第1話
ヒロミは重い足を引き摺るようにして、ツバキの執務室に戻ってきていた。
「倉谷ヒロミさん、お疲れ様です。ひとまず休んでください」
「いや……また、すぐに出る」
「いえ、そうではありません。貴方の活躍のおかげでひとまず救助が必要な場所はなくなったのです。本当にお疲れ様でした。今のうちに身体を休めてください」
「……そう、か」
ガクリ、とヒロミは崩れ落ちた。
「まさか貴方一人で、あれだけの感染者に対処できるとは思っていませんでした。もしかして、何かありましたか?」
「……いや」
「そうですか。……あ、そうそう。街でも随分と貴方の話が出回っているようですよ」
ヒロミはツバキの肩を借りながらソファに座った。
「コーヒー飲みますか?」
「いや、もう飲んだ」
「そういえば、それも噂になっていますね」
ツバキはヒロミの噂について語った。
曰く、彼はヒーローである。目の前にいた感染者を撃退した。感染者が消えたと思ったら、次の瞬間、感染者が地面に倒れていた。一瞬すぎて何が起きたのかわからなかった。あれはまさしく異常な怪物と超人との戦いだった。
曰く、否、彼はヴィランである。火事場強盗に襲われたところを助けてもらった事は感謝している。が、彼は目の前で拷問を始めた。相手は家族強盗だった。彼等の――子供の腕すらをも、容赦なくへし折っていた。しかも拷問した後にそれを肴にしてコーヒー飲んでいた。
「くだらない」
「ですが、良い意味で捉えてくれている人の方が多いです。……いえ、望まれている、と言った方が正しいかもしれません。今この街からは法と秩序が失われつつあります。封鎖が解かれ、街の外へ退避が許可される見込みも今の所一切ありません。……希望が必要なのですよ」
「俺が希望? 冗談でもやめてくれ」
「冗談ではありませんよ。ただ、コスチュームの色はもう少し派手でも良かったですね。当初はこんなに大々的に人前で活躍する予定ではありませんでしたから。闇に潜みやすい色にしたのは失敗でした」
「今でも十分派手だ。全身タイツってだけでな」
「タイツではなくスーツと呼んでください」
「似たようなもんだ」
「違います」
「お前は相変わらず、言葉に拘る」
「言葉は力ですよ。言葉が貴方をヒーローにもヴィランにもします。そして貴方が望めば、その服は希望のシンボルになるのです」
うんざりだ、という風にヒロミは顔を背けた。と、ノックノック。念の為、と重い身体を持ち上げて隠れようとしたヒロミを、ツバキが押しとどめた。
「隠れなくていいのか?」
ツバキは「いいのです」と首を振った。という事は彼女の賛同者か。ヒロミは身体をソファに再び沈め、そして硬直した。
扉を開け、姿を表したその人物は。
「ツバキちゃん、まだこんな所にいたのか……!」
小春アキカズその人だった。この会社の社長であり、そして……ツバキの操り人形。しかし彼にも意志がないわけではない。それも悪い意味で。彼は警察や権力者に阿る事を是とした人間だ。それゆえ、ツバキは彼からヒロミの事をずっと匿っていた。そのはずだ。
「ツバキちゃん、一緒に行こう。既に算段は付けた。ワシと共にこの街を出よう。その為の金は用意でき
た。今ならまだ間に合う。この街はもうダメだ」
「なっ……いきなり、何を」
「いきなり、ではない。わかっているだろう? ワシ等は選ばれた人間だ。街のゴミ共とは違う。生きねばならぬ。そして二人で子を育もう。会社もワシ等がいるなら立ち直せる。天才たるこの小春アキカズと、幸運の女神たるツバキちゃんがいれば」
アキカズが強引にツバキに迫る。彼女を強く抱き締め、連れ出そうとする。
「嫌……離してっ!」
「……な、なぜだ!?」
ツバキがアキカズを突き飛ばす。アキカズは愕然とした様子でツバキを見る。
「ワシを愛しているとあれだけ言っていたではないか。ワシさえいればそれでいい、ツバキちゃんだってそうだろう? 何がいけないと……」
話している途中で、彼がようやくヒロミに気付く。その目がヒロミを向いた瞬間、その形相が豹変した。憎悪、嫉妬、憤怒。それらがない混ぜになり、歪む。
「貴様、かぁ……やはり、貴様の所為か。貴様がワシのツバキちゃんを狂わせたのかぁあああああああッ!」
