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第3話


「……私は、……私は」


 酷い顔をしたスーツの男が、ブツブツと言葉を吐き出している。その男がはっとしたように振り返った。宵闇に紛れるようにして、いつの間にか影がそこに立っていた。


「貴方、は……そうか、貴方が」


 男は何か得心したとでもいう風に笑みを浮かべた。影はその様子を見て首を傾げる。


「いえ、随分と有名な方にお会いできたので、思わず……すいません」


「そうか。なら俺が来た理由もわかるな」


「えぇ、えぇ……わかります、わかりますとも。貴方は私を裁く為、ここに来てくださったんですよね?」


「随分と余裕だな。それとももう、罪の意識や恐怖心は忘れたか」


「恐怖……そうですね、恐怖はもう、感じなくなってしまったかもしれません。でも、罪の意識がないというのは違う……私は、私は。ずっとずっと罪の意識で押しつぶされ続けて! 気が狂いそうだったッ!」


 男が発狂したように叫び出す。


「私は、違う……私は、違うんだ。あんなこと、望んでいたわけじゃない。なのに、なのにですよ? なぜか急に、そうしなければならない気がして、気付けば……。おかしいんです、殺した女の子達は、みんな、私の大切な娘だったんです。お金と身体だけ、心のない関係だったかも知れません……それでも彼女達の事を、私は愛していた。その、はずなのに……」


「懺悔か。今更だな……3人も殺しておいて、出る台詞がそれか」


 影が男の襟首を掴み、締め上げる。


「……そうですね。どうか私に罰を……。あぁ、あぁ……私には貴方が神に見える」


「ふざけるなッ」


 吐き捨て、地面に男を転がす。影は頭を押さえていた。何かがおかしい、とでも考えているかのように。一方、投げ捨てられた男は絶望に染まったような顔で影に縋り付いた。


「お願いします、どうか私に罰を……お願いします……私はもう、どうしていいかわからない。私には自殺する資格もない。罪を告白する資格もない。会社に逆らえない……」


「会社に脅されて殺したのか」


「違います。私が、私の意志で殺した。そのはずなんです……」


「ならなぜそんな曖昧な言い方をする」


「わからない、わからないんです……。あの時は、どうしてもそれが必要な事に思えた。でも何度考えても、なぜ必要だったかがわからないんです」


「なら何故だッ!」


「わかりませんッ……。本当に、わからないんです……。でも私はもう、この罪の重さに耐え切れない。どうか、私を救ってください。私に罰を与えてください……」


 影は困惑していた。この男は既に罪を自覚している。この男に罰は本当に必要なのか?


「……まるでツギハギだ」


 動機と犯行と環境と、全てがバラバラ。なのに一つの事件としてここにある。影は思い出す。前回起きた事件――伊達という名の男による、暴行事件。あれと同じ。何かが変だ。まるで……。

 そこまで考えた時だった。


「貴方だけが私の救いなんです。あの人が言った通りだった。ここに来れば、貴方が私を裁きに来てくれると。どうか、私に、罰……を……っ、ぐぅ……!?」


「おい、どうした。あの人とは誰だ」


 男が頭を抱えて苦しみだす。ブチブチと髪を引き千切る。一緒に頭部の肉も剥がれたらしく、指に絡まった髪の毛の先に赤い塊が垂れていた。尋常ではない。


「しっかりしろ。おいッ!」


 しかし、ガクンと男から力が抜ける。地面に突っ伏したまま動かなくなる。

 影――いや、ヒロミは男の肩に手を掛けた。男の身体を抱き起こそうとして。


「――ッぐぅ!?」


 男の両手が、ヒロミの首を締め上げた。押し倒され、馬乗りにされる。凄まじい力だった。ミシミシと骨が音を立てている。ヒロミの首、だけではない。男自身の手も。見れば指が一本あらぬ方向を向いていた。にも関わらず、男に痛がる素振りは微塵もない。


 男が言葉にならない叫び声を上げ、ヒロミに顔を寄せる。虚ろな目だった。男が口を大きく開け、歯を剥き出しにする。ヒロミは咄嗟に顔を逸らした。ガチンっと歯の閉じる音が耳元で鳴った。


「っぐ……まさ、か……」


 ありえない。だが、ヒロミの脳内でかつての光景が、10年前の出来事がフラッシュバックする。男の口からポタポタと血が流れ、ヒロミの頬を濡らす。歯の何本かが欠けている。どれだけ強く噛みつこうとしているのか。噛みつかれればひとたまりもない事は明白だった。


「こ、のぉおおおお……!」


 ヒロミはなんとか腕を動かし、ポーチからスタンガンを取り出す。安全装置を外し、男の足に押し付けた。バチバチと激しい音が鳴り、男の身体から力が抜ける。その一瞬で、男の下から抜け出す。


