国内情勢(645年~660年)
蘇我安麻呂(以下安麻呂):「出家されると聞いて飛んできました。」
大海人皇子(以下大海人):「安麻呂殿のアドバイスに助けられました。兄者の言葉に乗っていましたら大変なことになっておりました。」
安麻呂:「でも相続放棄とは思い切った選択をされましたな。」
大海人:「正直、大津に居たいとは思っておらぬからな……。」
安麻呂:「ならば自らが兄上様の跡を継ぎ、都を元の大和の地に戻すことも可能であったかと……。」
大海人:「それが出来るような状況では無かったからな……。」
現代、このような場面では隠し撮りなどの手段を講じることにより対象者を貶めることがありますが、当時は
文字通りその人を亡き者とするべく刺客が潜ませていることはよくあった話。
安麻呂:「ところで兄上様は何故こんな(当時は)人気の無い大津などに都を遷したのでありますか?」
大海人:「私も兄も帝の血を受け継いでいるとは言え主流派では無かった。」
安麻呂:「それで我が一族である蝦夷・入鹿親子に手を掛け権力の掌握を図った。」
大海人:「でもそこは外様の身であり、かつ蝦夷・入鹿親子になんら落ち度が無かったことも重なり、古くからの大和の勢力が我らのもとに参集したわけでは無かった。」
安麻呂:「それが聖徳太子の発明に結び付くことにもなるわけでありますが……。」
大海人:「大和の地に居ることが出来なくなった兄者は難波の地への遷都を画策。」
安麻呂:「元々が国の窓口であったこともあり、比較的スムーズに事が運ぶも。」
大海人:「兄者と帝の仲が修復不能なものとなり。」
安麻呂:「独り残された帝は……。」
大海人:「その後。東への版図拡大に成功を収めるも政情不安は続き。」
安麻呂:「粛清に継ぐ、粛清を繰り返していく中。」
大海人:「西から新たな問題が浮かび上がってくることになるのでありました。」