行ってきます」
「あぁ、行ってきなさい」「いってらっしゃい」
ヒロミは彼等に背を向けて歩き出す。やがて早歩きとなり、そして全力疾走へと変わる。彼等がヒロミを引き止める事はなかった。そして、ヒロミが辿り着いたのは。
* * *
「おいおい、こいつぁまさかまさかの驚きだぁ! なーんでネットでも話題急上昇中の全身タイツマンがここにいるんだぁあ!?」
街で唯一のテレビ局。そこにはこの街一番といってもいい知名度を持つオーバーリアクンションなコメンテーターの男と、それから局員達がいた。街がこんな状況になっても避難せず、情報を発信し続けていた彼等に、ヒロミはただ一言告げた。
「アンタ達の力を借りたい」
コメンテーターの男は当然のようにオーケーした。




