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第4話

「……どうして、ですか」


 ツバキが愕然とした様子で呟く。ヒロミが振り下ろしたナイフは、アイコの頭……のすぐ側に突き立っていた。


「お兄ちゃん、どうしてアイコを殺さないの?」


「お前こそどうして指を鳴らさない?」


 ヒロミとアイコがお互いを見合う。それから彼女は「あーあぁ」とボヤいた。


「つまんないつまんないつまんないッ! お兄ちゃんには一番の絶望をあげるハズだったのにッ……!」


 プルルルルとツバキから預かりっぱなしだった携帯端末が震えた。相手はシュウだった。


『倉谷さん! 感染者達が一斉に活動を再開したようで……!』


「わかった」


 アイコが今、感染者達に指示を出したわけではない。最初から時限式の命令が下されていたのだ。そして、一度下された命令は絶対というならば……アイコを殺せば、命令を解錠する方法はなくなっていた。他でもないヒロミの手によって。


 ヒロミはツバキと街の両方を失う所だったのだ。いや、それだけじゃない。ヒロミはもう一つ壊すところだった。他でもない、自身のヒーロー像を。


「倉谷ヒロミさん……どうした、わかったのですか? 私が既に操られていたと」


「お前は、俺と同じだ。ヒーローに憧れた同類だからな、わかるんだよ。絶対に自分のヒーロー像を曲げたりしない。お前は、ヒーローに相手を殺させようなんてしない」


「そう、ですか。ありがとう、ありがとうございます……!」


 ツバキは感極まったように崩れ落ち、涙を流した。既に彼女へ与えられていた命令は済んだのだろう。それは彼女自身の涙に思えた。

 おそらく彼女は、帰宅した時点で既に完全な洗脳にかかっていた。苦しむ姿も全て演技。ヒロミだけを上手くショッピングモールへと誘き出す為の。スタンガンへ細工したのも彼女だ。


「嘘吐きはどっちだ。お前は、感染者を止めると言っただろうが」


「えぇー、違うよ? アイコ嘘なんて吐いてないよ。だってお兄ちゃんがズルしようとしなかったら、ちゃんと再び暴れださないようお願いするつもりだったもん。だから、これはお兄ちゃんがアイコを殺そうとした……悪い事をしようとした正当な罰なの」


 アイコは笑った。


「それで、この街の皆お兄ちゃんの所為で死んじゃうの!」


「……申し訳ありません、倉谷ヒロミさん。私の所為です」


 ツバキが絶望した様子で言葉を漏らす。さっきのこそ演技だったが、自身の命を対価に街を守るというのは真に彼女の願いだったのだろう。

 ヒロミは深く息を吐いた。


「ツバキ。お前は目を瞑っていろ」


「何を」


「俺がこいつに言う事を聞かせる。感染者を止めさせる。罰を与える」


「ふふっ、お兄ちゃん。アイコをどうしようっていうの?」


 ヒロミはアイコを殴りつけた。バキッと音が鳴る。


「あはっ、あはっ。お兄ちゃんアイコの事が好きなの? ママやおねーちゃんと一緒だっ! でもごめんね、アイコはお兄ちゃんの事大っ嫌いなの」


「俺はお前を好きとも嫌いとも思わない。お前はただの悪だ。そして俺はただのヒーローとして、悪を潰す」


 ヒロミが拳を振り上げる。その顔面に叩きつける。アイコが呻き、鼻から血が噴き出す。殴る、殴る、殴る。歯が折れ、肉が削げ、骨が露出する。痛みに悶える彼女を転がし、腕を捻りあげる。そのまま限界を超え、ボキンと鈍い音が鳴る。

 アイコの絶叫が轟く。


「ひっ……!」


 思わず、といった様子でツバキが目を逸らす。ツバキはヒロミの断罪を見るのは初めてのはずだ。これまでずっと、それはカメラの外側で行われてきた。データの改変には痕跡が残る可能性がある――シュウが見つけたように。そのリスクを減らす為の措置。


