第2話
……あ、危ねぇ。あやうくエタるとこやった(汗
「ツバキッ!」
ヒロミがツバキの執務室の扉を押し開ける。室内はシンと静まり返っていた。
「すいません、倉谷さん。やられました……」
部屋に入ってきたのはシュウだった。彼は苦い顔をしていた。責任を感じているらしい。そのこめかみにはガーゼが当てられている。それが赤く滲んでいた。
「いや、お前の所為じゃないだろう。俺が、甘かった」
「そんな! それこそ、倉谷さんの所為じゃないっスよ!? 倉谷さんとウチの会社に……ツバキちゃんに繋がりがある事を敵は知ってたんっス。クソッ! 一体、どこから情報が」
「あたりは付いているのか」
「……調査中っス」
「アイツがどこに連れ去られたかは?」
「それも、調査中っス。……いや、こっちに関しては足取りや痕跡すら追えてないっス。相手はこっちの監視網を完全に把握してるっスね」
シュウは「ただ、」と続けた。
「内部犯、だと思うっス」
「同感だな」
元々何者かが潜んでいたのか、あるいは寝返ったのかはわからない。だが、この情報漏洩の仕方は間違いなく内側からのもの。
「それから倉谷さん、他の塔への襲撃に関してですが、外国の部隊が籠城戦を始めたようです。この調子だなら数日は保つはずです。だから、倉谷さんは当分の間、出撃を控えてください」
「そういうわけには、いかない」
保つ、といった通りそれはジリ貧だ。これ以上の応援はまず望めないだろう。この街では。
「もし行くってんなら、ジブンが倉谷さんを止めるっス」
カチャっと音がした。ヒロミが顔を上げると、そこにはこちらに折りたたみナイフを構えるシュウの姿があった。
「敵の話、聞いてたっスよね。もし倉谷さんが邪魔をすれば、ツバキちゃんの命はないって」
「俺、は」
ヒロミは捻り出すかのように声を出す。
「ヒーローは……ヒーローは、敵の交渉に応じたりはしない。しちゃいけない。敵と交渉した時点で、それはもう嘘だ。そいつはヒーローじゃない。ヒーローは容赦してはいけない。ヒーローは情けを持ってはいけない。ヒーローは非道であらねばならない。俺は、ヒーローだ……ヒーローなんだ」
それを聞いてシュウは息を吐いた。
「じゃあ、行くんっスね……? ツバキちゃんを殺して、自分の正義を優先するんっスね」
「俺は正義じゃ、ない。ただヒーローとして正しい事をする。それ、だけだ」
「……そうっスか」
「これが、正しいんだ」
ヒロミはゆっくりと足を踏み出した。そして、シュウの横を抜けようとした時「ツバキちゃんは」とシュウが口を開いた。ヒロミは足を止めた。
「倉谷さんが研究所で負傷して戻ってきてから5日間、ずっと倉谷さんの側にいたっスよ。ずっと看病してたっス。真っ先にすっ飛んで助けに向かったのも彼女っスよ」
「何が、言いたい」
「いや、ただそれだけっスよ。それで、倉谷さん救助の指揮を執る為にあの社長との約束をすっぽかす事になって、今までしてきた事が全部バレても、一切、倉谷さんを責める事もなかったっスよ」
それが原因で社長との仲が険悪になったのはわかった。だが。
「だから、何だっていうんだッ!」
「だから、ただそれだけっスよ。ツバキちゃんは、自分の全てを掛けてきた事が台無しになる可能性も顧みず、倉谷さんを優先したっス」
「それ、は……それは、アイツの目的に俺が必要なだけだ」
「じゃあ、倉谷さんにはツバキちゃんが必要ないんスか?」
「俺は」
「倉谷さん、アンタが自分で自分を止められないってんなら、ジブンが止めてやるっスよ」
「何を」
パァン、と音が鳴った。ガクンと足から力が抜け、倒れこむ。脇腹に熱。どくん、どくん、と血流の流れを強く意識させられる。真っ赤な血が溢れ出していた。
見上げれば、シュウの上着に焼け焦げたような穴が一つ出来ている。ナイフを握っていたのとは逆の手をポケットから出す。そこには銃が握られていた。上手く視線をナイフに誘導された。
