第3話
「……メイ」
辿り着いたショッピングモールを見上げ、思わず呟く。ここはヒロミにとっての鬼門だ。動悸が激しくなる。気を抜くとあの光景がフラッシュバックしそうだった。マスクの位置を調整して、それを誤魔化す。
「大丈夫ですか」
「それはお前の事だろう」
「私は問題ありません。……ふぅ」
ツバキが一呼吸置く。背筋が伸び、堂々と前を向く。ヒロミにはもうそれが、彼女の平時と見分けがつかない。先ほどまで浮かべていた汗さえ消えている。手の怪我もカーディガンを押さえるフリをして上手く隠していた。
「行きましょう」
「あぁ」
二人でショッピングモールの中へと足を進める。人の気配はない。ただあちこちに荒らされた形跡があった。感染者や、火事場泥棒。あるいは純粋に物資を求めてきた人々による仕業だろう。それが余計に、あの時と被る。
カツンカツンと足音が響く。そろそろ吹き抜けの広場に出る。彼女がいるとすれば、きっとそこだ。直感的にヒロミはそう思った。あそこは彼女にとっても因縁の場所なのだから。彼女からすれば、ヒロミに姉と赤子を殺された場所なのだから。
一気に視界が開ける。アイコは当然のようにそこにいた。少しだけ目を瞬かせ、それから「あはっ」と笑った。
「いらっしゃいお兄ちゃん。でも、困ったなぁ。思ったよりお兄ちゃん、早く来ちゃった。……んー、まぁいっか」
アイコは「それで」とヒロミに問う。
「どちらを選ぶか決めたんだね」
「倉谷ヒロミさんは街を救う事を選びました」
「お姉ちゃんには聞いてないんだけど、まぁいっか。それでここに連れてきてくれたんだ。お姉ちゃん、良い子だね」
「いえ」
「でもお兄ちゃん。てことは良いんだよね? お姉ちゃんが死んじゃって」
「はい」
「だから、お姉ちゃんには聞いてないってば。でもま、それじゃあ約束通りお姉ちゃんには死んでもらうね」
言って指を鳴らそうとして、ヒロミは慌てて叫んだ。
「……待てっ! 待ってくれ。これは、どういう事だ」
ヒロミは話の流れに戸惑う。ちょっと待て、と。このままではただツバキが死んでしまう。作戦があるんじゃなかったのか。そうツバキに問いただす意味で放った言葉だったが、アイコが自分に問われたのだと勘違いした。
「……あれ? 言ってなかったけ?」
アイコが「んー」と額に指を当てて考えてから、「よし」と口を開いた。
「ちゃんと聞いててね、お兄ちゃん。今、お兄ちゃんには二つの選択肢があるの。お姉ちゃんを殺して街の皆を生かすか、街の皆を殺してお姉ちゃんを生かすか。つまり――」
アイコが指を鳴らした。途端、ツバキはフラフラとアイコの元へと歩いていく。それから当然のように彼女からナイフを受けとった。そして、それを自身の首へと突き付けた。
「こういう事」
「ぅぐっ……!」
ツバキが思わずといった風に呻く。ヒロミにはそれが演技なのか判別がつかない。もしかしてツバキは既に、暗示にかかっているのではないか? だとすれば、このままでは。
アイコの隙を窺う。それに勘付いているように彼女は言う。
「例えアイコの動きを封じたって、意識を奪ったって、どこか遠くに閉じ込めたって……殺したって、無駄だよ。そういうのじゃないから。アイコのお願いはね、永遠なの。絶対なの。お兄ちゃんはどちらかを必ず殺すんだよ」
「……まさ、か」
ヒロミはそれを聞いて、ハッとする。気付いたのだ。ツバキの狙いに。もしかしてツバキは、自分の死を前提として作戦を組み立てていたのではないのか? 彼女が言っていた作戦とは、どうツバキと街を救うかではなく、どう確実に街を救うかだったのではないか?
