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政界引退

 西暦645年の大化の改新から26年の時を経た西暦671年10月。今の滋賀県の県庁所在地である当時の都・大津の地で、天皇である兄・天智の恩恵に与り、悠々自適の生活を営んで来たのが大海人皇子。そんな彼の平穏な日々に別れを告げる出来事が迫っていたのでありました。それは


【天智天皇の様態悪化】


 その年の1月。天皇である兄・天智は、自らの跡を考え息子である大友皇子を太政大臣に任命。その地位は、これまで大海人が務めて来た職務と重なることもあり

(……干されたな……。)

と思っていた10月の17日。突如として兄・天智から呼び出されるのでありました。その呼び出しの使者として大海人のもとを訪ねて来たのが蘇我安麻呂。安麻呂は以前から大海人と親しくしていた人物。そんな彼から大海人に向け発せられたのが

「有意ひて言へ。(よく注意してお話なさいませ。)」

安麻呂からの忠告を受け、天智のもとへと赴く大海人。既に病に倒れ、病床に臥していた兄・天智は、大海人を見るなり述べた言葉が


【皇位を譲りたい。】


天智の後継者は未だ決まっておらず、兄・天智の息子である大友皇子は実際に政治を動かすことの出来る太政大臣。彼が望まなければ天皇の地位は空位のまま。そこに天智の弟である大海人が跡を継いでも別段問題にならないのでありますが……。

その天智からの使者として訪れた。天智と近い場所に居る安麻呂が、わざわざ大海人に忠告して来た。

と言うことは


(……なにかある……。)

ことを察した大海人は

「私は生来身体が弱く。国家を維持していくだけの体力を持ち合わせておりません。私からの身勝手なお願いでありますが、天皇の地位は皇后様にお譲りになられ、兄者の子供であります太政大臣・大友皇子を皇太子に立ててください。私は今日にも出家をし、仏事の修行に励むことを望んでいます。」


政教が未だ分離していない当時の世にありましても、仏事の修行に励むことは政界から引退することを意味しており、更に兄・天智の息子である大友皇子を後継者に推す。競争相手。天皇の位に就く血統を有しているにも関わらず、その地位をも放棄することを自ら大海人が宣言したことに安堵したのか。病床に臥していた兄・天智は、その申し出を認めるのでありました。

 大海人はその日のうちに剃髪。都・大津を離れ、今の奈良県にある吉野の地へ向かうのでありました。

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