「ごほッ……ごほッ! ……はぁ、はぁ」


 警戒を途切れさせず、男に向き合う。男はすぐに立ち上がってくる。意識を刈り取るには至らなかった、か。当てた場所も悪い上、服越しだ。スタンガンから放たれた電流は血管を通して全身を巡る。その為、太い血管の通っている首筋などが最も効果的、なのだが……。


「そう簡単には、――っ!」


 一瞬だった。男――いや怪物がヒロミの眼前に迫っていた。腕が振り下ろされる。それをヒロミはギリギリで躱す。あまりにも早すぎる。まるで瞬間移動したかのようにさえ感じられた。ヒロミの思考速度を以ってして、だ。


「怪、物ッ……!」


 ギリギリで相手の動きに対応し、躱し続けるヒロミ。段々と相手の動きにも慣れてくる。相手は疲れなど知らぬかのように全力で攻撃を続けているが、怪物だって人体ではあるのだ。このまま躱し続ければ、いつか必ず限界が来るだろう。


 その言葉が正解だったかのように、怪物の攻勢が止む。両者の距離が開く。今がチャンスか――そんな思考が、油断だったのかもしれない。


「え?」


 怪物の拳が目の前にあった。引き伸ばされた時間感覚の中でヒロミは思っていた。おかしい、と。間違いなく直前まで、怪物はあそこに立っていた。なのに。


 ――瞬間、移動?


 ヒロミには、そう見えた。

 拳がヒロミの頭部を捉えた。十二分に力を込められたそれはヒロミを吹き飛ばした。衝突と同時にぺきぺきと怪物の指が何本も圧し折れる。


「……っ」


 痛みと衝撃で身体の動きが止まる。怪物は容赦なく飛び掛かってくる。怪物の口が大きく開かれている。このままでは間違いなく噛みつかれる。しかし避ける事もできない。ヒロミはあれだけ強く殴り飛ばされてなお、自身がスタンガンを手放していない事に気付く。


 ヒロミは覚悟を決めた。


「このぉおおおおおおおおッ!」


 飛びかかってくる怪物。その口に腕を差し出す。肉が歯に食い込む感触。ブチブチと筋繊維が千切れる音が聞こえた。しかし、それを対価に怪物の勢いを殺す。そしてもう片手に握っていたスタンガンを、怪物の首元に押し当てた。


 火花が飛んだ。怪物の身体が弛緩する。しかしなおヒロミを喰らわんとする。さらにスイッチを押す。まだ動く。段々とヒロミの腕に深く歯が刺さっていく。ヒロミはもう一度、強く長くスイッチを押し込んだ。


 そしてようやく、怪物は――男は白目を向いて地面に転がった。それを押しどかし、ヒロミはすぐに腕を捲った。はっきりと歯型が付いている。ヒロミはポーチから取り出した缶コーヒーを開け、傷口に掛ける。血を、唾液を洗い出す。


「さっきのはまさか……。ありえない。なんで今頃……。もう10年前に終わったことだろ、これはッ!」


 クソっ、と苛立ち混じりに地面を殴りつける。


「『研究は順調に進んでいます』じゃなかったのかよ。なんで新たに感染者が現れるんだ。『もうすぐ塔も不要になる』って言ってただろうがッ……!」


 そこまで考えて、ふと思い当たる。ほんと、小さな記憶の引っかかり。いや、そんなはずはない……だが、新たに隕石が落ちたなんて話は聞いてない。という事は、今更こんな事件が起きるという事は、まさか。

 ヒロミはツバキから支給されている携帯端末を取り出した。ツバキへコール。繋がらない。シュウへ掛け直す。そちらはすぐに繋がった。包帯を腕に巻きつけながら指示を出す。


「振衣、俺だ。すぐにここへ警察と医者を。それから――国立バイオ研究所にも警察を」


『ちょ、待ってください! 研究所? 何の話っスか!?』


「――エイリエナ病だ」


 電話の向こうでシュウが息を飲んだのがわかった。


   *  *  *


『振衣です。倉谷さんの推測っスけど、どうやら当たりみたいっス』


 シュウから携帯端末に連絡が入る。


『研究所の周辺映像をチェックしたんっスけど、研究者以外の出入りが急増してたんっス。その何人かを追ったんスけど、その中の一人が、倉谷さんに今対処してもらった連続殺人犯と接触していました』


「そうか」


『にしてもよくわかったっスね……研究所にトラブルが起きてるって』


 予兆はあった。修学旅行先だった研究所の、突然な見学拒否。調べて見るとSNSで似たような話が他校の生徒からも。もし、あの時点で既に研究所に何かが起きていたとしたら……。