「おま、え」
ヒロミの体感時間は常に最速になっているわけではない。特に、会話をする時は。時間を引き延ばしすぎると相手の言葉を理解できなくなる。そして敵の攻撃にそもそも気付けなければ、ヒロミは一般人と同じ反応速度しか持たない。
ヒロミの能力を、よく理解している。
「少し、眠ってて貰います。その間にジブン達が全力でツバキちゃんを探します。倉谷さんにとっても……これが一番いい選択のはずっス」
ヒロミの意識はそのまま薄れていく。遠くでシュウが医者を呼んでいる。その声を最後に、意識が完全に途切れた。
* * *
「――ッ!」
ヒロミは飛び起きる。と同時に呻いた。脇腹の痛み。脂汗を浮かべながら立ち上がる。点滴を引っこ抜く。どれだけ寝ていた。真っ先に日時を確認する。経過したのは1日と半分。
テレビを点ける。街の惨状は当然、悪化していた。だが、まだ塔は一つも破壊されていないようだった。感染者達の攻勢が少しばかり穏やかになっているそうだ。
「……そうか」
それで一旦、息を吐く。それからすぐに部屋を後にした。携帯端末が見当たらない。止むを得ず、ツバキの執務室へと向かう。シュウのいる可能性がある場所を、ヒロミはそこ以外知らなかった。
ノックもせずに扉を押し開ける。
「振衣ッ! よくもッ……!」
そう、叫び。
「目を覚まされましたか、倉谷ヒロミさん」
「……な、ぜ」
そこには当然のような顔をしてツバキが立っていた。
「少し待ってください」
彼女は電話中だったらしくそちらを優先する。それから2、3言話して電話を切った。彼女はヒロミに向き合う。
「時間がありません。倉谷ヒロミさん、端的に報告します」
ヒロミが問いかける間もなく、彼女は口を開く。
「まず最初に、アイコと呼ばれている少女に関して幾らかの情報を掴みました。彼女の家族は全員、自殺しています。それも3人が同時に。彼女の兄だけはその数日前に事故死しているようですが」
「どこからそんな情報を」
「彼女自身の口から聞きました。ここに戻ってから調べさせた所、該当が一件ありました。一家心中のようです。ただ、その中で一人だけ行方不明になっています。その子の名前は――真野アイコ。まだ幼い時分に……あの10年前の災害で両親を失い、真野家に引き取られていたようです。現状を見るに……一家心中も彼女が引き起こした可能性があります」
「待ってくれ、話についていけない」
ツバキは「そんな時間はありません」と畳み掛けてくる。
「問題はこれからの対処です。彼女の興味は倉谷ヒロミさんにあります。この事件の全ては倉谷ヒロミさんへの罰です。倉谷ヒロミさんの為に用意されたゲームです。全て倉谷ヒロミさんが悪……」
そこまで行ってツバキは自らの口を押さえた。それから執務机に駆け寄ると、片手をバンっと机に叩きつけた。そしてもう片方の手でペンを掴み、振り上げ……。
「何を」
「〜〜〜〜ッ!」
ヒロミが手を伸ばすも間に合わない。彼女の手からぽたぽたと血が溢れ出す。彼女は荒い息を吐きながらヒロミに向き合った。
「時間が、ないのです。私はもう、敵の能力を受けています。彼女は私が完全に能力に掛かりきったと思い解放したようです。……それ自体は演技でしたが、実際、段々と正常でいられなくなってきています」
「そんな、まさか」
「事実です。それに関してもわかった事があります。おそらく彼女の能力が発動する条件は、会話か、あるいは声を聞かせる事。それも一定以上の時間、期間……おそらくは1日ほど。彼女は何故か私を拘束した後、延々と私に話しかけ続けていましたから。加えて、それとは別に感染者に命令も下せるようです。これに関しては、距離や条件関係なく」
ツバキは「もっとも、彼女が私に話しかけていたのがただのきまぐれである可能性も否定できませんが」と続けた。