 だからこれまでツバキは口頭でしかヒロミの行った事を知らなかったはずだ。


「目を瞑っていろと言っただろう」


「そんな、こんな……」


「聞くのと見るのでは違うか。だが、お前だって報告は聞いていたはずだ。これが俺のやり方だ。これが罰だ。お前に見せてこなかった真実だ」


「でも、これは……ヒーローのやり方では」


「いいや、これがヒーローだ。だがお前の言うヒーローじゃない。俺の思うヒーローだ。俺とお前じゃヒーロー像が違う」


「だとしても、こんな……!」


 ヒロミは話している間も手を休めることはない。徹底的にアイコへと拷問を続ける。


「お願い……やめて。私は、違う。こんな事をしたかったわけじゃ。貴方にこんな事をさせたかったわけじゃないッ……! 私はこんなことを、望んでない!」


「そうだ、お前は何もしてない。だから最初から言っていただろう。これは全て俺が個人で為していることだ」


「っ……! 貴方は、まさか……だからずっと」


  アイコが痛みに絶叫する。


「全ての感染者を止めろ。さもなくばお前に死ぬよりも辛い苦しみを永遠に与えてやる」


「あ、あはっ……絶対に止めない、よ? だって、約束は絶対だから。罰は必要なん、だよ……。お兄ちゃんは悪い子なの。だから絶対、アイコが……ぜーんぶ壊してあげるッ!」


「そうか」


 ヒロミは彼女の指を握る。


「何、するつもり……? やめて、ママに何するの! 今すぐその手を離して! ママ! ママぁああああ!」


「今すぐ感染者を止めろ。これは最後通告だ」


「……あ、あはは。無理だよ、そんなの。だって約束だもん」


「そうか。ヒロミは握っていたナイフを振り下ろした。鮮血が舞った。アイコの絶叫が響いた」


 ぽとりと、真っ赤に塗れた芋虫が一匹転がった。


「ママ……、ママ、嫌……嫌だぁ……ママぁああああああああああッ!」


「すぐに感染者を止めろ。でなければ、最後の一本も切り落とす」


「……いっ、ぽん? 何、言ってるの……、この人殺し! アイコから家族を奪わないで! アイコを独りにしないで!」


「感染者を止めろ」


「嫌……! パパ、パパ……! パパを殺さないで……お願い、お願い……!」


「倉谷ヒロミさん! これ以上は、もう……!」


「ヒーローは決して……躊躇わないッ! 感染者を止めろ! 止めろぉおおおおおッ!」


「嫌……、嫌ぁああああああああああッ!」


 ヒロミはナイフを振り被る。アイコが叫ぶ。しかし感染者を止めようとしない。ヒロミもまた吠えた。ナイフを振り下ろした。

 アイコの最後の一本が手から離れて、転がった。アイコがショックのあまりかガクガクと痙攣し始める。うわごとのように家族を呼び続けている。ヒロミはアイコに告げた。


「感染者を、止めろ……! 今ならまだ指を繋ぎあわせる事だって、不可能じゃないはずだ。今すぐに従えば治療を手配してやる。今すぐ感染者を止めろぉおおおッ!」


 アイコは何も映さぬ瞳をヒロミへと向け、それからに「あはっ」と笑った。


「駄目だよぉ、お兄ちゃん。アイコは絶対にお兄ちゃんから全部を奪うの」


「お前、一体どこまでッ……!」


「アイコはね、お兄ちゃんが何をしても、アイコを殺しても、絶対にお友達へのお願いを取り消したりなんかしない。みーんな、みんな! お兄ちゃんは全部を殺すの! 街も、そしてお姉ちゃんも、絶対にね」


 そしてアイコが呟く。


「殺せ」


「――ツバキちゃぁあああああん!」


 気付いたのはアキカズだけだった。彼がどんっとツバキを突き飛ばす。そして銃声が遅れて聞こえた。彼の胸から鮮血が舞った。どたん、と鈍い音を鳴らしてその巨体が倒れる。


「……どうして」


「ワシ、は」


 振り返る。暗闇に覆面が潜んでいた。


「どうして、私を庇ったりなどしたのですか。もうわかっているでしょう? 私はただ貴方を利用してきただけだと」


「だと、しても……ワシは、ツバキちゃん、を」


 アキカズの身体から力が抜けていく。彼は良い人間ではなかった、決して。そもそもが未成年であったツバキを買うような男だ。だが、それでも。彼女を愛しているという言葉だけは本当だったのかもしれなかった。


「……ちっ」


 舌打ちが聞こえた。覆面が二射目を放とうとしていた。


「クソがあぁあああああッ!」


 ヒロミは力一杯ナイフを投げつけた。それはまるで、最初からそこへ辿り着く事が決められていたかのように覆面の手を切り裂いた。

 銃が転がり、ガシャンと音を立てる。覆面は這々の体で逃げ出していく。


「アイコ、お前ぇええッ!」


「罰は、絶対なの」


「しまっ――」


 覆面に対処した瞬間、ほんの一時だがアイコから注意が逸れた。そのわずかな隙に彼女は無事な方の手を伸ばしていた。その指が、パチンっと音を鳴らしていた。ヒロミが彼女を全力で殴りつける。既に満身創痍だったらしく、それで彼女は意識を失った。

