百済情勢及び我が国の対応
安麻呂:「唐との関係が悪化する中、現状を打破するべく新羅との交戦を続ける百済でありましたが。」
大海人:「成果無き外征を続けて行きますと国内は疲弊並びに厭戦感が蔓延するものでありまして。」
安麻呂:「そこに追い打ちを掛けたのが。」
大海人:「654年の大飢饉。」
安麻呂:「飢饉自体は朝鮮半島全体で発生したのでありましたが。」
大海人:「ただでさえ益無き外征に次ぐ外征に嫌気が差していた百済の民の心が離れていった。と……。」
安麻呂:「百済は飢饉対策をとらず。宮殿修築に勤しむばかりか、王は酒に溺れ。諫めた家臣を粛清した。と……。」
大海人:「まぁこれは国が出来てから滅びるまでを認めた歴史書に必ず出て来る滅びのフォーマットであるから鵜呑みにしてはいけないがな。」
安麻呂:「要は運が悪かった。と……。」
大海人:「左様。」
安麻呂:「この状況を唐が見逃すわけはなく。」
大海人:「虎視眈々と攻めるタイミングを伺っていた。」
安麻呂:「こうした情勢は百済海域を経て唐へと至るルートで使いを派遣していた我が国にも当然の如く伝わることとなります。」
大海人:「唐と百済は共に我が国の友好国。」
安麻呂:「その両国が今対立し、かつ百済は滅びの道を歩み始めている。」
大海人:「我が国の世論は割れに割れ。」
安麻呂:「ルーツが大陸や朝鮮半島の各地にありますモノも多く。各々の出身地や新たに渡来されたかたがたの運動もありまして。」
大海人:「帝になる資格のあるものを担ぎ出そうとするなど不安定な情勢にあった。と……。」
安麻呂:「唐に使いを2年続けて派遣するなどし、情勢分析並びに関係修復の働き掛けを模索するも。」
大海人:「唐から見れば我らは家臣の身分。」
安麻呂:「こちらの知らぬ間に。物事が動いていくのをただ傍観するのみ……。」