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僕は考えた。
流されるままに進んでいるいつもの気配を感じつつ、しかし、結論は下さなければいけないのだ。
「わかったよ……。魔人のことは、僕がなんとかする」
「ほんと!? ほんとに? 嘘ついたらどうなるかわかって言ってるんだろうな!?」
イチゲが涙ぐんだ表情で言ってくる。
表情は女の子だけど、台詞はかなりドスがきいた声だ。
地が、地が出てますイチゲくん。
果たして約束を不履行にするとなると、いったいどうなることだろう。もしかするとまな板の上で微塵に切り刻まれるかもしれないし、それともうっかり社会的に抹殺されそうな恥ずべき写真かなんかが流出し、校内を駆け巡ることになるかもしれない。いかにもそういう結末になりそうな迫力だ。
「僕も責任を感じてるし、もともと二人が助けてくれたのは善意以外の何者でもないし」
「よーし、そうと決まったらさっさとあいつを闇に葬っちまおうぜ!」
腕まくりをしつつ脱衣場を出て行こうとするイチゲを、僕はすんでのところで捕まえた。
「この件は僕が片づける。ふたりは手を引いてくれていいよ」
下した決断に、少女は驚きを隠さない。
もちろんヒギリも思いっきり怪訝な表情を浮かべてる。
「はあ? でも、先生だけじゃ魔人とは戦えないよ!?」
「何考えてンだ、てめえ。今は頼みの天藍だっていないだろうがよ」
ふたりはこう見えて面倒見がいい。
何も言わなくても三人で協力して魔人を捕まえる心づもりだったんだろう。
それが正解だ。オルドルは強いけれど絡め手が多くて何より読み手の僕が貧弱だ。魔人は接近戦もできるから、もしもアイツに敵対意識があるならば、二人がいなければ僕はすぐに殺されてしまう。
ヒギリが言うように、なんだかんだいつも助けてくれる天藍アオイは竜卵を排除するため竜鱗騎士として現地に向かった。
そういうわけで、今の僕ははっきり言って戦えない。
だからこそ二人の力を借りれば……でもそうは問屋が卸さない。僕の方にも、わざわざこの二人を外そうとしているのにはワケってものがある。
「どうしてもダメなんだ。理由は……話せないけど……」
つまり、魔人の正体のことだ。
この問題は《星条家》の暗部に深く関わっている。
ふたりは幸いなことにあの魔人の正体が何者か知らないが、もしもそれを知ってしまったら、危険が及ぶかもしれない。
あれからコチョウとは接触してないし何かしかけてくる気配もないけど、それはたぶん胡散臭い魔術教官モドキの僕のことなんか大した脅威ではないと思ってるからだろう。
そして……。僕は実のところ、コチョウよりその背後にいる人物のほうが数百倍厄介だと思ってる。
つまり、《星条百合白》だ。
誰よりも可憐で愛らしく、小鳥のような声音で囁きながら残酷をなす乙女。罪そのものを白日のもとに晒しながらも大手を振って表通りを歩いていく、理解不能な驚くべき存在。基本性質は父親ゆずりだが、恐ろしさと底知れなさは彼女のほうが何倍も上だ。
今回はたまたま助けてくれはしたが、コチョウの秘密を知られることは彼女にとっても面白いことではない。
もしも僕らのことを敵だと判断したなら容赦はしない。
これは戦いだとか、暴力とか、そういう単純さで解決する問題じゃない。
誰かを倒して、そうしたら終わりなんて寝物語じゃないんだ。
「俺らのコトを信用できねーとか、そういう理由か?」
ヒギリがこっちを睨みつけてくる。
見当違いではあるんだけど、真剣な話だ。
比喩なんかではなく物凄い圧を感じる。
「確かに君たちは僕を裏切った……だけど君たちがどうしようもない状況で《彼》を選んだのも、そして……イチゲ、君が《彼》を救うためにした選択のことも……それは自分の決断に自信があって、意志を貫き通す実力が無ければできないことだと思う。だからこそ信用できないなんて、そんなことないよ」
たとえその結果何が起きたのだとしても、意志を貫いたのだ。現実と結果に脅えて気持ちを変えたりしなかった。
「あぁ――そうかい」
ヒギリは一歩踏み込んで、僕の襟元を強い力で掴んだ。
「けどな、お前、全然わかってねえよ」
それはいつもの考えなしのヒギリとは全然、別物の、静かで深い声音だった。
「行くぞ、イチゲ」
「で、でもぉ……」
「そろそろ定時連絡の時刻だ。一旦戻らねえとサカキがうるせえ、とくに俺たちはな」
もうひとりの竜鱗学科教官の名を出し、ヒギリは踵を返した。
イチゲはその後ろをついて行きながら振り返って「またあとでね!」と手を振っている。
『いいのカナ~? 校内戦のときも同じようなコト言ってたケドね、キミ』
「……うっさいな」
オルドルの言うことも一理ある。
僕はかつて、校内戦に巻き込みたくなくて、ある女の子を遠ざけようとしてた。でも結局、それは失敗したんだ。僕に強さも力もないせいだった。
そのとき、カフスが明滅してることに気が付いた。学院の事務局からのメッセージが入ってる。
内容は学院に避難所が開設されたことと、避難者の収容に関する諸注意、そして非常時における学生や教官たちの役割分担について詳しく記載されていた。