「待てっ……。少し、待ってくれ……!」
「お兄ちゃん、時間はないよ?」
ぐぐっとツバキの喉にナイフの切っ先が入り込む。真紅の血玉が浮かび上がり、そして真っ白な喉を伝って落ちる。ヒロミは額を押さえた。
もし、ツバキやアイコの言う事が事実なら、どうした所でアイコの暗示が発動してしまう。この場でツバキの意識を刈り取った所で、ツバキは目覚める度に自殺を繰り返すだろう。死ぬまで、永遠に。
いや、暗示にだって時効があるかもしれない。解く方法だって見つかるかもしれない。だからここはツバキの作戦通り街を確実に救い、そしてツバキの命は可能性に掛けるべき。
……本当にそれが正解なのか?
「違和感の正体は、これか」
ツバキの作戦を素直に受け入れられなかった理由。それでいて放っておくわけにもいかないという、嫌な予感。その答えがおそらくこれだったのだろう。
さらにツバキの喉にナイフが突き刺さる。このままでは彼女が死んでしまう。可能性さえ残さず。
答えが出ない。加速した思考でも永遠と答えが出ない。答えなどないと言わんばかりに。
「じゃあね、お姉ちゃん」
そんなヒロミの不断を嘲笑うかのようにアイコが笑い、
「ま、待てっ! 待ってくれぇええええッ!」
「……? おじさん、誰?」
それに待てを掛けたのは、ヒロミでもツバキでもアイコでもなかった。どたどたと、転げるようにしてツバキとアイコの間に割り込んだのは、アキカズだった。酷い汗を流し、荒い息を吐いている。ヒロミ達を走って追いかけてきたのだろうか?
彼はアイコを責め立てる。
「は、話が違うじゃないか!? なぜ、ツバキちゃんが死ぬなんて事になるんだっ!?」
「話……? どういう事だ」
「それ、は……」
ヒロミの視線にアキカズが狼狽える。
アイコはアキカズの事など覚えていないとばかりに首を傾げ、それから一拍遅れて「あぁ!」と声を出した。
「あっ、おじさん! おじさんだ! ありがとうね、おじさん。アイコの為にお兄ちゃんの情報をくれて!」
「……まさか」
ヒロミが愕然とアキカズを見る。まさか、ヒロミの情報をアイコへ売ったのは彼だったのか。お前の所為か。お前の所為でツバキは攫われ、洗脳を受ける事になったのかッ!
「……何が、悪い。ワシはどんな手を使ってでもツバキちゃんを助ける。お前のような外道の手から救い出す! 彼女を生かす為なら、なんだってやる! 悪魔とだって取引するさ……!」
そんな事の為に。たかが嫉妬と思い込みで、彼はアイコに情報を……。
そこで、いや、とヒロミは気付く。彼が望んだからといってアイコと取引できるわけじゃない。アイコは防犯カメラシステムや警察ですら後を終えていなかったのだから。
だから逆だ。これはきっと順序が逆なのだ。アイコはショッピングモールの時点で既にカメラの監視網を熟知していた。あの時点で既にアキカズとアイコは繋がっていたのだ。
彼が……社のトップこそが他ならぬ裏切り者だったというわけだ。そして、おそらく。街の外へ出る為の賄賂には、少なからずアイコ達が強盗で手にいれた金が含まれているはずだ。全く、ふざけている。こんな風に回っているのか、と世の中に嫌気が差す。
「アイコ殿……約束はその男を排除する事だろう! なぜ、ツバキちゃんが危険な目に遭うんだ! これでは、全く逆だ!」
「何言ってるのおじさん? アイコ、ちゃんと約束守ったじゃない。約束通り、ちゃあんとその子とお兄ちゃんを引き離してあげたよ?」
「違う、そうではない! あれは、ツバキちゃんを誘拐しろなんて意味ではない!」