「今、部下達や警察に連絡をして私が拘束されていた場所の付近を洗ってもらっています。時間はまだそう立っていません。彼女は見つかるはずで……違う、そこじゃない。そうじゃありません。彼女がいるのは……彼女がいるのは、そう。ショッピングモール! ショッピグモールです!」
「おい、しっかりしろ!」
「大丈夫、です。まだ、私は私です。彼女がいるのはショッピングモールです。彼女は一斉攻撃を仕掛けるつもりです。もしかしたら今すぐにでも……」
ツバキは自分の意識を保とうとしているのか、血まみれの手を執務机に叩きつけた。痛みに呻きながら彼女は言う。
「今すぐにショッピングモールへ、行かないと……」
「……わかった」
「待ってください」
すぐに出ようとしたヒロミを、彼女が呼び止める。
「私も、連れて行ってください」
「足手纏いだ」
「いえ、私の力が必要になるはずです。私にもできる事があります。私が洗脳されたと相手が思い込んでいる、今だからこそ」
ツバキは言う。
「私が、彼女を誘導します。この事件を止めるには彼女の力が必要なのです。彼女は今、感染者を操り暴動を引き起こしています。ですが、逆にいえば彼女は感染者を止める事も可能だという事です。私が、そうするよう彼女を言い包めます。幸い、彼女はそこまで頭が良いわけではないようですしね」
「お前」
「倉谷ヒロミさん、貴方は私が彼女に感染者を止めさせたタイミングで、彼女の意識を奪ってください。それが唯一、この事件を解決できる方法でしょう」
ヒロミは迷う。果たしてこの選択は正しいのか。
「どうか急いでください。時間がもう、あまりないんです」
「……わかった」
ヒロミは真っ直ぐに見上げてくる彼女の視線に押されるように頷いた。
「それから、倉谷ヒロミさん。スタンガンのバッテリーや拘束具、コーヒーを。これが最後の戦いになります。万全の準備をして挑んでください」
すぐに準備を始める。
だがツバキには余裕がない。彼女は今も戦っている。ヒロミは彼女から携帯端末を受け取る。彼女の代わりに、彼女の補佐役へと連絡する。が、繋がらない。順番に掛けていき、ようやく繋がったのはシュウだった。
「ようやく繋がったか。シュウ、ツバキからの伝言だ。他のみんなにも伝えてくれ、連絡が付かない。今捜索している場所はダミーだ。ショッピングモールへ向かえ」
『それは、できないっス』
「なぜだ」
『ツバキちゃんが言ったんっスよ。間も無く自分は洗脳に掛かるから、今後、自分からの命令変更、追加の指示は聞くなって。ウチの先輩等はそれ守って連絡切ってるっス』
クソっ、ツバキめ。頭が回りすぎるのも考えものだ。
『それに、ショッピングモールの方は倉谷さんが行ってくれるんっスよね? だったら、それこそ分担すべきだと思うっス』
確かにその通りだ。だが。
なんとか説得する方法ないか。そう思考する。沈黙が両者の間で流れる。先に口を開いたのはシュウの方だった。
『ただ、ですけど。先輩等にショッピングモールへも人員を割けないか掛け合うくらいはジブンにもできるっス』
「っ! 助かる……!」
『あくまで掛け合うだけっスよ? それに、これでもジブンが一番、倉谷さんとの付き合い多いっスから。だから、倉谷さんがツバキちゃんの言葉を信じた理由があるんだと思うんスよ』
信じた理由……。
シュウは『早い方が良いと思うんで、今から掛け合ってきます』と言い、通信が切れた。ヒロミ達ももう行かなければならない。
「行くぞ。……おい、しっかりしろ!」
「……ぇ? あぁ、そうですか。もう準備が終わったのですね。向かいましょう。なるべく早く」
「本当に大丈夫なのか?」
「問題ありません。少なくとも彼女の前では、完璧に演じきってみせますから。その分、今は少しでも気力を温存させてください」
ヒロミは頷き、ツバキに肩を貸しながら移動を始めた。全く堅牢なシステムである事に、このような災害時でも自動運転タクシーは機能していた。ヒロミは呼んだそれへと彼女と共に乗り込み、廃墟然とした街を進んだ。




