第5話
「最初は、ただアイコのお友達を増やす為だったんだけど、でも……お友達だったらアイコのお願いを聞いてくれるのは当然だよね。だから、みーんなでアイコの敵をやっつける事にしたの!」
職員は執拗にヒロミだけを狙い続ける。おかしい、エイリエナ病に感染した者は周囲の人間を無差別に襲うはずだ。にも関わらず、アイコ達は何故か攻撃を受けていない。
「じゃあね、お兄ちゃん。まだまだ……まだまだまだ、お兄ちゃんへの罰は終わらないからね」
アイコは悠然とヒロミ達の側を通り過ぎて出口の方へと歩いていく。ヒロミはそれを追いかけようとするが、職員に組みつかれて動けない。
「おい、待て……待てぇえええええッ!」
尋常ではない腕力を発揮する職員をなんとか引き剝がし、彼女等を追いかける。しかし、鉄扉は既に閉まろうとしていた。僅かな隙間から、アイコの笑みが見えた。
「ばいばい」
その言葉を残して完全に鉄扉が閉じる。完全な密閉が施され、部屋の空気が震えた。
「クソッ! 待て……!」
すぐに扉を開けて追いかけようとする。が、そんなヒロミの背後から職員が飛びかかってくる。ヒロミは止むを得ず、職員の対処に回る。職員は腕力こそ高いが、ヒロミの敵ではなかった。隙さえ突かれなければ、決して負傷させられるような相手ではない。
そのはずだ、が。目の前にいたはずの職員が消える。
「ッ……! またッ!」
気付けばすぐ眼前にいる。なんとか回避が間に合い、不格好ながら床を転がり躱す。あの時と同じだ。連続殺人犯を相手にしていた時と。
やはり今回現れたエイリエナ病の感染者は、10年前に現れた彼等とは違う。何かがおかしい。
ヒロミは近くにあった防護服を腕に巻きつけると、そのまま怪物へと向かって駆けた。怪物が組みついてくる。それをあえて受ける。身体が凄まじい力で壁へと叩きつけられる。
「かっ……はッ!?」
想像以上の威力に肺から息が溢れる。職員が噛みつかんと口を大きく開ける。だがそれはチャンスでもあった。怪物の開かれた口に腕を突っ込む。防護服に職員の歯が食い込む。
「ぎっ……この、クソがぁああああッ!」
首元にスタンガンを押し当て、スイッチを押し込む。バチバチと音が鳴り、怪物が動きを止める。まるで獣に対する対処だった。いや、相手はもはや獣そのものだった。
少なくとも、相手をする事に慣れてきているのは事実だった。
「くっ……」
立ち上がろうとして、ガクリと膝を着いた。激しい痛みが脇腹に。あまりの痛みに動くことすらままならない。折れたのか? と粘っこい汗を浮かべながら思う。
なんにせよ、すぐにここから出てアイコ達を追いかけねばならない。痛みを押して立ち上がり、
「――?」
ヒロミは振り返った。遅かった。身体が薙ぎ払われる。何メートルもの距離を吹き飛び、壁に激突する。痛みと衝撃で視界が明滅した。床に伏したまま顔を上げると、そこには尋常ではない様子の男達が立っていた。ぞろぞろと、通路の方からこちらへと歩いてくる。
どうやら、外周の通路部分に潜んでいたらしい。全員が白衣をその身に纏っている事から、ここの職員である事がわかった。ようするに彼等もまた、被害者。
視界から彼等が消える。ヒロミは全力で床を蹴った。すぐ背後で破砕音。職員達が、自分の腕が折れる程の強さで地面や壁を殴りつけていた。
「……逃げ、られない」
いや、扉を開けてここから逃げる事は彼等を全員倒すよりもずっと楽だろう。だが、それではいけない。彼等を外に放っては、それこそ再びパンデミックが起きてしまう。
「あいつ等……あいつ等ぁああああああッ!」