「警察へ連絡は?」


『もうしたっス。だから倉谷さんはもう引いてくださいっス。じゃないと倉谷さんまで……』


「悪いな、もう遅い。研究所の中だ」


『なっ、なにやってんっスか!?』


 ヒロミは携帯端末をちらりと確認する。骨伝導イヤホンを用いて裏で通話をしながら、画面にはこの研究所の施設内マップを表示させていた。

 国立バイオ研究所。この街の中心に建つ、地球外バクテリア――エイリエナ菌の研究等を行う専門機関。この待ちというのはすなわち、十年前の災害の爆心地だ。併設された公園にある慰霊碑は、この街の人間なら誰もが一度は訪れる。


『ちょっ、倉谷さん!? 一体何するつもりっスか!?』


 マップには棟名や部屋名、そしてBSLが記されている。

 BSL……バイオセーフティレベル。感染症に対しどれだけ安全性が高いかを表す数値だ。そのレベル4とは最高度安全実験施設を指す。エイリエナ菌はBSL-4での管理が決められているバクテリアだ。


 BSL-4の文字があるのは中央棟だ。ヒロミはその出入り口を窺っていた。

 と、一人の人物が現れる。


「なッ!? なんで、奴がここに……!?」


 そこにいたのは、間違いない。幼馴染のメイを殺したあの少女――アイコだった。ヒロミはあまりの驚きで暫し動きを止めていた。その間に彼女は、我が物顔で正面扉から中央棟へと入っていった。

 遅れてヒロミは声を零した。


「ははッ……ついにだ、ついに見つけたぞッ……!」


 そこへ、水を差す声。


『あっ、ちょっツバキさん……!?』


『倉谷ヒロミさん! 一体何をしているのですかッ!?』


 シュウとしていははずの通話に、割り込むようにツバキの声。


「……何の用だ。今は時間がない」


『何の用、ではありません! すでに警察が動き始めています。この件は、あとはもう警察の仕事です。私達の目的はあくまでも警察に裁けぬ悪を裁く事です。早く引いてください!』


「言ったはずだ。俺はお前の仲間でも協力者でも部下でもない。無関係の赤の他人だ。命令を受ける理由はない。それに、見つけたんだよ……研究所にいたんだ。奴だッ……!」


 ツバキは驚きに息を飲み、しかし彼女は言い聞かせるような口調で告げた。


『倉谷ヒロミさん、いけません。行っては。今すぐに引き返してください』


「ふざけるなッ! 奴が、すぐそこにいるんだぞッ!」


 ヒロミの叫びにツバキは暫し黙り、それから意を決したように言った。


『――余計な手出しをして、また誰かを殺すのですか。幼馴染のように』


 ざわ、とヒロミの全身が震える。怒りなどという言葉すら温い、激情。それが受話器の向こうにも伝わったらしい。息を飲む音が聞こえた。それでもなお、彼女は言う。


『倉谷ヒロミさん、今すぐ引き返してください』


 ヒロミは彼女の言葉を無視して告げた。


「お前に一つ、言うべき事がある。警察に裁けぬ悪を裁く事、それが私達の目的だと言ったな。それは違う」


『いいえ、私達の目的は同じです』


「それこそ、いいや。それはお前等の目的だ。俺の目的は違う。俺の目的は復讐だ。ここで奴をを逃す訳にはいかない。今ここで、俺の手で奴に罰を与えるッ……必ずッ!」


『倉谷ヒロミさん! 待っ』


 ヒロミは通話を切った。振動し続ける携帯端末の電源を落とし、ぐいとヘアバンドの位置を直した。少女の後を追う。中央棟への入り口は電子ロック式の扉になっているようで、開かない。

 しかし、少しすると研究員の一人がそこから出てくる。


「すまない」


 バチバチとスタンガンの音が鳴る。床に倒れる前に研究員の身体を受け止め、非常階段の影に隠す。彼からカードキーを拝借し、ヒロミはそれで中央棟へと侵入を果たす。中はシンと静まり返っていた。


 研究者とすれ違う事もなく、奥へと進んで行く。いくつかの実験室をチェックしてみても、人は見当たらない。やがて最奥へと辿り着く。そこにあったのは、まるで金庫のように巨大な鉄扉。それが僅かに開いていた。


 ヒロミは鉄扉を潜り抜ける。その向こうは防護服の掛かった更衣室や、殺菌用のシャワー室が続いていた。次の部屋へと繋がる扉にある、小さな窓を覗き込む。


 そこは、中央にある四方が透明な壁に囲われた研究室と、その周囲をぐるりと一周する廊下とで構成されていた。研究室内にいるのは、間違いない。アイコだった。


 ヒロミは部屋へと足を踏み入れる。そして、ついに二人は相見えた。


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