アキカズがヒロミに掴みかかろうとする。しかしツバキが立ち塞がった。
「やめて! ……お願い、アキカズおじさん」
「なっ、なっ……ツバキちゃん、どうしてだ。何故、そうまでそんな小僧を庇う? まさか、違うだろう? 愛しているのはこのワシだろう? このワシの方が大事だろう? その小僧を、なんて事はまさかないだろう……?」
「私が、彼を?」
ツバキはヒロミを振り返らなかった。だから、ヒロミには彼女がどんな表情をしたのかがわからない。しかし彼女に向き合っていたアキカズの顔は見えていた。彼の顔から表情が抜け落ちていた。全くの無表情になった彼は、だらりと掴みかからんとしていた腕を下ろした。
ふらふらと出入り口へと歩いていく。そして立ち去る間際、振り返った。
「そんな気がしていたのだ。やはり、ワシの考えは間違っていなかった。ツバキちゃんはワシが必ず助ける。救い出さなければ……」
扉が閉まる。部屋に二人きりになる。
「おい、どうなっている。アイツと何があった」
「問題ありません。これはいずれ決着を付けなければならない事でしたから。巻き込んでしまった事には、謝罪しますが」
「答えになってない」
続けて問いただそうとヒロミが口を開き、それよりも先にツバキの携帯端末が鳴った。電話に出てほんの10秒。話を聞いた彼女はすぐさまパソコンに飛びついた。
「A地区で感染者に動きがあったようです。ヒーローの出番です」
「そうか」
聞きたい事はあった。が、そんな事で出撃を遅らせるわけにはいかない。それで助からない命が出てくるかもしれないのだから。
ヒロミはすぐさま立ち上がる。部屋を出る直前に「待ってください」と背中に声を掛けられる。振り返ると、目の前に何かが飛んできていた。反射的にキャッチする。
「それ、持って行ってください」
「……あぁ、貰っておく」
缶コーヒーだった。ヒロミはそれをポーチへと仕舞い、今度こそ部屋を後にした。
* * *
「こちらA地区! 応援を頼む! 応援を!」
「……くそッ! また消えた! どこだ! どこへ行った!?」
「ぎゃぁあああああ! こっちだ! なんで、いつの間にこんな近くに……!」
地獄絵図。武装した部隊が必死に感染者へ隊列を組んで対処していたが、それはすぐに崩れ去った。何せ、感染者は彼等の視界から消えるのだ。一瞬で真横に立っている。隊列も、狙いも、あったものではない。そもそも銃弾が当たらない。
乱戦になりますます部隊の不利へと傾いていく。目の前でもう何度目かもわからぬ、敵の消失。気が付けば目の前にいる。
――ここまで、か。
彼が思った、その時。目の前で感染者が吹き飛んだ。
そこに立っていたのは、全身タイツの男だった。彼が突然に横跳びし、地面を転がる。直後に、そこに感染者が現れる。あと一瞬動くのが遅ければ、男は感染者の餌食になっていたはずだ。
「彼には見えているのか、奴等の動きが。……そうか、彼が」
その男の登場により部隊は統率を取り戻す。徐々に隊列を組み直していき、やがて感染者を撃退する事に成功する。
「ありがとう、助かっ――ぐぅッ!?」
礼を述べようとした彼の首が、男に締め上げられる。周囲の仲間が一斉に男へと銃を向ける。男は構わず、彼へ問うた。
「なぜ、お前等はここにいる」
「……ここを守るのが我々の任務だからだ」
「ふざけるなッ!」
彼は地面に叩きつけられる。痛みに呻きながら見上げる。至近からこちらを見下ろす男の目は、真っ赤に染まっていた。
「人が、死んでるんだぞ……! なのに、なんで……なんでお前等は人じゃなくてこんな塔を守ってやがるんだッ!」
「……それが、我々の任務だからだ」
男の拳が、彼の頬に叩きつけられた。
「隊長ッ!」
「やめろ! 彼の言っている事は正しい。……だが、我々にそれをしている暇はない。許してくれとは言わない。だが我々は、我々の同胞を守る為に最善を尽くさねばならない」
男は――ヒロミは隊長と呼ばれたその部隊員を見下ろしていた。クリアブルーの瞳が真っ直ぐにヒロミを見返していた。
ゴォォと音が響く。ここはA地区。塔の1本に最も近い、街の外縁部だ。
