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血走った眼をしたキャシー捜査官は、衝突したあともハンドルを離さない。
それどころか前面がグチャグチャに潰れたワゴンを何度も発進させようとして、それが叶わないと知るや否や、ひしゃげた扉から外に飛び出し、路傍に駐車されている車の窓に手斧を叩きつけた。
窓ガラスを割り、侵入したキャシーは手早くエンジンをかけた。
もちろん、他人の車だ。鍵なんかあるはずもない。
平然と犯罪行為を働いた彼女は、据わった目つきのまま車を発進させ、迷うことなく拳銃を抜いた二人の男を轢いた。
彼女の行動が、その理由が、最早なにもかもわからない。理解不能だ。
僕は嫌な予感の正体をがっちりつかんでしまう前に、踵を返して脱兎のごとく逃げ出した。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国っ!!》」
呪文の力で体が軽くなる。全力疾走でその場を離れる。
案の定、ワンテンポ遅れて、キャシーの乗った車がこっちを追いかけてくる。
絶対殺す、という気迫を感じる。
『魔法を使って動きを封じれば済むコトじゃない?』
「んな、…………コト言われてもっ!!」
後ろを振り返った瞬間に、捜査官はアクセルを思いっきり踏み込み、急加速してきた。コーナリングでも速度を全く落とさないため、歩道に乗り上げ、側面を壁で思いっきり削りまくりながら、無理やりこっちに迫ってくる。
流石に二足歩行よりよっぽど速い。速い、速いぞ科学の結晶。
この速度で追われたら、呪文を紡ぐ間もない。
息が苦しくて魔法に集中できないから、今、魔法を使うとなると、無詠唱で代償が大きくなる。どうする!?
派手に代償を支払って、でも……。
もしも暴走しまくってるキャシー捜査官を無力化できなかったら、僕はそのあと戦うことができるの……? という、疑問が浮かぶ。
これまでは、天藍がいた。
銀華竜のときも、校内戦のときもだ。
戦いの技術がないただの高校生が、あの異常事態に対処できたのは、暴走車が迫ってきたとしても轢き殺される直前で押し留めてくれる前衛役がいたからだ!
油汗が額から流れ落ちる度、竜鱗魔術の有難さを感じずにはいられない。さすが戦闘に最適化された武闘派魔術だ……とか感心している場合では全くない。
「ど、どうするッ……!?」
わかっていることは、僕が一人では戦えないということだ。
仕方ない。背に腹は代えられない。
進路変更だ。できるだけ通行量の少ない道を選ぶ。
「オルドル、魔法を使う準備はしといてっ!」
『死人に呪文ナシだよツバキクン』
「いいから!」
僕は見えて来た柵の上を蹴り、見慣れた敷地内に侵入する。
もちろん、柵や花壇を吹っ飛ばし、暴走車もついてくる。
よしよし、イイコだ。
ようこそ魔術学院へ!
自分でどうにかできないコトなら、できそうなヤツに任せるのがよい。
うん、どう考えてもこれしか方法がないな。
いやあ、参ったな。
この時点で百万人のブーイングが聞こえるかのようだ。
自分自身はっきり言ってどうかと思う。
でも一応、安全には配慮している。今は授業時間だから、学院の優等生たちは教室の外には出てこないはず。
僕は障害物を利用しながら、疾走。
美しく手入れされた中庭を、貴族の邸だった頃の面影がある、瀟洒な回廊を、ボッコボコにあちこち破壊された狂気の暴走車が爆走。
騒ぎを聞きつけた学生が窓を開けてこっちを見るが、誰も助けてくれない。お願い、助けて。
「そ、そろそろっ……ギリギリなんですけどっ……!」
魔法の力で身体能力を向上させてはいても、筋肉やら体力やらは元のままだ。
全身が肉離れを起こしているし、肺が潰れそうだ。
なんで僕だけこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
泣き言を漏らしながら、目標地点が見えてきた。
オルドル、やれ!!
水筒を外し、地面にぶちまける。
その瞬間、右耳が付け根から弾け飛ぶ感覚がした。
ああ、久しぶりの感覚だ。
地面の石畳が波打ち、裂け、大地の割れ目から太い銀の茨が迸り出る。
茨は互いに絡みつき、銀の橋となって、背後に迫る暴走車を乗せ、滑走路となる。
三階程度の高さまで、空中に放り出された車輛は、まっすぐ目の前の校舎へと追突――大事故を起こす寸前で不自然な挙動を起こし、地面に叩きつけられた。
しかし運転手の殺意は相当なもので、その状態でもハンドルを切り返し、アクセルを踏み抜く。
再度、暴走しかけた車輛は、やはり不自然な動きで急停止。
しかも浮いている。
「はいは~い、そこまでだ。免許ねえからよくわかんねえけどこりゃ一発免停ってやつじゃねえのか~?」
車は徐々に持ち上げられていく。爆走する車体を素手で受け止め、持ち上げてみせた怪力は、魔術学院の制服を着た金髪不良。
僕は彼のことを知っている。
そして意外だとも思っている。
「ヒギリ……! 謹慎中じゃなかったの!?」
竜鱗学科所属の、竜鱗騎士の卵だ。
黄水ヒギリは、こちらを睨みつけてくる。怖い。
「お~い、この馬鹿教師がまたなんかやってるけど、この粗大ゴミどうすりゃいい!?」
ヒギリが訊ねた瞬間、魔力の光が四条、走り、タイヤを吹き飛ばす。
「めんどくさいからとりあえず廃車にしとくで大正解でしょ。あ~あ、先輩に見せたかったな、先輩の嫁の大活躍ぅ」
声が頭上から振ってくる。
見上げると、眩しい陽光と、スパッツを履いた足があった。
桃簾イチゲが魔術で構成された銃を二丁、手の中でくるりと回している。
煽情的なミニスカートの両足の膝から下が、クリーム色の装甲で覆われている。
竜騎装を部分的に纏わせて、校舎を突き破ろうとした車体を叩き落としたのだ。
「助けてくれてありがとう。あとその妄想、まだ続いてるんだね。しかも結婚済になってるじゃん」
「どいたま。艱難辛苦を乗り越えて心の中で挙式をしたのだから、二人の婚姻は法的に認められた正式なものでしょ?」
イチゲは法律とはいったい何だったのか? という深淵なテーマを投げかけつつ両手を顎の下に置き、あざとかわいいポーズを取っている。
実際にイチゲは可愛らしい少女なのだが、残念ながら制服の下は男の体である。
校内戦からさほど日はたっていないのに、かなり久しぶりな気がする。
「でも、ふたりは謹慎中って聞いたんだけど」
「ああ。それはね、非常事態の非常招集ってヤツだよ。先生は天藍あたりからなんも聞いてないの?」
「なにも……?」
「おおい。このクルマどーすんだよ。めんどっちいから捨てちまうぞ」
だいぶ堪え性の無い人類ランキング上位に入りそうなほど短気なヒギリは言うが早いか、抱え上げた車体を宙に放り投げた。
車はボンネットを逆さまにして、地面に落ちて来る。
「きゃ……キャシー捜査官っ!!!!」
運転手は民間人だと忠告する間も無かった。
車は僕の目の前でひどいひしゃげ方をして、潰れた。




