004 謝罪
「寒い……」
学園の立派な門の前に一人佇む事になった訳だが……。
吐く息の白さが一年で一番寒い時期である事を教えてくれる。
いつもなら他の生徒の流れに沿って門を潜るだけだが、今日は門の前で待ちぼうけだ。勿論、周りには誰もいない。人が押し寄せてくるには後一時間は待つ必要があるだろう。
寒さを堪える為に用意したコーヒーは既に空だ。空き缶を自動販売機の横にあるゴミ箱に捨てる。
門に戻ろうとしたその時に一台の車が俺の横を過ぎ去り、門の前で停止する。中から出て来たのは担任の山下だ。
「おう、待ったか」
「おはようございます」
「じゃ、早速行くか」
挨拶も程々に山下は車に乗るように促し、自分も乗り込む。
山下は俺が車の助手席に座り、シートベルトをしたのを確認してアクセルを踏み込む。モーターがスムーズに回転し始める振動を感じ、静かに走り出す。
行先は勿論、トヨダだ。学園の生徒にとって喉から手が出る程欲しい、トヨダの内定を辞退するという前代未聞の出来事を謝罪する為だ。
元々、口数の少ない山下と気不味い雰囲気も相成って車内は沈黙が続いた。
☆☆☆
結局、小一時間の間、一声も話す事無く目的地であるトヨダ本社の前に到着した。門の前で一旦停止し、入館手続きを行う。山下が入館証を持って車に戻り敷地内に車を進め、ビルの前の駐車スペースに車を止める。
「行くぞ」
静かに山下が声を掛けてくる。
車から降り、ビルの中へと進む。まだ、仕事が始まるには少し早い時間だったためロビーに人気は無い。
「いらっしゃいませ。本日はどの様なご用件でしょうか?」
受付のお姉さんが立ち上がり、声を掛けてくる。
「国立製図錬金術学園の山下と申します。人事部の金村様と約束をしているのですが」
「はい。伺っております。只今、連絡を取りますので、少々お待ち下さい」
と言って受付のお姉さんは机の上の電話で来客の連絡を入れる。
「金村が参りますので、こちらのソファに座ってお待ち下さい」
お姉さんに促され、二人でソファに座って待つ事にする。
しばらくして、手前のエレベーターから一人の男が出て来た。
見た目は小太りで額も寂しく、この季節だというのに手にハンカチを持ち、汗をかきながらこちらに向かってくる。正直、近づいてほしくないが……。
「いやぁ、山下先生。わざわざ来て下さって……」
二人でソファから立ち上がり挨拶をする。
「金村部長、朝早くから時間を割いて頂き、申し訳ございません」
山下が深々と挨拶をする。
「いやいや、ここではなんで応接へ」
奥の応接室に案内される。そのまま部屋に入り、山下が直ぐに口を開いた。
「この度はこの八神が大変失礼な態度を取り、大変申し訳ございません」
山下が深々と頭を下げて、謝罪をする。
「いやぁ、会社としても優秀な八神くんに入って頂ければそれで結構ですよ」
「ご配慮して頂き、感謝致します。八神も反省していますので、どうぞ宜しくお願い致します」
山下は再度、小さく頭を下げる。
正直なところ、自分では内定辞退を取り消したつもりは無いが、合わせるように頭を下げる。
「あ、そういえば、既に内定者の皆さんには連絡が行っているとは思いますが、今月末に内定者を迎えた懇親会が開催されますので、もちろん、八神くんも参加して頂けますよね?」
金村部長が言う懇親会とは、内定者向けにトヨダが開催するパーティで名目は社内上層部や内定者同士の親睦とあるが、実質は内定者の選定といったところだろう。
「もちろん、参加致します」
はっ? 勝手な事を、なんでそんな面倒な事を……。
「それは良かった。主席内定者の八神くんが参加しないとなると社の人間も楽しみも半減でしょう。何せ、学園の皇帝とまで言われているとか」
まじで、こんなところまでその名前が広がっているとは。ほんと、黒歴史だな。
「いやはや、そこまでは……」
「いやぁ、楽しみにしていますよ」
その後は他愛の無いやりとりが続き、数分が過ぎた頃、
「お、もうこんな時間ですな。山下先生、今日はご足労頂きありがとうございました」
「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けして、この様な時間まで割いて頂き申し訳ございません」
「いえいえ、八神くんの活躍を期待していますよ」
「残り少ないですが、ご期待に応えられる様、きっちり言い聞かせておきます。では、失礼致します」
山下が席を立ち、ドアへと体を向ける。
「失礼致します」
山下と合わせるように一声かけ、ドアに向かう。
金村部長と別れ、ロビーへと向かう。既に出勤者の波が押し寄せる時間となっていた。
「先生、トイレ行ってきても良いですか?」
「ああ、わかった。そこで待ってるからな」
山下と別れロビーの壁に描かれた矢印に沿って通路を進む。
トイレの個室に入り、用を済ませたところ、話す声が近づいてきた。
やましい事をしている訳ではないが、息を殺してじっとする。
「はぁ、今日も一日、仕事か~。さっさと帰りてぇ~」
「まだ、仕事始まってませんよ。それなのに帰る、ですかぁ?」
「まぁな。さっさと週末になってほしいもんだよ」
「先輩、そういえば聞いたウワサなんですけど~、なんか記念館の倉庫に宝物が眠ってる話知ってます?」
「あーあれね、そもそもそんなウワサ、誰が信じてるんだ? 記念館に置いとくって金目のものじゃないだろ」
「でも宝物ってなんですかね?」
「知らねぇよ。ウワサだろ?」
「ですよねー」
「今日も、タルいなぁ。さっさと帰れるようにするか」
「気合い入れていきましょう!」
「入れねぇよ」
二人がトイレから出ていった事を確認し、トイレから出てロビーに向かう。
ふーん、記念館にあるお宝ねぇ。これは確認する必要があるな。なんて、思いながら歩いていたら廊下で知った顔と遭遇する。
「あら? 優斗くん、どうしたの? こんなところで。もしかして謝りに来たの?」
「そうなんです、先ほど先生と一緒に済ませたところです。千里さんはこんなところで仕事ですか?」
「もう、からかわないで。イヤリングが外れちゃって、鏡の前に行くだけよ」
言われた通り、確かに左の耳のイヤリングが外れている。
「それじゃあ、気を付けて帰ってね」
「はい、お疲れ様です」
急いでいるのか、トイレの方向へ小走りで向かう千里さんの背中を見た後、ロビーへ向かう。
「お待たせしました」
ロビーのソファーに腰かけている山下の前まで向かう。
「おう、じゃぁ、学園に戻るか」
「はい」
ロビーから外に出て、駐車場に向かう。車に乗り込みモーターが始動すると、外とは違い快適な空気が体を包み込むように噴出される。
行きと同じく、車内はモーターの回転する振動音だけが響き、時折ウィンカーの音が聞こえてくるだけだった。