この街は一度死んだ。10年前の災害で。それから、多数の国から援助を受ける事で試験都市として再生された。それから、ここはリスクのある新技術を試す為に活用されるようになった。自動運転、防犯カメラ、医療についてもそうだ。それらと引き換えに、復興の為の金を得た。
ここは檻の中で、中にいるヒロミ達はモルモットだ。
様々な国がこの街を遠慮なく実験に使う。この街にいる人間はその須くがエイリエナ病の潜在的な感染者だ。元より、この街は滅ぶ運命にあったのだ。それを救ってやっているのが彼等だ。そして、いざという時は躊躇いなく切り捨てる事ができる。
いや寧ろ、滅ぼす事を願う人間の方が多いかもしれない。もしこの街の人間が外へと雪崩れ出た場合、その時に起きるパンデミックは10年前の比ではないかもしれないのだから。
「我々は何よりも、この街から人を出さない事を優先しなければならない」
「…………」
ヒロミにだって塔を守る事の重要性がわからないわけではない。しかし、わかるからと言って納得できるわけではない。ヒロミは突き飛ばすようにその部隊員から手を離した。
空を見上げる。ゴォォと塔が……いや、巨大な空気清浄機の動作音が鳴っている。
エイリエナ病には2種類の感染経路がある。
一つは空気感染。これによる発症率は1割程度。残りの9割には何も起きない。といっても感染自体はしている。表面的に症状はないだけだ。
そしてもう1つは血液感染。これは無事だった9割にも危険性がある。エイリエナ菌が短時間に多量、身体へ侵入する事で発症する。
この街が閉じられている限り、これ以上前者が起こる事はない。しかし、塔が破壊され街の人が外へ雪崩れ出したなら、外にいる人間の1割が死ぬのだ。
おそらく彼等――部隊員は外から来た人間だろう。中でも、エイリエナ菌に耐性があると診断された人間。彼等が守るべき人々は檻の外にいるのだ。この中ではなく。だから、こんなに冷徹になれる。街の皆が死ぬ事を冷静に見ていられる。
「……クソッ、……クソがァアアアアッ!」
ヒロミは叫んだ。それを部隊員はただ見ていた。
ザザッと、部隊員の所持していたトランシーバにノイズ。通信だ。報告を聞いた部隊員が「聞いてのとおりだ」と全員へ指示を出した。
「すぐに我々も応援に向かう」
「……何かあったのか?」
ヒロミは問うた。部隊員は一瞬だけ躊躇い、それから答えた。
「全ての塔が、ここと同じように感染者の襲撃を受け始めたそうだ。このままでは、この街は――滅ぼされる」
「……この街が?」
「あぁ、そうだ」
彼は街の外ではなく、この街がと言った。
「隊長、その事は……!」
「いや、いい。彼もまた我々と志を同じくする者だ。それに、彼に助けられた恩もある。彼は知っておくべきだ」
「……わかりました」
彼はヒロミに向き合い、そして告げる。
「もし塔が破壊されるような事があれば、最終手段の実行が予定されている。――この街を爆撃し、手遅れになる前に全てを焼き尽くす」
「なん、だそれ……」
「我々も戦っているのだ。この街を守る為に。……この街にも我々の同胞はいるのでね」
そして彼等は去っていった。
ヒロミはすぐさまツバキへと連絡を取る。
『倉谷ヒロミさん、感染者への対処は――』
「聞け」
ヒロミはツバキの言葉を遮り、部隊員から得た情報を伝えた。ツバキは思い当たる事があったのか「まさか、本当に」と呟き黙り込んでしまう。ヒロミにも想像がついた。おそらくはアキカズから聞いたのだ。彼はそれを知っていたから、あれだけ必死に街から逃げようとしていたのだろう。
「呆然としている時間はない。他の塔にも感染者が襲撃を仕掛けているらしい」
『それは、こちらでも確認しています』
「この事件を裏で手引きしてるのはヤツだ。本来ならありえない事だが、感染者をコントロールしていると見ていい。俺はヤツを叩き、感染者を」
その時、だった。電話の向こうで異変。
『――なッ、なぜ、貴方がここ』
「おい、どうした。……何があった!?」
叫ぶも、返ってくるのは物音だけ。明らかな異常事態だった。やがて物音が止み、静かになる。そして、
『あー、もしもしお兄ちゃん? 元気?』
最悪の人物の声が、そこから聞こえた。