エイリエナ病患者が常人に戻れる可能性は、ゼロパーセント。発症に至ってしまえば、もう彼等が我を取り戻す事はない。エイリエナ菌は神経繊維を辿る事で頭蓋底を通り抜ける。そして脳に寄生する。
死後、解剖された感染者の脳は悲惨なものだった。
つまりここにいる職員はもう、死んでいるのだ。アイコ達によって既に殺されているのだ。いや、職員だけじゃない。既に何人も実験と称して街に放たれている。ヒロミがここ数日で対応した2人もそうだ。彼等もまた、既に助かる事はない。
「あぁああああああああッ!」
ヒロミは怒りと、そして悲しみを吐き出すかのように叫び、職員へと飛び掛かった。
* * *
『もしもし、倉谷ヒロミさん!? やっと繋がった……。今まで何をしていたのですか!』
「……アイツはどこへ行った」
携帯端末の電源を入れると同時に、着信。
ヒロミはズルズルと壁に凭れるようにして歩きながら、問うた。視界が霞んでいる。見れば壁には血の跡が延々と続いていた。もう身体中が痛くて、どこを怪我しているのかいないのかもわからない。
『こちらでも監視していましたが、見失いました。彼等はカメラの位置をよく把握しているのか、検索にも引っかからず』
「……どっちだ」
『え?』
「方角くらいはわかる、だろ」
『追う気ですか? 今からではとても』
「いいから答えろ! アイツ等はどこへ行っ……ぐっ、ぅ」
叫ぼうとして、痛みで崩れ落ちた。
『倉谷ヒロミさん……あなた、まさか。状況を教えてください! 無事なのですか!?』
「追わない、と……アイツ等、を」
『倉谷ヒロミさん!』
それでもヒロミは止まらない。這ってでも前へと進む。
「はや、く……方角、は」
『振衣! 早く彼の回収と治療を! 場所は――』
「アイツ等は、どこ、だ……」
ヒロミはそのまま意識を失った――。
* * *
ヒロミが目を覚ますとそこは日本パブリックカメラの社内にある自室だった。身体のあちこちに治療の痕が見える。酷い熱を覚えた。意識が朦朧とし、喉がカラカラに乾いている。それでも、
「ぅ、ぐ……」
身体にムチ打って立ち上がろうとして、床に転がり落ちる。点滴スタンドが倒れガランガランと音を立てた。這って外へと出ようとしていたヒロミの前で、扉が開く。驚きの目でツバキがこちらを見下ろしていた。
「何をしているんですか!? 何本も骨が折れてるんですよ!? まだ安静にしてないと!」
「アイツ、を……」
「ダメです。安静にしていてください!」
「邪魔をするな! 今すぐ、アイツを追わないと街が……!」
ツバキは困ったような笑みを浮かべて、それから首を振った。
「倉谷ヒロミさん、もうあれから5日が経過しているんです」
「……なん、だと」
「それに、既に警察も自衛隊も本格的に動いて、対処に回っています」
「警察や自衛隊が……? おい、どういう事だ。街は今、どうなっている!?」
ツバキはヒロミの言葉を無視して言う。
「今は休んでください」
「答えろッ! 街は今、どうなってるんだ!?」
「…………」
何も答えないツバキに痺れを切らし、ヒロミは部屋のテーブルに縋り付くようにして這い上がった。テレビのリモコンを引きずり落とす。ツバキがヒロミを支えようと腕を伸ばしてくる。それを払いのけ、テレビを点けた。
そこには街の悲惨な様子が映っていた。
航空映像だった。徘徊する狂った街人。逃げ隠れる人々。避難誘導する警官。街は荒れ果て、壊れ、散乱していた。それはまさしく、10年前の再来だった。
「……そん、な」
「倉谷ヒロミさん、もう貴方一人でどうにかなる状況は終わったのです。私達は――失敗したのです」
ツバキの言葉は、静かな部屋に驚くほど響いて聞こえた。