 だが、遅かった。


「申し訳ありません、倉谷ヒロミさん」


 ツバキが自身の手で自身の首を締め上げていた。ミシミシと音が鳴る。自分の首を絞めて窒息死なんてまずできない。だが、頚椎が破損すれば別だ。死に至る。きっと彼女にはその知識があったのだろう。だから、自然とそんな行動を選択した。


「クソッ……!」


 ヒロミはツバキに組み付き、腕を引き剥がす。凄まじい力だった。首締めが叶わないと知れば、次は何をするかわかったものではなかった。が、彼女は暴れるだけでそれ以上の事は何もしなかった。舌を噛み切ったりしないのは、それで死ぬ事はまずないと知っているからだろう。


 知っているからしようとして、知っているからしない。首締めとは逆。

 やがて脱出は不可能と諦めたのか、一旦ツバキは落ち着いた。


「……倉谷ヒロミさん、離してください。私はもう駄目でしょう。少しでも隙があれば自殺しようとします。自分でわかるのです。ならば、余計に永らえさせる意味はありません。私に構ってなどいないで、行ってください」


「断る」


「倉谷ヒロミさん、貴方にはやるべき事があるでしょう!? 貴方が行く事で助かる命は多いです。今も、命が消えていっているのですよ!? 貴方は、貴方の言う通り私の理想のヒーローではありませんでした……でも、私の最後のお願いくらい聞いてください! せめて一人でも多くの人を救ってください!」


「お前は、諦めるつもりか」


「違います。ここで終わりだというだけです」


「いいや、お前は生きるんだ」


 ヒロミは彼女を転がすと、その手を拘束した。


「ま、待ってください! なんのつもりですか! こんな事をしても私は、永遠に自殺しようとし続けるだけです! そんな人生にどんな意味があるというのですか!」


「戦え。戦い続けるんだ。生きる事を諦めるな」


「貴方はやはりヒーローなんかではありません! 悪魔です! どうして、私の願いを叶えてくれないの! どうして……!」


「……お前に一つ、ずっと言いたかった事がある」


 ヒロミはツバキに告げた。


「――ツバキ、お前はもう立派なヒーローだよ」


 ツバキは呆然とヒロミを見上げていた。そこへ複数の足音。


「倉谷さん! それにツバキちゃん!? どうして……」


 シュウを始めとしたツバキの部下達が駆けつけていた。シュウは随分と本気で彼等を説得してくれたらしい。その中の一人である大男は、覆面を拘束して引きずっていた。先ほどアキカズを撃ち、逃げた者だろう。覆面の手には切り傷があった。


「振衣、絶対にこいつの拘束を解くな。奴に自殺するよう暗示を掛けられてる。それから、奴も永遠に眠らせ続けろ。ツバキにはそういうツテもあるはずだう。俺にはこれから、行くところがある」


「倉谷さんは、一体どこへ……?」


「俺はヒーローだ。悪を裁きに行く以外、何があると言うんだ」


「倉谷さん、アンタまさか」


「待って……待ちなさい! 倉谷ヒロミさん……ヒロミぃいいいいいい!」


 拘束されたまま暴れ、ヒロミを引き留めようとするツバキ。彼女にヒロミは背を向けた。


「俺はもう行く。……じゃあな」


 ヒロミは言ってその場を後にした。しかし作戦も何もない。どうするべきなのか、もうヒロミにはわからなかった。わからない、何が正解なのかもうわからなかった。ただ、悪は倒さねばならぬ。そんな思いだけがあった。

 そうヒロミはショッピングモールを駆け抜け、そこで思わぬ遭遇を果たす。


「誰だ!」


 鋭い声。ヒロミは身構える。視線を向けたそこには、傍にいる女性を庇うようにして立つ男性の姿があった。予想外だったのは、それがヒロミのよく知る人物だった事。ヒロミはすぐその場を立ち去ろうとして、しかし彼に気付かれてしまう。


「その腕時計……まさか」


「っ……!」


「やはり、ヒロミ君。だね?」


「そう、なの……!?」


 メイの両親が、そこにいた。

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