「もう約束は果たしたからあとはアイコの自由だよね? それともおじさん、悪い子なの? おじさんもアイコ達の邪魔するの? ……ちょっと、パパ! ママ! そんなに怒らないで! もうっ、おじさんの所為で、アイコまで怒られちゃったじゃない。敵討ちの邪魔しないでよ!」
アイコは、自身の手を見ながら膨れっ面で言った。
ツバキはアキカズをジッと見ていた。
「……そうだったの、ですね」
「違う、違うんだツバキちゃん。ワシはただ、ツバキちゃんを守る為に……。ワシと共に生き延びて欲しかっただけなんだ。このような男の為に、ツバキちゃんまでもが危険を冒す必要がどこにある? ツバキちゃん、キミはこの男に騙されているんだ!」
ツバキはアキカズの弁明を聞き、それからスッと視線を外した。もう、彼に興味も、価値もないと言わんばかりに。アキカズの顔は絶望に染まり、そして膝から崩れ落ちた。それを無視して、ツバキはヒロミとアイコへ言葉を発する。
「倉谷ヒロミさん、構いません。彼女を討ってください。ですが、――真野アイコさん」
「マノ? マノってだぁれ? アイコわかんないよ。それアイコじゃないよ。そんな名前、知らないよ」
アイコは無表情になってツバキに言う。ツバキはそれを無視して続ける。
「貴方は良い子でしょう? なら、約束は守るべきです。貴方は言いましたよね。私の命か、あるいは街か、と。ならば、彼が街を選んだならば、感染者達を止めなさい。貴方のお友達とやらを全員大人しくさせなさい」
「うーん……そうだね、いいよお姉ちゃん。約束は守らなきゃね! だってアイコは良い子だもん!」
言って、アイコは指を鳴らした。ツバキがヒロミに目配せをしてくる。ヒロミはシュウに連絡を取る。
『倉谷さんですか!? 実は……』
「感染者の動きが止まったか?」
『倉谷さんの方も!? まだ途中ですが今の所、確認の取れた場所全てで感染者の動きが――』
「そうか」
通話を切る。
「そんな事しなくたって、アイコ嘘吐かないよ? じゃあ今度こそ。約束だからお姉ちゃんには死んでもらうね。ばいばい」
「待っ――」
ヒロミが制止を掛けるよりも早く、パチンと音が鳴った。ツバキの手に力が籠もる。ツバキの目が意を決したようにヒロミを見る。後は頼みました、と言わんばかりに。
「ぅあああぁあああああああ!」
叫んだのはアキカズだった。彼がツバキのタックルし、押し倒す。ナイフがカランカランと転がった。ヒロミは彼が飛び出す予兆が見えた時点で、既に動き出していた。
「約束、破るの?」
ギョロリとアイコが無表情でヒロミを見た。アイコは指と指を合わせる。だがそれよりも早く、スタンガンを彼女の首へと押し当てる。やるしか、ない。ツバキはひとまず死なない。街も守れる。これが最善手のはずだ。
――ツバキ、お前を救う方法は必ず見つける。
しかし、そんなズルを……両方を救おうとしたヒロミを嘲笑うみたいに、カチっと音がなった。
「……は?」
スタンガンが起動しなかった。
「お兄ちゃん、これは罰だよ」
アイコの指が合わさる。もしこの指が鳴らされれば、街の感染者が動き出す。そうなれば、もうチャンスは二度と来ないかもしれない。ツバキが命を掛けてヒロミへ託した事が、無駄になる。
「倉谷ヒロミさんッ!」
ツバキの叫び。ヒロミはハッとする。
「ナイフをッ……!」
ヒロミのすぐ側にナイフが転がっていた。
「どうか街を、守ってッ!」
ここでアイコを止めなければ街が終わる。何の為に彼女はここまでした。アイコを殺すしかない。殺すべきだ。それが正解だろうッ!?
「ぁあああああああああッ!」
ヒロミは雄叫びを上げ、ナイフを振り下ろした。鈍い手応えを掌に感じた。
シンと広場に静寂が訪れた。




