005 お誘い
長い沈黙の後、目の前に学園の門が迫り、車が停止する。
「車、置いてくるから先に戻っておけよ」
「ありがとうございました」
扉を閉め、走り去る山下の車が見えなくなってから学園の門をくぐる。
学園内には自分の足音しか聞こえない。
「まだ、3時間目か」
もう少し帰ってくるのが遅かったらめんどくさい授業ももう少しサボれるというのに。
授業の途中で教室に入るのもなんか変だし、次の授業まで食堂で過ごす事にする。
食堂の中に入ると調理員のおばちゃん達が慌ただしく昼食の準備をしているのが目に入る。それを横目に自動販売機の前に向かい、コーヒーを購入する。
する事がないので近くの席に座り、コーヒーを飲みながらおばちゃん達の動きを観察する。
ここは随分とお世話になったな。母さんの体調が良い時はお弁当を作ってくれたが、母さんが死んだ以降は親父が弁当を作ってくれるわけでもなく、ここで昼食を食べる事が当たり前になった。
国を揚げての学園という事もあり、出される昼食は満足のいくものが多い。部活や居残り組にも対応できるように夜も食べる事ができる。親父の帰りが遅いときもたまに利用していた。
その生活リズムもあと少し。卒業までの間、ここの料理を楽しんでおくか。
などと、思っている間に授業終了のチャイムが鳴り響く。
冷めたコーヒーを飲みほし、教室から出てくる生徒の波をかき分け、自分の教室に向かう。
「よっ! 重役出勤!!」
丁度、教室から出てきた悠理が茶化してきた。
「ハイハイ、重役ですよぉ~」
「今日は、お昼の後にデザートを食べたい気分だなぁ~。あっ、そうだ! 誰かさんとの約束で~、フルーツパフェがたべられるんだっけ。楽しみだなぁ」
はぁ、それが言いたかっただけだろ、本当に。
「顔を合わせた瞬間にそれか。よっぽど食いしん坊なんだな」
「何よ、約束を忘れてるんじゃないかって確認しただけよ」
「ふーん、それで?」
「え?! 何もないわよ」
「そいじゃ、さいなら~」
「ちょっ、ちょっと、約束は~~~?」
「へいへい、んじゃ~、昼にな」
茶化す悠理を振り切る様に教室のドアをくぐる。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ。行ってきたんでしょ?」
「あぁ」
後ろからしつこく悠理が追いかけてきた。もちろん、トヨダの件だろう。
「で、どうなったのよ?」
「まぁ、何にもしゃべらず、謝らされて、内定辞退は無かった事になった」
「ふーん、まぁ、良かったじゃない」
「どこが? 身が入んねぇわ」
「何言ってるのよ。散々言ったわよね?」
「ま、適当にやるよ」
「もう、いい加減なんだから、ちゃんとしなさいよ」
「ヘイヘイ」
姑の如く小言をいう悠理にうんざりしながら自分の席に座る。
授業開始のチャイムが鳴り響き、山下が教室へ入ってくると同時に立ち上がり、授業が始まる。
もう、ほとんど勉強する事が無い状態での授業は退屈この上ない。ただ、時間が過ぎるのを待つのみ。
☆☆☆
「んでさー、前にねっ、そうそう」
せっかくのランチタイムというのに目の前にはマイニュースを発するだけの存在、悠理がいる。
「でねっ、ちょっと! 聞いてる?」
「ん? いや聞いてない」
「はぁ、こっちがしゃべってるのに何よ!」
「てか、興味もない事を一方的にしゃべってるのはそっちだろ? せっかくのランチが台無しなんだが」
ほんと、しょうもない事を色々と話してくるなぁ~。目の前の食事はたいして減っていない様だがおしゃべりの時間と間違えてるのか?
「もう、ほんと、優斗ったら女の子の気持ちがわかんないよねぇ」
知らねぇー。ほんと、こんなんばっかだな。
あれや、これや言っているうちに食事が進み、目の前のには空になった皿が並んでいる。
「さぁーて、行くわよ」
「どこに?」
「何言ってるのよ、デザートよ、デザート。わかってるわよね?」
「へいへい」
ほんと、こういう時は元気だよなぁ、と思いつつ仕方なしに後ろからついていく。
「フルーツパフェ、ひとつっ! 大盛りでねっ!」
満面の笑顔で注文する悠理。さっき食べたばっかりというのに……。別腹、ではなく別次元か。
学生証をかざし、支払を済ませる。その後、出てきたパフェを受け取り、席へ戻る。
「いっただっきまぁーす。っと」
目の前のフルーツとクリームでできた山が低くなっていくのをぼんやりと眺め、コーヒーに口をつける。
「そういえばさぁ、トヨダ記念館の開いている時間知ってる?」
「どうしたの?」
「まぁ、ちょっとね」
「昼間しか開いてないんじゃない? ってかデバイスで調べたら?」
「まぁ、知ってるかな? って思ったんだけど。そうするわ」
携帯デバイスを取り出し、ネットからトヨダ記念館の開館時間を調べる。水曜日以外は開いているようだ。これなら次の土曜日にでも行けそうだな。
「あ、そうだ。月末の28日の夜、空いている?」
「夜? 空いているけど」
「ほらさぁ、トヨダの内定者懇親会があるんだけど。ペアで参加も可能だし、良かったら悠理ついてきてくれない?」
「えっ?! 私? そう、ぜ、ぜ、全然、大丈夫よ。それって……」
「いやさぁ、周りに誘えるのは悠理しかいなくてさぁ」
「は、はは、そ、そうよね。そ、それなら仕方ないわよね。いいわよ。ついていってあげる」
「ん? ああ、ありがとう」
既に他の内定者から誘われてたかもしれなかったけど、聞いてみるもんだな。それにしてもなんだ? 悠理、しどろもどろだぞ。
「行く人が一緒にいない、優斗の為に仕方なくついて行ってあげる」
「いや、念押しして言わなくていい」
確かに、学園内で気軽に話をするのは悠理くらいしかいないのは事実だが……。
「どんな服で行けばいい?」
「うーん、一応ドレスコードがあるみたいだけど、なければ制服でいいみたいだけど」
「そっか~。どうしよっかな~」
「まぁ、決まらなければ制服で行けばいいんじゃね?」
「ま、そうだねっ。ねーねー、懇親会って食事も出るんでしょ? どんなのかしら~?」
「結局、食べ物かよっ!」
「いや~、世界有数の企業が開催するんだよ。やっぱり、期待しちゃう」
はぁ。目元が緩む悠理の顔を見ながらため息がでるな。そのうち、よだれも落ちてきそうだ。
「ま、それなりにいいのは並んでるんじゃない?」
「そ、そうよね。楽しみぃ~」
やがてフルーツパフェが空になり、食器を片付けて食堂を後にする。
食堂の壁の時計に目をやると、昼食の時間は残りわずか。そのまま、教室へ戻ることにする。
「じゃ、先に行ってて」
「あぁ」
悠理と別れ、教室へ入る。
しばらくして午後の授業が始まるチャイムが鳴り響き、また退屈な授業が始まる。
学園内でトヨダの内定懇親会に異性を誘うのは一種の告白に近い行動だという事を知るのはまだ先の話。