学院には学生とスタッフを全員収容し、その上でさらに約五千人を収容するシェルターがある。もちろん直撃には耐えられないので、これは近郊に攻撃があった場合の指示だ。
魔術学科には警備と避難者の誘導が主な仕事として割り当てられていた。
避難せず学内に留まっている該当者は腕章を取りに来い、と書かれてる。教官たち全員と、それと竜鱗学科の生徒たちにもだ。将来、竜鱗騎士になり民のために戦う彼らは、保護されるだけの学生とは待遇が少し違う。
今はカガチが学院を留守にしているし……だからこそ謹慎中のはずのイチゲとヒギリが学院に来てるんだろう。
薄暗い建物の外に出ると、太陽は中天に差し掛かっていた。
さて、これからどうするか。
魔人をどうにかするなら、やっぱ、コチョウか……。
「またあいつに会うのか……絶対に会いたくないなあ……」
見た目は華やかな芸能人なのに、中身は恐ろしすぎる底なし沼だ。
魔人の目的が復讐だというならば、とっとと見つけてもらって目的を果たしてくれれば僕たちは安らかに昼寝ができるのに。
まあ、竜卵の件があるので少しばかりヒヤヒヤした昼寝だけどさ。
これからどうするのか考えるのが嫌すぎて、ひとまず避難受付場所に指定された修練場にむかう。
今日は屋根で覆われた修練場には医療・避難受付・指令所・警備班……など係に分けられたテントが置かれ、物資の仕分けなどに駆り出された事務員たちが忙しそうに働いていた。
警備班のテントに行くと、安易にそこに近づいたことを少しだけ後悔した。
見覚えのある青い頭と魔女の三角帽子が並んでる。ひとりは若い男性で、もうひとりは妖艶な美女。
占星術師のオガルと、悪魔学のプリムラだ。
「マスター・オガル、マスター・プリムラ。その……腕章って僕もつけないといけないの?」
ふたりに声をかけると、マスター・オガルは困ったような表情を浮かべ、僕の顔とタブレット端末に表示したリストとを見比べた。
「あらいやだわ。やっぱり、賭けなんかオガル先生とするもんじゃないですわね」
「はじめから来る気がしてたんですよ、占うまでもなく」
「もしかしなくても僕が来ないと思ってたよね」
「そんなことなくってよ。貴方は責任感が強い子ですもの、ね」
プリムラはうふふ、と嫋やかに笑ってみせる。ごまかしたな。
彼女は《警備・誘導》と書かれた布製のわかりやすい腕章を取り出して僕の二の腕に巻いた。
続いてオガルが金色の留め具がついた濃紺の腕輪を取り出した。透ける素材で光沢があり、触るとひんやりした。
「バイタルや位置情報を記録するものです。今のところ混乱はないですが、何があるかわかりませんから」
オガルが持ってるのと同じ端末を渡される。
校内の地図が表示され、生徒や避難者の位置情報が一覧できる。シェルターの収容率や物資の情報も集まって来てる。プライバシーを考慮しなければ、すごく便利なものだ。
「避難はもう始まってるの?」
「ようやく百人を越えたところですが、徐々に増えてきていますよ」
「僕にも手伝えることってあるのかな、無いといいけど」
「警備計画は竜鱗学科を中心として立てられていますから、私たちはあくまでもサポートだけです。招集がかかるまでは、先生も通常通り待機で大丈夫ですよ」
なるほど。幸運なことに僕の出る幕はここにはないらしい。
そう納得しかけたタイミングで、オガルは謎めいた含み笑いを浮かべると「何か悩み事でも?」と訊いてきた。
僕は少しだけ、オガルという年上の大人に今度の話を伝えることを思いついた。
ヒギリたちには話せなくても、菫青家は今回の件にあながち無関係というわけでもない。何しろ尖晶クガイと共に失踪したミズメは、この人の兄なのだ。
「いや、それが……」
だけど、何て伝えたらいいだろう。
頭の中にコチョウの姿がチラつく。オガルの人の好さそうな笑顔と交錯する。
なんて言えばいい? あなたのお兄さんは、星条家の当主に騙されて異世界に放り出されて処分されました、なんて、どんな顔して言い出せばいいのか見当もつかない。
「残念ながら、今回はヤバイ案件とかそういうのは抱えてないよ。何も起きてない……起きてたら、校内戦のときみたいに大騒動になってるよ、今頃。竜卵の件は当然、僕とは無関係だしね」
暗い気持ちを隠して、うまくもない冗談を言う。
オガルは何かを感じたかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。再び端末に視線を戻した。
「そうですか。そういえば、マスター・サカキが貴方と話したいと言っていましたよ」
「サカキが? なんで?」
「さあ。あの人の考えることは、自分にはさっぱりわからないので」
そうだろうな。と思った。
サカキはカガチと同じく竜鱗学科の教師だ。体育会系のカガチと違い、マッドサイエンティストの臭いがプンプンする天才気質の魔術師である。
呼び出しの理由に心当たりが無さすぎる。
人体実験の被験者が必要だとか、そういうことかもしれない。全然そうであっても違和感がない。
「わかった。行ってみるよ……えと、暇だったら」
端末を使えばサカキの居所はすぐにわかる。彼は今、自分の教室ではなく別棟の研究室にいた。




